暴露系

 

 呼び出されたのは、チェーンの大衆居酒屋だった。わざとらしい昭和テイストの趣向を前面に押し出した店内は、昼間だというのにいつもそこそこ混んでいる。たどたどしい日本語で何名かと訊いてくる東南アジア系の女店員を無視して、せんは店内の一番奥の個室に迷わず進んでいった。指定されたわけではないが、そこがいつもの場所だった。
「よお、千里クン。お疲れ」
 ひらひらと手を振りながら、白いシャツを着た男が中ジョッキの残りを飲み干した。呼び出した張本人であるその男——しようは、一見すでに出来上がっているようにも見えるが、普段から赤ら顔をしているため本当に酔っているのかどうかは見た目だけでは判断が難しい。
 千里は猩野の斜向かいの席に腰をかけた。テーブルの上には刺身やら枝豆やらが載せられた皿が、雑然と並べられている。メニューを手に取ろうとしたタイミングでさっきのアジア系の女店員が来たので「ウーロン茶」と伝える。
「あ、追加でコレとコレね」
 猩野はメニューを指差して、店員に見せる。
「よく食べますね」
「ボクね、欲張りなんだよ。アレもコレも、欲しいものはとりあえず全部手に入れておきたいの」
 店員はご丁寧に注文を繰り返した後、下がっていった。
「千里クンは呑まないの?」
「これからまた戻って仕事しなきゃいけないんで」
「へえー、流石売れっ子配信者だねえ。お忙しいようで何より」
 猩野は千里をじっと見つめたまま、突き出しのもずく酢をずるりと吸った。
 相変わらず不快な男だと、千里は内心で舌打ちする。角ばった顔に四角い黒縁の眼鏡をかけた男は、身体だけでなく顔のパーツも大作りだ。目も鼻も口も耳も、整ってはおり十分男前の部類に入るものの、どうにも繊細さを欠いたような、雑に削り出したままで仕上げをしていない、未完成の彫刻のような印象を受ける。
「……で、何スか? 急に呼び出した理由って?」
「いや、最近会ってないなって思ってさあ……どう?」
「どうって……まあ、普通です。悪くはないんじゃないっスかね」
 答えながら、千里は手元のメニューに視線を落とした。手書き風のフォントは津々浦々の名産品を使用した様々な料理を記していたが、そのどれにもそそられなかった。メニューを吟味するふりをしながら視線を僅かに上げると、猩野はいつものように張り付けたような笑みを作りながら、千里をじっと見つめていた。
 相変わらず、極端にまばたきが少ない男だった。千里をまっすぐに見つめて全てを見透かそうとしてくる。そのことを特段隠すつもりもないような、獲物をじっと狙う爬虫類のような男——。それが千里の、はじめて会ったときから変わらない、猩野という男に対する印象だった。
 油断すればこちらが丸呑みにされてしまう——。千里は、この男には隙を見せてはいけないと警戒していたが、そのことすら見透かされているようだった。あくまで対等であるようにと、舐められないように振る舞い虚勢を張ってきたものの、やはり人生経験や踏んできた場数の違いだろうか。どうにも猩野のペースに持ち込まれることが多かった。
「やっぱりそっちは景気いいみたいだねえ。出版ギョーカイなんかと違ってさ。猫も杓子も配信者……時代かねえ。ボクも始めてみよっかなあ」
 まばたきもせず心にもないことを、大型の爬虫類のような男は千里に言ってくる。千里は愛想笑いのひとつもせず、ふん、と鼻で笑う。
 さっきとは別の外国人の女がウーロン茶を運んできた。雑に目の前に置いてそそくさと出ていく様子を、猩野は視線だけで追っていた。
「……まさかそんな話をするために呼んだんじゃないでしょう? いいから早く用件を」
 千里は薄いウーロン茶に口をつけながら、猩野を睨んだ。毎度の事ながら、この男と話していると調子がおかしくなってくる。千里の調子を乱すような言動をして、自分のペースに持ち込もうとするのははじめて会ったときからだ。最近は苛立ちを隠せる程度にはなったが、初めの頃はまんまと猩野のペースに乗せられて結果的にうまく使われてしまうことも少なくなかった。
 猩野は写真週刊誌『アタック』の記者だ。正確な年齢はわからないが、おそらく三十代から四十代。一見して軽薄そうな男だが、話している間もまるで隙を見せない、信用も油断もならない人間だ。一方で記者としてはそれなりの場数を踏んでおり、人脈とそれにより形成した情報網を持っていることから、千里は嫌悪感と共にある種の畏敬の念を密かに抱いていた。
「せっかちな男は嫌われるよ、千里クン。こう、どんとさ、構えてる感じが大事なの。そうすりゃ必要な情報は向こうからこっちに飛び込んできてくれるもんよ。これ、センパイとしてのアドバイス。職業は違うけど、まあ実質同業みたいなもんでしょ? ボクら」
「同業……ねえ」
 冗談じゃねえ――。思わず鼻で笑いそうになるのを、千里は堪える。他の連中はともかく、少なくとも自分たちは違うという自負が、千里にはあった。
 千里が弟と暴露系配信を行うチャンネルを開設して、もうじき四年目になる。有名人から一般人まで、家庭内や学校、職場でのいざこざから社会全体を震撼させるようなありとあらゆるスキャンダルまで。それらの情報を視聴者から募り、ネットで全世界に暴露する——。それが、俗に言う暴露系配信者だ。
 暴露系配信者によって暴かれたスキャンダルはネットで瞬く間に広がる。SNS上では、毎日のように暴かれた誰かが炎上し叩かれている。自分にはおよそ関係のないところで起きたスキャンダルにも、皆熱心に怒り、同情し、各々の狭い視点からの勝手な正義を叫ぶ。暴露され悪と認定された者には、世間は容赦ない。正義という名目を得た大衆は、匿名という仮面を被り、安全な対岸から石を投げるのだ。それらの対象は日毎に変わる。猛烈に叩かれていた者が、別に『叩かれる者』が現れたことで急に忘れ去られるということは、特段珍しくもない。それは現代社会において、ごくごくありふれた光景となっている。
「同業って言ったのが気に食わないって顔してんね?」
 ぎょろりとした双眸を向けられて、千里は内心怖気づく。猩野に思考を読み取られたと思ったことは、何度かあった。その度に、まるで脳の表面をざらりとした舌で舐められたような不快感を味あわされている。
「…………」
「ははっ。たしかにそういう暴露系は多いよねえ。自分たちのやっていることは正義だ――とか本気で思い込んでいる輩はたくさんいる。週刊誌を『金儲けのことしか考えていない』って敵視しているような配信者も少なくないし……。千里クンもそっち側?」
「別に……。アンタとは同業だと思ってないし、自分たちのことを正義の側とも思ってませんよ。ただ……」
「ただ……何?」
「俺らは自分を必要悪だと思っている。別に金儲けの為にやっているわけではない。ましてや悪目立ちしたいからやっているわけでもない……。だから、アンタとも他の暴露系の連中とも一緒にしないでほしいね」
 自分たちは他の暴露系や、まして週刊誌記者などといった下衆な人間とは違う——。それが千里たちが持つ信念であり、活動の指針となっていた。
「はははっ、やっぱ面白いね、キミ。ボクが見込んだだけのことはあるよ」
 猩野はまるで笑っていない目で、乾いた笑い声をあげた。どうにも苦手な男だ——と、千里は不快感を露わに睨み返す。
 猩野とはとあるタレコミの裏ドリ中に知り合った。以来、互いの持つ情報を取引きして持ちつ持たれつの関係が続いている。千里は猩野を信用しているわけではなく、それは猩野の方も同様に思えた。
「いいから用件を言えよ。アンタと話していると疲れる」
「ははっ、楽しすぎて疲れるって意味? まあ、いいか……千里クンさ、バクロオーって知ってるよね? 『バクロオーチャンネル』」
「知らないわけないだろ」
 バクロオーチャンネルは、数ある暴露系配信のチャンネルの中でも、トップクラスの登録者数と再生数を誇っている。チャンネル主催者である『みどりちゃん』という男の軽妙な語り口から、幅広い層の支持を得ており、熱烈な信者を多く抱えていることで知られている。一方で、提供された情報の裏ドリが甘いことでも知られ、誤った情報をそのまま配信してしまうことがこれまで何度もあった。そのことから信者と同等かそれ以上にアンチを抱えている配信者でもある。
「ま、知らないわけないよね。暴露系界隈の超有名配信者。登録者数は確か、100万人は軽く超えてるし……千里クンたちのチャンネルは今何人だっけ? 30万人くらい?」
 猩野は本当は知っているような口ぶりで、煽ってくる。
「……12万人」
「あれ、まだそんなもんだった?」
「別に……登録者数を増やすことを目標に活動してるわけじゃないんで」
「でもさ、配信者にとっては登録者数って大事じゃない? ボクらにとっての発行部数くらいにさ。決して軽視していいもんじゃないよね」
 たしかに、猩野の言う通りだった。多くの配信者は、登録者数を増やすことを目標に活動している。登録者数が増えれば増えるほど再生数は伸びる。目に見えるわかりやすい指標だ。特に暴露系配信者は、その登録者数がある種の信頼度の目安となっている部分もある。何かの告発をしたいと考えるのであれば、より多くの視聴者に見られているチャンネルに情報を提供するというのは、自然なことだろう。
 千里たちにとっても、登録者数を増やすことは目下の課題であった。
 チャンネルを運営することに対し、千里たちには強い目的意識がある。他の暴露系たちのように、とにかく悪目立ちをしたいとか、金を荒稼ぎしたいわけではない。自分たちが定めた大義と自分たちに課した役割——。ただそれを全うするためだけに、二人は活動している。
 それは誰にも言っていない。千里たちだけの秘密だった。他のスタッフはもちろん、目の前の蛇のような眼をした男にも。
「……嫌味を言われるためだけに呼んだなら帰るけど」
「まあ、待ってよ。今話すからさ——」
 千里が席から腰を浮かせるのを、猩野は手で制する。
「——キミを呼んだのはさ。暴露して欲しいのよ。その『バクロオーチャンネル』の主、みどりちゃんのことを」
「は?——」
 個室の戸がいきなり開く。「オマタセイタシマシター」と、元気よくアジア系の店員がイカの姿焼きとだし巻き玉子を運んできた。店員が席を離れるのを見計らって、千里は訊き返す。
「——バクロオーのみどりちゃんを? 一体どんな暴露ネタなんだ?」
「わからない」
 イカをくちゃくちゃと咀嚼しながら、猩野は答える。
「わからないってなんだ?」
「いや、ついこの間、急に編集部にメールが来てさ。なんでも『バクロオーチャンネルのみどりちゃんについて、奴を失脚させ追放できるくらいのヤバいネタを持っている。知りたいのなら直接会いに来い。対面で全部話してやる——』ってさ」
「……それで、会いに行ったのか?」
「いや、行ってないよ……まだ、ね」
 千里の頭に、嫌な予感が走る。
「まさか、俺にその情報提供者に会いに行けって話じゃないだろうな?」
「……ダメ?」
 にやりと不気味な笑みを浮かべる猩野を、千里は不快感を露わに睨み返す。
「アンタにタレコミがあったのなら、アンタが行けばいいだけの話だろう。だいたい、俺に何のメリットがあるんだ? 別にもう、小遣い程度のはしたがねなんていらないし」
 チャンネル立ち上げ当初は金にも情報にも困っており、いたし方なく猩野の小間使いをすることもあった。しかし、チャンネル登録者数が増え独自の情報網の形成に成功した今となっては、この男の使いっ走りをするメリットはほとんどないように思えた。加えて、猩野に使われるということ自体、あまり気分のよいものではなかった。
「それは、さ。ボクもほら、今別件で色々忙しくってさ……。情報提供者がいるところに行ってる暇ないぐらいにもう、手が回んない状況なのよ」
「こんな場末の居酒屋で駄弁だべってる暇はあるのに?」
「もう……イヤミなこと言わないでよ。これはほんの息抜きだよ」
 言いながら、猩野は懐から茶封筒を出して千里の前に滑らせてきた。見た感じの厚みはそこそこある。千里は封筒には手を触れずに続ける。
「……こんな端金で俺に情報を獲らせて、それをアンタんとこの『アタック』がすっぱ抜くって話か? 悪いが、断るよ」
「何、足りない? 相談次第でもっと出せるけど……」
「そうじゃない。金には今はそんなに困ってないんだ。だからいくら積まれようが……」
「情報はそのままキミたちが暴露すればいいよ」
「は?……」
 予想外の言葉だった。猩野が一瞬、意味ありげな笑みをこぼしたのを、千里は見逃さなかった。
「ボクのとこの『アタック』ではそのネタは取り上げない。情報提供者から得た情報は、キミたちのチャンネルで暴露するといいよ」
「……どういう腹づもりだ?」
 千里は猩野を睨んだ。
「いやだなあ。そんな勘繰らないでよ。アタックでは近々別件で、結構でかい特ダネの記事を出す予定があってさ。紙面をみどりちゃんに割く余裕がないんだよ。いくら大物の暴露系とはいえ、所詮はいち配信者に過ぎないし、たぶん大したネタにならないって踏んでるんだよ。でも、もしこのままボクが会いに行かなかったら、提供者は別の週刊誌や有象無象の暴露系配信者にタレ込むだろう? それはそれでちょっとさ……何というかイヤなわけ。だったら前々から付き合いのある千里クンたちに暴露してもらったほうがいいかなってさ。ほら、ギブアンドテイクっていうじゃない。キミたちには色々世話になったからね。そのお礼も兼ねての……お礼だよ」
 大きな口を、ぐにゃりと曲げて猩野は笑ってみせた。舌先が二又に分かれているのではないかと、錯覚してしまいそうになるくらいに、その相貌はまさしく蛇を彷彿させるものだった。
「……そのタレコミ元の奴は、信用できるのか? 単なるいたずらって可能性もあるだろう?」
「ネタが本当かどうかは直接確かめてもらうとして、ネタ元の人物に関しては……おそらく大丈夫だと思うよ。わざわざ自分の免許証の画像ファイルを添付してきたから。身分を隠すつもりはないってことだろうし」
「その人物ってのは一体……」
「バクロオーチャンネルの主、みどりちゃんの……実の兄だよ」
 
 居酒屋を出ると、空はすっかり暗くなっていた。飲み屋街のけばけばしい看板の明かりと、行き交う車のヘッドライトが、蛇男との会話ですり減らした千里の神経を逆撫でするようだった。
「いやあ、経費で呑むって最高だね」
「……どうも。ゴチソーさまです」
 千里はぼそりと返す。
「それにしても、引き受けてもらえてよかったよ。やっぱり、ボクが見込んだだけのことはある」
「そりゃどうも……」
「弟クンとは最近どう?」
「どうって……別に普通ッスよ」
「そう……相変わらず仲が良いようでなにより……」
「何が言いたい?」
「いや、別に……」
 意味ありげな物言いと、にたりとした眼つきが気になったが、千里は深く追及する気にも考える気にもなれなかった。猩野と会って会話するたび、千里はひどい疲労感を覚える。元来、本質的にこの男のことが苦手であり、仕事上の付き合いと割り切っていても油断ならない人物であると、本能的な部分で常に警戒していた。もっとも、猩野の方は千里たちを妙に気に入っているようで、そのことがことさら不快だった。「ああ、ところでさ??」と、猩野は思い出したかのように付け加える。
「キミたちのチャンネルのさ、顔出ししている子……何って言ったっけ? モデルだかタレント崩れの女の子……」
「『ぎゅーちゃか』ですか? アイツは声優崩れッスよ」
「ああ、そうそう。ぎゅーちゃかちゃんね。あの子さ、今度紹介してよ。結構ボクの好みなんだよね」
 ぎゅーちゃかは元はそこそこ人気のある声優だったが、あるスキャンダルのせいで業界から追放され、底辺の配信者をして日銭を稼いでいた。そこに目をつけた千里たちがスカウトし、以来今日までチャンネルの顔出し役として雇っている。そこそこの容姿と無駄に良い声と滑舌以外、特段秀でた能力のない女——というのが、千里の評価だった。金さえ払っていれば余計なことはせず大人しく言うことに従ってくれるので、そういう点では非常に重宝する女だ。
「嫌ッスよ。あれでもうちの看板娘なんだから。アンタに変なこと吹き込まれたらたまったもんじゃない」
 ぎゅーちゃかの頭の出来はお世辞にも良いとは言えない。実際騙されたことは一度や二度ではないようで、その経験から反省したのか変な野心や欲をかかず「本人なりに」慎ましやかな生活をするように心がけているのだという。千里たちから十分すぎるほどの金額を貰っているためか、今のところ非常に従順だ。しかし猩野の口車に乗せられてしまったら、自分たちに対して裏切り行為をしないともかぎらないと、千里は警戒していた。
「そんなことしないよー。ま、いいけどさ。それじゃ、手順とかはさっき話した通りで、明後日会いに行ってちょうだい。刺激的な暴露配信、期待しているよ」
 手をひらひらとさせて、猩野はくるりと背を向けた。そのまま駅の方角へと二、三歩進んでから、突如ぐるりと振り向いてきた。
「あ、そうそう。千里クンたちのお父さんが亡くなってから……もう10年……だっけ?」
「……なぜ知ってる? 誰から訊いた?」
「ダメだね。そんなわかりやすく動揺を顔に出しちゃあ……まだまだだね」
「質問に答えろ」
「答えるには信頼度が足りないね。千里クンさ、そんな強がってばかりじゃダメだよ? 他人の信用を得るにはさ、もっと自分の弱みを見せることも大事だよ。これ、前にもアドバイスしたよね?」
 クククっ、と喉元を鳴らして、猩野は夜の街を行き交う人々の中に姿を消した。

 

(つづく)