考察系
「──あなたと寺沢さんは、深い仲だった。もうずいぶん長い間、誰にも知られることなく関係を続けてきた。歳上のあなたに彼はよき手駒または手下として、そして愛人として仕えてきた──」
気がつくと、窓から西日が差し込んできていた。湾田の彫りの深い顔に、深い影ができる。ヒミコが続ける。
「──寺沢はあなたに従順でした。あなたの言うことをよく聞く、下僕だった。ある日、あなたは彼に『配信者としてまひぴーに近づけ』という命令を出しました──」
淡々とした口調で、ヒミコは言っていた。
「──目的はまひぴーが持つ情報網を掌握するため。まひぴーは表と裏の広く深いところまで人脈を持ち、それはあなたがビジネスや配信の世界でのし上がる為に非常に有用と思えたからです──」
事実だということを俺は知っている。
「──寺沢は見てくれは中々に良い男でした。そして、幅広い愛を受け入れる人物でもあった。あなたの独占欲を刺激するくらいに──」
事実だった。
「──寺沢はあなたの命令に忠実に、彼女に近づき、見事目的を達成してみせた。つまり、彼女の男となった。彼は彼女の心を開かせ、深い信頼を得る関係にまでなった。世間では彼が彼女に尽くしていると思われているようだったが、実際は逆だった。そう見えるのは表面上だけで、彼女の方が彼に心底惚れ込んでいた。彼女は自身の情報網を彼に渡すようになり、それを彼はあなたに横流しした。あなたの目的は見事に達成されたと思われた──」
すべて事実だ。
「──でも、ひとつだけ。あなたの想定にないことが起きてしまった……。彼が、彼女に心底惚れてしまったのです──」
そうだ。予想外だった。
「──彼が彼女と結婚したいと、そう切り出してきたとき……。あなたは困惑しましたね。彼が彼女と結婚することにではなく、あなたがその事に激しい嫉妬を抱いているという事実に──」
この女は、そんなことまで見透かせるというのか。おそらくそれは、事実だったのだろう。
「──あなたは欲しいものは自分の力で手に入れてきた人間です。金も名誉も、地位も女も、男も──ほとんどすべて、欲しいものは手に入った。なんでも選べた。なんでも選び、飽きたら手放した。これまで愛人関係になった女にも男にも、何事にも何者にも、執着するということはなかった。だから困惑したのです。彼を取られることに嫉妬していることに。彼を手放したくないという自分自身の心に──」
果たして彼の独占欲は、愛だったのだろうか。
「──あなたは説得を試みた。彼女を直接金で買収し、偽装生配信をさせる指示をした。彼女の部屋で彼を待ち伏せていたあなたは、そこで説得をした。もう、命令に従わなくてもいい。一生不自由ない生活を送らせてやる。欲しいものはなんでも与えてやる。だから、俺から離れるな。あの女と結婚するな──」
ヒミコの声の上に、彼の声がオーバーラップしていく。
「──でも、だめだった。プライドも意地もすべて捨てて挑んだ末の説得は、彼には届かなかった。そうなることはたぶん、あなたははじめから気づいていた。だから、彼の飲み物のボトルに、睡眠薬を仕込んでいたんでしょう?──」
それは考察ではなく、問いかけではなく、もはやただの事実確認だった。湾田は何も答えない。何も言わない。
「──彼の決心は揺るがなかった。だから、計画を決行した。気づかずに飲まされた睡眠薬で意識を失った彼を運び出し、車に乗せてS市へと向かった。自宅へ着く頃にちょうど彼は目を覚ました。そこであなたは彼に詫びた。すまない、すまない──と。あなたは彼にお願いをした。『これを飲んでくれ』と、睡眠薬を渡した。そして、こう付け加えた。『俺も飲むから。だから一緒に逝こう──』と」
部屋がいつの間にか暗くなっていた。陽はビルの谷間の向こうに、僅かに顔を出している。ヒミコのジャケットの胸ポケットに挿された銀色のペンが、きらりと反射した。
「そ、それじゃあ、つまり……。湾田さんと寺沢は心中しようとしていたってことか?」
ダークQの言葉に、ヒミコも湾田も反応しない。
「じゃ、じゃあなんでアンタ……生きてんの?」
イチジクのその言葉にも、湾田は表情を変えなかった
「……死ねなかったんでしょう。怖くなったから。追えなかったんでしょう。まだ生きたかったから。あなたは彼の想いを受け取って、そのまま無下に捨ててしまった──」
ヒミコの言葉に、僅かに彼の表情が変化したようにも思えたが、それはたぶん、俺の願望だった。
「──あなたは彼に薬を飲ませたあと、下野を呼び手順を指示した。彼は病院に運ばれたが助からず、自殺ということで処理された。あなたたちのアリバイは偽装生配信で完璧だった。そしてあなたと彼との関係は誰も知らない。停電という僥倖にも恵まれ、暗闇の街であなたの姿を見かけた者はいなかった。誰かに目撃されていない以上、露呈する危険は低かった。湾田剛央と寺沢良治という、二人の男には、表立った接点は何も見られないのだから。表面上は何も起こってない。関係のない男が死んだだけ。あなたの日常は何一つ変わらないはず、だった──」
誰かがごくりと唾を呑み込む音がした。
「──でも変わってしまった。あなたは胸の内に巨大な空洞を抱えてしまった。寺沢良治という男を失ってしまった、彼と共に逝く約束を反故にしてしまった後悔が、胸の内に……」
「はははははははあはは!」
突然の笑い声に、ダークQとイチジクは身をびくりとさせた。微動だにしないヒミコと壊れたスピーカーのようにひたすら笑う湾田が、暗い会議室で対峙していた。
「はははははっ! いや、すごいよ本当に。やっぱり、ホンモノだった! やっぱり、俺の勘は当たるんだ! なあ、あんた──」
湾田は笑いすぎてぜえぜえと息を切らしていた。
「──俺さ、考察したんだ。そういうの、苦手だと思ってんだけどさ。やっぱり、そうか……いや、そうか──」
ジェルで固めた髪を両手でぐしゃぐしゃにしながら、湾田はその場をぐるぐると回った。
「──そうか、そうなんだな? うん、いやそうだ……うん。普通に考えてありえないよな……だからやっぱり……」
湾田は興奮していた。ぶつぶつと独り言を呟くようにヒミコに何かを訊ねているが、彼女は何も言わない。
「なあ……その、おかしくねえか?」
ダークQが口を開いた。
「……な、何が?」
イチジクが聞き返す。
「だってさ、今ヒミコが言ったことが本当だとしたらさ……湾田さんは自分で犯した罪を俺らに考察させようとした──ってことになるだろう。そんなの一体、何の目的で? 自分のしたことが暴かれるかもしれないんだぞ?」
「たしかに……。呼ばれたときから怪しいと思っていたけれど、一体なんでこんな集まりを開いたワケ?」
二人の会話は、まるで湾田の耳には届いていないようだった。ひたすら興奮した口調でぶつくさ呟きながら、その場を紐で繋がれた犬のようにぐるぐると回っている。
「それこそが目的だったから──でしょう?」
ヒミコが静かな声で訊ねると、湾田はぴたりと動くのを止めた。
「湾田さん。あなたは暴いて欲しかったのです。真実を。自分の犯してしまった過ちを──そうでしょう?」
「……………………」
ぐしゃぐしゃになってほつれた前髪の向こうに、湾田の目が見える。どこか怯えたような、それでいてどこか安堵したような目つきだった。
「暴くって……自分の罪を? 何のためにだ? せっかく、上手く事が運んだんだぜ? それに、今ヒミコが言ったことってさ、証拠も何もないんだろ? 黙っておけば何も問題なかった。どうして藪の中の蛇をつつくような真似をしたんだ?」
ダークQが捲し立てた。
「耐えられなかったんでしょうね。湾田さんは寺沢の後を追えなかったことを、深く後悔していた。そのことで罪の意識にずっと苛まれていた……」
「だったら、こんなことせずに警察に自首した方がいいだろう? 捕まるのが嫌だったんなら教会で懺悔するとかさ……。どうしてこんなまどろっこしいことしたんだ?」
「彼には別の目的があったんですよ……そうでしょう? 湾田さん──」
ヒミコが意味ありげに微笑むと、先ほどから宙を泳いでいた湾田の視線が、正気を取り戻したかのようにぴたりと定まった。しっかりと正面に立った黒い髪の女──鯖目ヒミコを見据えている。
「──あなたの目的は自らの罪を暴かれることのほかに、もう一つあったはずです」
「……俺は、考察したんだ。自分なりに」
湾田の声は嗄れていた。
「考察って……何を?」
ダークQが訊ねた。
「この女が、鯖目ヒミコという考察系配信者が、どうやって真相を見抜いているのかについてだ──」
ボサボサになった頭のまま、湾田はふらふらと歩いていって、手近にあった椅子に腰を下ろした。そのまま背もたれに身を委ね、天井を見上げて語り出す。
「──俺はその女の動画を何度も見た。知ってのとおり、その女が、鯖目ヒミコが投稿した未解決事件の考察動画は、事件を解決するかそれに近い成果をもたらしている。すごいことだ。しかし、どうにもおかしい。考えてもみろ。どうしてその女は警察しか知りえない公表されていない情報を知っているんだ? どうしてその女は警察でさえ掴んでいない情報を持っていたんだ? おかしいだろう? 加えて未解決事件はそれなりに時間が経過しているものも多い。情報は、過去のものほど埋もれていき、それを掘り返すことは困難を極めるものだ……。例えそれを掘り起こしたとしても鮮度と信頼度は経年劣化していて、情報という価値は失われてしまう──」
芝居がかった、演説のような口調だった。
「──だから俺は欲しかったんだ。より強度の高い情報網を。新鮮な情報を得るための網を、複数……。俺が持っているのはあの女──まひぴーの情報網だけではない。それ以外の複数の分野を網羅できるくらいの網が手中にある。だからわかるんだ。鯖目ヒミコ。お前がアップした考察動画。そこで用いられた情報を手に入れるのは、普通に考えてまず不可能だ……なあ、ヒミコ──」
湾田は居住まいを正す。
「──あんた、どうして知っているんだ? 死者にしか知り得ない情報を……」
部屋の中は、静寂と暗闇に呑み込まれていた。
湾田の問いに、ヒミコは沈黙で答えていた。
「……死者にしか知り得ない……たしかに」
イチジクがぼそりと呟いた。
「ヒミコの動画はそのどれもが事件の当事者にしか知り得ない情報を元に考察されていた。動画内では『独自のルート』で得た情報と称していたが、それは一体どういうルートなんだ。なあ、教えてくれないか?」
湾田は少し意地悪そうに微笑んだ。
「それは……企業秘密です」
ヒミコもまた意地悪そうに口元を歪めてみせる。
「ははっ、企業秘密ねえ──」
乾いた笑いが湾田から漏れ出た。
「──あり得ないんだよ。情報を武器にしようと、必死になってきた俺だからこそわかるんだ。あり得ないんだ。あんたの情報は手に入れられるはずのないものばかりなんだ。どんなに欲しくても、絶対に知り得るはずのない情報だ。だから、俺はこう考察した。あんたは死者と会話できるんじゃないか──って」
湾田はすがるような面持ちで彼女を見つめている。ヒミコは眉ひとつ動かさない。
「死者と会話──ですか?」
「ああ、そうだ。そうなんだろう? そうに違いない。そうとしか思えない……」
「仮にそうだったとしたら……。あなたは一体何を望んでいるんですか?」
「……話させてもらえないか? あいつと……寺沢と話がしたいんだ──」
悲壮な面持ちだった。
「──なあ頼むよ。あいつに一言、謝らせてくれ。後を追えなくてごめんって。そう言いたいんだ。叶うなら、ただ伝えたい。お前はただ一人、俺が心から愛した人間だった──って……」
湾田はヒミコに懇願した。すがりつくような様だった。ヒミコは無感情に、無言でそれを見下した。
「ヒミコは霊能者で、シャチョーさんはそのためにこの集まりを開いた……ってこと?」
イチジクの問いに、湾田はうなずく。
「ああ、そうだ。君たちには悪いが、君たちの考察なんて本当はどうでもよかったんだよ。俺が呼び出したかったのはヒミコだけだ。だが、ヒミコは気まぐれで連絡の取れない謎の人物として有名だった。それこそ動画のネタにならないような依頼は受けないと、俺はそういう情報を得ていた。だから、こういう集まりを開いた。興味を持ってくれるようにとね。他の考察系と競い合わせるような会に興味を示してくれるのか、半信半疑ではあったが、結果として来てくれてよかったよ……」
「俺たちは?ませ犬ってわけね……」
ダークQがふんと鼻を鳴らした。
「すまないね……でも俺は、どうしてもあんたに、ヒミコに会いたかったんだ……。なあ、頼むよ。金ならいくらでも出す。他にも何か力になれることだったらなんでも……」
「何か勘違いされているようですが──」
凜とした声が、湾田のすがりつくような言葉を遮った。
「私は真実が見えるだけで、霊能者だとは一言も言ってませんよ」
ヒミコは朗らかに笑ってみせた。
「は? そんな、でも……。じゃあ、情報はどうやって仕入れているんだ?」
「それは企業秘密です」
「いや、そんな。あり得ない……。な、なあ。頼むよ。俺はあいつに……」
「例え私が霊能者だったとしても──」
ヒミコの顔から笑みが消えた。
「──あなたと彼を仲介する気はさらさらありません」
「ど、どうして?」
「そうですね……。たぶん私が彼だったら、あなたの言いわけなんて聞きたくないから──ですかね? でもまあ──」
ヒミコはこちらに目線を向けた。つられるように、ダークQとイチジクもこちらを見る。
そこにはきっと、何も見えていないはずだ。何もないはずの空間に向けられた視線の意味は、ヒミコしか理解していない。
「──言いわけは聞きたくないですけど、あなたが無様に後悔している姿を、ただ見てみたいって、そう思うでしょうね。彼ならきっと」
俺に向かって、ヒミコは意地悪そうな笑みを向けてきた。俺も似たような笑みを返す。二人は困惑したような表情で、こちらを見ている。
湾田は俯いて放心していた。最後まで俺の方を見ることはなかった。
「ありがとうございました。俺の願いを叶えてくれて」
オフィスを出た後、俺はヒミコに礼を言った。
「いえ。こちらとしても、良い動画のネタを得られましたので」
ヒミコはジャケットの胸ポケットに挿していたペン型カメラを手に取り、微笑んだ。
「でも、本当によかったんですか? あなたの言葉を伝えてあげるくらいはできましたよ」
「……いいんです。もうなんか吹っ切れたんで」
後悔はなかった。悲しみも未練もなかった。ただ、あの男が好きで好かれていたという事実がある。それだけで十分だった。
「そうですか……」
「──おい、待てよ!」
突然、後ろから声が飛んできた。ダークQがヒミコの方に向かって走ってくる。
「なんですか?」
「いや、アンタのことどっかで見たと思ってたんだけどさ。ようやく思い出した。アンタ、前に心霊系で顔出ししていた『不知火イトコ』だろ? 口寄せだっけ? 幽霊を降ろしてさ……」
「はて? 人違いでは?」
ヒミコは不敵な笑みでとぼけてみせた。
「いや、まあ……それはいいんだ。俺はそういうの信じていないからさ。さっきのも霊視とかじゃなくて、すごい情報網があるんだろ? なあ、俺と組まないか? アンタの情報網があればさ……」
「遠慮しておきます」
ヒミコはすたすたと歩き出した。
それを追うダークQの背中を見送りながら、俺は俺という存在が薄まっていくのを、たしかに感じていた。