ダイエット界で神と崇められる叔母のダイエット教室で、バイトを始めた気弱な30代童貞の恵太。教室をやめた元生徒を再入会させるよう任されたのをきっかけに、さまざまな理由で「ダイエット迷子」となった女性達と向き合うことに……。

 新感覚ダイエット小説『痩せたらかわいくなるのにね?』(『ダイエットの神様』より改題)の文庫化を記念して、「小説推理」2019年12月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで、本作の読みどころをご紹介します。

 

痩せたらかわいくなるのにね?

 

■『痩せたらかわいくなるのにね?』南綾子  /大矢博子[評]

 

デブ、ブス、童貞──それがみっともないなんて誰が決めた? 無意識に他人を見下すメンタリティを南綾子が一刀両断。笑いに隠された刃に震えろ!

 

 最初はゲラゲラ笑いながら読んでいた。気弱な独身30代の男性が、プレデター似の「肉じゃがデブ女」に追いかけられ振り回される話なんだもの。しかもこの女性のキャラがめちゃくちゃ強烈で、どう見たってコメディなんだもの。そりゃ笑うじゃん?

 だが読み進むうちに、だんだん笑いは消えていった。むしろ、第1話を読んだときになぜ自分は笑ったのかと、1度本を閉じて考えてしまったくらいだ。南綾子『ダイエットの神様』は、そんなふうに、コメディの皮をかぶりながら読者の無意識をするどく抉ってくる。

 主人公は土肥恵太。彼は伯母が経営するダイエット教室でバイトをすることになった。彼に課せられたのは、教室を中途退会してリバウンドした生徒を再入会させること。ところが妙な縁で、恵太は元の会社の同僚だった「プレデター似」で「でっぷり太った」福田小百合とコンビを組むことになる。俺は痩せてて可愛い女が好きなのに……。

 物語はここから連作形式で、恵太と小百合が出会う、さまざまな「痩せられない女」たちの物語が描かれていく。

 体格も性格も規格外の小百合の暴走と土肥のツッコミが楽しく、ぐいぐい読まされるが、女性たちが抱える事情はとても痛々しい。太っていることで彼女たちの身に何が起きたか。それは当たり前のように「見下してもいい」と思われる日々だ。おためごかしに「痩せた方がいいよ」と勧める同性。「ないわ」と一刀両断する男性。

 だが、それを決めたのは誰だ。決めるのは誰だ。

 ここに登場する「痩せられない女」たちは評価の物差しを他人に預けてしまった人々だと気付いたとき、物語は反転する。これは「コミカルなデブ」を笑う話ではない。逆だ。読者に「なぜ笑う?」と問いかける話なのだ。

 南綾子は主人公の恵太を30代の童貞と設定した。デブを見下す恵太が、童貞であることをデブに見下される。他人をジャッジするとき、自分もまたジャッジされているという皮肉な構図が、読者を鋭く切りつける。本書を読んで自分を振り返らずにいられる人はいないだろう。

 私たちは無意識のうちに見た目や属性で他人を評価し、分類していることにあらためて気付かされた。本書にはさまざまな「評価する人」「見下す人」が登場する。そこに自分にもある思考を見つけ、怖くなる。

 軽妙な語り口の中に、鋭い刃を潜ませた物語だ。だが斬られて清々しい1冊である。