暴露系
「──不気味だったよ。腹を据えた感じだった。死を間近にした奴の顔って、ああいう風になるんだって思った。多分、今の俺の顔も、浅葱田と一緒なんだろうな──」
浅葱田はこのことは誰にも話さず内緒にしてくれと頼んできた。そして、証拠となる『真の遺書』を押し付けてきたという。
「──浅葱田はこう言ってきた。『真の遺書は、アイツが最も苦しむタイミングで暴露してほしい。そのほうがアイツが苦しむだろうから──』って」
浅葱田は、死後に宗二へ復讐しようと目論んだらしい。
「……彼はどうしてそのノートを、兄であるあなたに託したんです? 当然、あなたがいじめの主犯の兄であることを知っていたんでしょう?」
「たぶん浅葱田は、気づいていたんだと思う……。俺がアイツに……弟に強烈な劣等感を抱いていることに。劣等感とそれ以上の、言葉に表しようのないものを──」
浅葱田は宗二に連れられてよく家に遊び来ていたので、面識があったのだという。
「──浅葱田は最高のプレゼントをくれた。俺は浅葱田が飛び降りたあとも、誰にも真の遺書の存在については言わなかった。いつか、最高のタイミングで世の中に暴露するのを狙っていた……。それが、ようやく来たんだ──」
虚ろな眼に、暗い光が宿ったように見えた。
「──これまで他人の醜聞を偉そうに晒してきた奴が、今度は晒される側になるんだ……。どうだ? 最高の暴露になると思わないか?」
「……いじめの証拠というのは、このノートだけですか?」
「ああ、そうだが……」
「他に何かないのですか? 例えばいじめの動画とか録音音声とか……」
「いや、そういうのはない。そのノートがあれば十分だろう? 俺も証言するし……」
千里は黙り込む。
正直、期待はずれもいいところだった。
ノートだけでは証拠としては弱い。それに、過去にいじめをしていた──というスキャンダル自体が弱いのだ。自殺者が一人出ているのは確かだが、それくらいではみどりちゃんこと宗二を失脚させられるかどうかは微妙なラインだった。
明確にいじめの現場を捉えた動画など、決定的な証拠がない以上、いくらでも言い逃れができてしまう。
「二、三、質問してもいいでしょうか?」
「ああ、構わんが……」
「どうして今回のことを週刊アタックにタレ込んだんです? 他の暴露系配信者に依頼してもよかったのでは?。例えば『地獄耳蔵チャンネル』とか……」
地獄耳蔵チャンネルは、新進気鋭の暴露系配信グループだ。リーダーの地獄耳蔵はじめ、メンバー全員が元半グレであることを公言しており、手荒い取材や暴露対象者への容赦ない追及の仕方から、賛否両論のグループとして話題となっている。
地獄耳蔵は界隈大手のバクロオーに対し、異様なほど敵愾心を露わにしており、先日も「近いうちにバクロオーを引きずり下ろしてやる」と、配信で宣言していた。
「たしかに地獄耳蔵なら、よろこんで食いつくネタだ。でも、あいつらに……というか他の暴露系に花を持たせるってのは、何というかその、嫌だったんだよ……。俺も一時は暴露系……だったし……」
歯切れの悪い返事を誤魔化すように、寛治はごほごほと咳き込んだ。
「なるほど……」
「で、あんたのところで取り上げてくれるのか?」
「……それは、ひとまず帰ってから上司と相談させてください。このノート、お借りすることはできますか?」
「ああ、構わんが……。その前にコピーを取らせてもらってもいいか? ちょっと待っててくれ」
寛治は緩慢な動作で、椅子から腰を上げた。ふらつく足取りでリビングを出ていくのを見計らって、千里は改めて室内を見回す。
家具はすべて年季の入ったものばかりで、白かったと思しき壁紙は茶色く変色している。すべてが古びた空間ではあるが掃除は行き届いているようで、不快感はない。
千里は立ち上がると、キッチンへと進んだ。冷蔵庫を開ける。中は整理されている印象で、おかずが入ったタッパーがいくつか並べられていた。家事代行を雇っていると言っていたので、掃除や炊事などに困っている様子はないようだ。
千里は耳を澄ます。リビングの向こうのどこかの部屋から、コピー機が唸る音と咳が混じって聞こえてくる。寛治と話しているときから神経を研ぎ澄ませていたが、家の中に他の人の気配は感じられなかった。
そのままきょろきょろしていると、千里の視界の隅に、蓋付きのゴミ箱が入り込んできた。
「……うわっ」
開けてみてから、後悔した。異臭が鼻をつく。どうやら使用済みのオムツ用のゴミ箱だったらしい。先ほどオムツを使用している──と寛治が嘆いていたことを思い出し、そして僅かな違和感を覚えた。
千里はしばし迷った末に、ゴミ箱に手を突っ込んだ。重なり合った、使用済みのオムツの山に──。
そして、疑念が確信へ変わっていった。
「──お待たせしました」
しばらくして、ぜえぜえと息を切らしながら戻ってきた。
「ノートはお預かりしますが、記事になるかどうかはまだ……」
「いえ、必ず暴露してくれ。そうじゃなきゃ本当、困るんだよ……。頼みましたよ……」
咳き込みながら、寛治は弱々しい口調で言った。窪んだ両目の奥から、必死さが漏れ伝わってくるようだった。
千里は寛治の家を出ると、宿泊先のビジネスホテルへと向かった。煙草の匂いが染み付いたベッドに身を放り投げて、しばし目を休めた後、順に電話をかけた。その後で、猩野の番号をタップした。
何回かの呼び出し音の後で、「はいはーい」と猩野の不快な声が聞こえてきた。
『ああ、千里クン。お疲れ。どうだった?』
「微妙だな。正直期待はずれだったよ──」
千里は寛治のネタを掻い摘んで説明した。「──正直、バクロオーを失脚させられるレベルかと言われたら、そこまでのネタじゃない」
「ふーん……。で、情報のウラは取れたの?」
自分から振った依頼にもかかわらず、猩野は興味があるのかないのかまるではっきりしない口ぶりだった。
「さっき電話で聞いた。順が調べたところによると、たしかに20年前、寛治と宗二が通っていた中学校で、浅葱田康介という生徒が飛び降り自殺していた」
「へー。流石だね、弟クン。じゃあ、早いところ配信しちゃった方がいいんじゃない?」
「いや、まだだ。これからここでしばらく調べてから、改めて配信するかどうか決める」
「調べるって……何を?」
「色々だよ。間違った情報は意地でも流さないのが、俺たちの流儀なんでね。これから、宗二のクラスメイトに話を訊きに行く予定だ」
「ふーん……ご立派な心がけでご苦労なこった」
千里は顔をしかめる。猩野の嫌みったらしい顔が、電話の向こうに浮かんでいるのが見える。
「何か文句でも?」
「いやあ、別に……。でも、さ。もし暴露する気があるなら少しでも早い方がいいと思うよ?」
「なぜだ?」
「ネタは新鮮なうちに使わないと……。ほら、横取りされるようなことがあったら、それはそれで悔しいもんでしょ?」
「……どういう意味だ?」
「ふふふっ。忠告はしたよ」
ぷつりと、電話は切られてしまった。
猩野は一体何を企んでいるのだろうか──。
正直、千里はこのネタを暴露するつもりはなかった。胸の内に、ある疑念が生まれていたためだが、それと猩野の思惑がどう結びつくのかがいまだわからずにいた。
千里はベッドから起き上がり、部屋の窓辺へ歩いていった。眼下に、どこにでもあるような、郊外の街並みが続いている。ふと、かつて生まれ育った街の風景によく似ていることに気づく。どうにも息苦しさを感じていたのは、忌々しいあの街を思い出させるからだと、ようやく納得がいった。
千里はカーテンを引いた。順がセッティングしてくれた人物との約束までは、まだ一時間ほどある。一眠りしようかとも考えたが、一度蘇ってきた忌むべき思い出で、頭が冴え切っていた。
仕方なく椅子に腰をかけ、ぼんやりと時間が過ぎるのを待つほかなかった。
コンタクトがとれたのは、宗二と浅葱田のクラスメイトだった「山田」という人物だった。今回はあらかじめ「バクロオーみどりちゃんこと緑川宗二に関する、週刊アタックによる取材」ということで話を進めているので、特に怪しまれもせずに接触できそうだった。山田は気をきかせ、何人か他の同級生も連れてきてくれると言っていたらしい。
指定されたのは、宗二たちの母校の中学校だった。少子化の影響により、現在は廃校となっているらしい。
夜八時。生ぬるい夜風が、頬を掠めていく。順に届いたメールには仕事があるから遅くなる──と書かれていたらしい。
「すいませーん。お待たせしました」
人気のない、夜のグラウンド。暗がりから声がしたので振り向くと、小太りの中年男が歩いてくるところだった。
「どうも──」
名刺を取り出そうとしたタイミングで、千里は異変に気づいた。
暗がりから現れたのは、小太りの男一人ではなかった。
ひとりふたりと、暗闇の中から出てきた男たちは、ゆうに10人を超える。男たちは千里と一定の距離を保ちながら、ぐるりと円形を作って逃げ道を塞いでいる。それぞれが手に金属バットやモンキーレンチなど、わかりやすい得物を携えている。
「──マイムマイムでもするのか?」
我ながら良い冗談だと千里は思ったが、笑う者は誰もいなかった。
「余裕こいてんじゃねえぞ──」
小太りの中年がニタニタしながら言う。
「──のこのこ出てきやがって。バカじゃねえのか?」
男たちがにじり寄ってくる。格好と雰囲気から察するに、どうやら大半が半グレかそれに準ずるチンピラのようだった。
「バカはおめえらの方だよ」
「何?」
「あんなわかりやすい誘い、勘づかないわけねえだろ。ワザと乗ってやったんだよ」
「はっ、強がってんじゃねえよ」
殺気はそのままに、何人かから笑いが漏れる。
「これだけ連れてきてくれたのはありがたいね」
「はあ?」
「これだけいりゃ、一人くらい口を割るだろうし、一人くらいやっちまったとしても問題ねえよな?」
「――ほざけ!」
夜のグラウンドに、野蛮な唸り声がこだました。
「よお、久しぶりだね。たしか……2ヶ月ぶりくらい? 元気してた?」
いつもの居酒屋のいつもの個室で待っていると、いつもの調子で猩野が現れた。あまりにもいつも通りなので、流石の千里も呆れてしまった。
「…………」
「何、どしたの?」
「いや、どうしたじゃねえよ。なんでそんないつも通りでいられるんだ?」
「なんでって言われてもねえ……。もう済んじゃったことじゃない」
「別に済んだことじゃねえよ。問題は現在進行形だ」
「はははっ。まあ、とりあえず何か頼もうよ。……生中でいい?」
「……ウーロン茶で」
一通り注文したものが揃ったのを見計らって、千里は話し始める。
「猩野。アンタは本質的に欲深い人間だ」
「人間、誰しもそうじゃない?」
「アンタは別格に欲深いよ。だから、今回の件も、何か一つのことを為し得るためではなく、いくつかの目的を達成するべく動いていたはずだ」
猩野はごくごくと喉を鳴らしながら、ビールを流し入れる。
「なんかこじ付け感が強いけど……いいよ。続けて」
「アンタの第一の目的は、俺を嵌めることだった。俺にみどりちゃんこと緑川宗二に関するスキャンダルを掴ませ、それを配信で暴露させる……」
「うん。まあ、そうかもね。でも、そうはならなかった。君は結局、緑川宗二のいじめ疑惑を暴露しなかった」
「そうだ。結果的にそれは正解だった。だが、俺がしなかった緑川宗二のスキャンダルは、別の奴によって世に暴露されることとなった。暴露系『地獄耳蔵チャンネル』によって──」
2ヶ月前。地獄耳蔵によって過去のいじめを暴露されたバクロオーチャンネルのみどりちゃん──緑川宗二。界隈大手の配信者が、他の暴露系により暴露されるという事態は、大衆たちを大いに沸かせた。
「──過去にいじめていたクラスメイトが、それを苦に命を絶っていた──。そのことが事実ならば、当然大問題だ。ましてやこれまでいじめ関連の暴露も嬉々としてやってきた配信者だ。大手ゆえにアンチも多く、奴の失脚を願うものは決して同業者だけではなかった」
猩野は手羽先にしゃぶりつきながら、にやりとする。
「そうだね。でも今回の件で、失脚したのは暴露された側ではなく、暴露した方──。つまり、バクロオーチャンネルのみどりちゃんではなく、地獄耳蔵の方だった」
地獄耳蔵は、寛治が託されていた浅葱田のノートのコピーを証拠に、暴露配信を行った。正直、それだけでは証拠として心許ない。千里のように、地道に裏取りをするべきだったが、彼らはそうしなかった。元々裏取りをせず、精度の低い情報を流すようなことが多々ある連中だった。界隈大手を蹴落とすチャンスと見て、焦ったのかもしれない。あるいは、うかうかしていると横取りされるぞ──とでも吹き込まれたのかもしれない。
地獄耳蔵の暴露配信は世間の話題を、一瞬でかっさらっていったが、盛り上がったのもほんの一瞬だった。
宗二にいじめられ屋上から身を投げたという男子生徒――浅葱田康介が存命であるということが判明したからである。
浅葱田はバクロオーチャンネルに顔出しで出演。みどりちゃんこと宗二と肩を並べ、いじめられていたという過去を否定し、宗二とは今も昔も親しい友人関係であると証言した。
これにより、形勢は一気に逆転した。今度は誤情報を流した地獄耳蔵に対し、世間は猛バッシングを始めたのだ。
「地獄耳蔵もバカだよねえ。せめて、本当に20年前に飛び降りた生徒がいたかくらい調べるでしょ。その基本的なところを確認しないなんてあり得ない……あ、それは千里クンも同じか──」
にたりとした猩野の顔を、千里は睨み返す。
地獄耳蔵は自分たちは偽の情報を握らされただけで、誰かに嵌められた側なのだと現在も主張しているが、世間のほとんどの人はもう彼らに興味を抱いていない。世間の関心の中心はこの1ヶ月、週刊アタックが立て続けに取り上げた、大規模な政治家の汚職事件に向けられていたからだ。