マンションのインターフォンが鳴ると、モニターに、パーマをゆるくかけたいつもの短髪が映った。エントランスの自動ドアを解錠して、そろそろかな、という頃合いを見て、エレベーターホールまで出迎えに行った。

 エレベーターが開くやいなや「今日も良い天気よねえ」と笑いつつ、母が降りてきた。いつも通りに、旅行にでも行くみたいなカートを曳いている。こうやって見ると、白髪が増えたものだ。

「ああ、いつも……ありがとう」

 部屋まで案内すると、母を部屋の中まで招いた。靴を脱いで、母はいつものようにカートの車輪をウエットティッシュで拭こうとしているので、慌てて「あ、わたしがやるから大丈夫」と言った。

 母はこちらをじっと見ていたが、「悪いわねえ」と言って、腰を叩きながら伸び上がり、ワンルームの部屋を見回す。

「荷造りけっこう進んでるじゃない。これ、大変だったでしょう」

 隅に積まれた段ボール箱の山に目を丸くする。もうすぐこの部屋から引っ越すのだ。結婚式の準備もそうだし、彼の部屋へ引っ越すのも、まだまだ時間があるなと思っていたら、あっという間に時間が過ぎた。

「新生活が始まるんだから、きっちりお母さんの味を伝承しておかないとねえ」と言いつつ、母は台所を眺めた。

“お母さんの味”という言葉を耳にするとき、わたしはいつも複雑な思いを抱いてきた。それは母もそうだったかもしれない。あえて何も言わずに、母はカートの中からあれこれと食材を出す。

「見て、これ美味しそうだから買ってきちゃった。がんもどきと舞茸。今日はこれで炊き込みご飯よ。あと味噌汁も」

 わたしは料理が本当にダメだ。それでも結婚を機に、そうも言っていられなくなった。彼は何事にも凝る方で、実験のようにレシピに忠実に作るため料理も上手、作ること自体も苦にならないタイプのようだが、だからといって毎日お願いするわけにもいかない。お互いシフト勤務のため、おのおのが早く帰れる曜日で、夕食は炊事当番制にする予定だ。

 結婚するにあたって、母は米の研ぎ方から辛抱強く教えてくれた。それまで、適当に内釜でしゃっしゃっと水をかき回すみたいにしていた。そんなことを言おうものなら、母はきっと怒って、長々しい説教が始まると思っていたが、「あらら」と笑うだけだった。

「えーと、お母さん。炊き込みご飯だったら、ここに……出汁? とか入れる感じだったっけ?」とわたしが聞くと、母は「それも良いけど、今は良いのがあるから」と、金のパックを出してきた。中からティーバッグのようになっている小袋を出す。そのまま小袋を破いて粉のようになっている中身を入れた。内釜の水に粉が浮く。その粉は母がしゃもじで混ぜても溶けたりせずに、主張のあるままで水中を漂っている。

 えっ……何この粉? という怪訝な表情になっていたのか、「これはね、出汁のパックよ。これを入れるだけで、ぐっと美味しくなるから、まあ見てなさい」と言う。

 がんもどきは一センチ角くらいに荒く刻んで、舞茸はほぐしてお米の上にのせてね、と母が言う。

「そこへ酒と醬油少々、以上、おしまい」

 母は酒と醬油で円を描くようにすると、炊飯器の蓋を閉め、スイッチを押した。

 炊き込みご飯というと、もっと具材を切ったり混ぜたり、いろいろな手間があるとばかり思っていた。今日のは、ただがんもどきを刻んで、舞茸も手でちぎっただけだ。

「うちの炊き込みご飯って、いつもこんなに簡単だったの?」

「ううん。昔はいろいろ手間をかけてやってた。でも、今のやり方の炊き込みご飯、噓みたいに美味しいのよ。ちょっとびっくりしちゃった。ご飯なんて毎日のことだから、自分が好きでやってるならいいけど、料亭の料理みたいなのを作らなくちゃって毎日考えていたら、早々にパンクしちゃう。お母さんの若い頃にも、こういうのがあればよかったのよね」

 わたしがメモを取るのを確認して、さあ、と母は手羽元の煮物、味噌汁の説明に移った。

 炊き上がる前から、炊飯器からは美味しそうな舞茸の香りが漂っていた。

「開けるわよ」と言って、母が手品みたいな手つきで炊飯器を開けると……見事な炊き込みご飯ができていた。あんなに簡単な手順だったのに、どこからどう見てもこれは炊き込みご飯だ。

「この炊き込みご飯はねえ、ごぼうと鶏肉とかでも美味しいの。やってみてね」

 そう言いつつ、母がざっくりとしゃもじで炊き込みご飯を混ぜた。

 できあがった味噌汁と、手羽元の煮物を並べると、良い感じのお昼ご飯になった。

 母と二人で食べる。

 舞茸の炊き込みご飯は、あんな簡単な手順で作ったのが信じられないくらい、しみじみと美味しい。出汁の味を含んだがんもどきと舞茸の歯ごたえ、それぞれ違った食感がひとくち、またひとくちと食べたくなる。がんもどきの中に野菜が入っていたので、それもいいアクセントになっている。おこげも香ばしくていい。

「美味しいね、これ」そう言うと、母は一瞬、言葉に詰まったように見えた。

「あ。この炊き込みご飯、会社におにぎりにして持っていくのもいいかも。うちの会社、最近おにぎりが流行ってて」

 なんとなく気まずくて、あわてて話題を継いだ。会社では最近、上司が健康的に瘦せたこともあって、会社でおにぎり弁当を持ってくる人が増えていた。いろんなレシピを教えあったりしていることも母に説明する。

「その瘦せた人も“やっぱり自分で料理するのっていいよなー”って」それを聞いて母は、昔のことを思い出したようで、一瞬視線が揺らいだが、笑顔になった。

 食べ終わると、いつものように母は上手な台拭きの扱い方、洗い物、台所の掃除の指導までした。どうやったら早く皿が洗い上がるかとか、最後に流しを拭き上げるところまで。

「こうやって、日々こまめにやっておくと大掃除のとき楽なのよ、ほんとに」と言って笑っている。

 母とはこんな風にずっと仲が良かったわけではない。まったく連絡を取らなかった時期も数年あった。可愛らしくて、素直で、頑張り屋で、勉強家で、そういう理想の娘の型が母の中にあって、母はクッキーの型みたいに、わたしをそこにぎゅうぎゅう押し込んでいった。幼い頃にはおとなしくその型に詰め込まれていたわたしが、もうだめだ、となったのは十四のときだ。わたしの身体はあらゆる食べ物を受け付けなくなった。母の料理をあまり覚えていないのはそのせいだ。

 なるべく遠くの大学に進み、わざわざ飛行機で移動しなくてはならないくらい、家から遠く離れたところで就職をして、ほとんど家には寄り付かなかった。

 母は毎日、最高級の鰹節を削り、手間をかけて出汁を取って、遠くから取り寄せたこだわりの調味料を使っていた。毎日、どんな時でも完璧な食卓を目指そうとしていた。これこそが理想だ、幸せの型なのだと、あるべき母の型に押し込まれていたのは、母自身かもしれなかった。

 

 その当時の母の気持ちも、三十歳を超えた今では少し理解できるようになっていた。それが娘の自分には息苦しいものであろうと、母は母なりに最善を尽くそうとしていたこともわかる。お互いに年を取ったということだろうか。

 こんな風に、母と普通に話せるようになる日が来るとは思わなかった。こうして見ると、母も、小さくなったな、とつくづく思う。喧嘩して電話を叩きつけるように切った昔が噓のように、今では穏やかな日々が続いている。

 以前の母だったら、良妻賢母とは、から始まって、どれだけ自分が手をかけて家族のために栄養を考え料理をしてきたか、微に入り細に入り解説しただろうし、料理は手をかけてこそ。娘のあなたも完璧な食卓を目指すべきだ、と主張して譲らなかっただろう。楽に美味しく、という料理は娘には絶対に教えなかったはずだ。

 母がさっき、出汁パックをちぎって中身を出すとき、こちらを見て、いたずらっぽく笑ったのを思い出す。いい大人同士、お互い、気楽に行こうと言われているようで、それがなんだか嬉しかった。

 お茶を飲んでいろいろな話をした後、母がそろそろ帰ると言うので、見送りに出た。

「二人の生活は、これからが長いんだから、気楽にね」

 エレベーターを待ちながら言う。

「ありがとう、お母さん」

 カートを曳いた母がエレベーターに乗り込み、こちらに手を振った。

 母へのありがとうを、ようやく、初めて、言えた気がする。