目が覚めた。
ちゃんとパジャマを着ている。時計を見ると朝の八時だ。隣のベッドに、すでに夫はいない。
昨日の昼食から、こんこんと眠っていたんだろうか? そんなはずはない。
「もしかして……全部夢だったの?」
聖将がオトコしか愛せないっていうことも、恋人を連れてきたことも。だって昨日、ワンピで若作りして、ぐでんぐでんに酔っ払っていたはずの自分が、こうしてパジャマを着てきちんとベッドに横たわっているではないか。
「なあーんだ、よかった……」
安堵のため息をつき、起き上がろうと体を動かした途端、頭が割れるように痛んだ。おまけに吐き気もする。聖将を身ごもっていた時を思い出しながら、トイレに駆け込んだ。
──やっぱね。夢のわけないか。
便器を抱きかかえて胃液を吐き出しながら、年甲斐もない二日酔いを情けなく思う。収まらない胸焼けを抱えたまま便器を洗浄し、洗面所へ向かった。苦味と酸味の残る口を何度もゆすいで、歯磨き粉を多めにつけて歯を磨く。
「あれ、オカン」
トイレに起きてきた聖将が、わたしを見て驚いたような顔をする。
「大丈夫かよ? 年を考えないで、あんなに飲むから」
「大きい声ださないで。頭がガンガンする」
「ほんと、ばかだなあ」
「でもいくら飲んでも、そこは大人だからね。ちゃんと着替えてベッドで寝てたわよ」
「え?」
聖将は目を丸くした。
「じゃあ覚えてないの?」
「なにを?」
「オカン、寝ゲロしたんだぜ」
「うそ!」
「マジだよ。ソファに横になったと思ったら、げぼーって。大変だったんだから」
「まさか……」
「ほんとだって。雄哉がオカンを着替えさせて、ゲロを全部始末してくれたんだぜ。あいつんち、寝たきりのおばあちゃんがいるんだ。下の世話とか着替えとか慣れてるからって、全部一人でやってくれた」
「そんな」
撃沈。
初対面でやらかしてしまった。
自分でも見たくない胃のなかの未消化の汚物をぶちまけ、しかも裸までさらしたなんて。幸か不幸か、彼は女体、しかも中年の、には興味ないんだろうけど。
「ソファもカーペットもきれいにしてくれたよ。それからお姫様抱っこで、二階まで運んで寝かせてくれたんだ。優美おばさん、すげー感心してた。今時の若い子なのにって」
確かにそうだ。感謝すべきかもしれない。
でも最低すぎる。記憶から一切を消し去ってもらいたい。
「迷惑かけちゃったわね」
「でもアイツ、全然気にしてなかったよ。むしろウケてた。雄哉のお母さん、もう亡くなってるんだ。だからいいなあって羨ましがってたよ。それに、もしも生きていたとしてもカミングアウトできるくらい信頼関係があったかもわからないし、こんなに楽しく一緒に飲めないかもって。いいおふくろさんだよなあって、何回も言ってた。俺もそう思う。マジでありがと」
寝ゲロするような母親を、そこまでフォローしてくれるなんて。雄哉はとても心優しい子に違いない。まして自分から進んで介抱し、掃除までしてくれた。このご時世、そんな若者は珍しいんじゃないだろうか。素直に、雄哉のような子に出会えたことを喜ばしく思う。
「……あんた結構、見る目あんのね」
「え、何?」
「なんでもない。また連れていらっしゃいって言ったのよ」
「マジ? いいの?」
聖将の顔が輝く。
正直、まだ混乱している。完全に受け入れられるかどうかはわからない。だけど聖将のために、努力はしようと決めた。
わたしは笑顔を返すと、またふらふらと階段を昇り始める。キャベジンでも飲んで、もう一眠りしよう。
「あ、そうだ、オカン」
階段の途中で、聖将が呼び止める。
「あのスピーチ、最高だったよ!」
「あれは忘れて!」
わたしは力を振り絞って、慌てて二階への階段を駆け上がった。早く聖将の目の前から消えたかった。
「あ、あと部屋の掃除、サンキューな」
寝室のドアを閉める寸前に、屈託のない、聖将の言葉が飛び込んできた。
雄哉が我が家を訪れてからそろそろ二週間が経つ。
結局、わたしのスピーチが二人の心に届いたのかはわからない。
訊くわけにもいかないし、知りたくもない。そんなすぐに急展開してはいないと思うけど。
あれ以来、聖将の部屋の掃除はわたしがするようになった。ノックをせずにドアを開けても、聖将がいない時に勝手に部屋に入っても、聖将は全く気にしない。それは心を開放してくれている証拠に思えた。もうわたしには隠し事をしなくていいと安心しきっているのだろう。カミングアウトを境に、息子との距離は急激に縮まっている。
けれども、聖将には知る由もない。
シーツにちょっとシミがついていたり、不自然な皺がよっていたりすると、たちまちわたしの頭上には、妄想の雲がたちこめてしまうのを。
──もうキスくらいはしてるよね、さすがに。
──攻めるのは、やっぱり雄哉くんから?
──ううん、攻めと見せかけて受け、とか。その方が萌えるし。
──いやいや、攻めと受けのリバーシブルもありじゃない?
シーツを銀幕に、どこまでも展開する二人が主役のボーイズラブ・ムービー。
「ストップ、ストップ、スト──ップ!」
大声で自分を戒めて、今日もわたしは洗いたてのシーツを広げる。
ただただこの上で、息子が幸せに眠れますようにと願いながら。
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