暴露系
「──まあ、バカな連中のことはさておき……。さて、千里クン。聞かせてよ。ボクの目的は一体なんだったのでしょう?」
試しているような口ぶりにイラつきながら、千里は必死に平静を装う。
「さっきも言ったように、アンタの目的は俺を嵌めること。ガセネタを掴ませそれを配信させることで、俺を暴露系界隈から追放する──。そうだろう?」
「うん、まあ正解……かな」
「でも、その目論見は外れた。俺はガセネタを配信しなかった」
「それは別にいいんだよ。ボクの目的は今のところ、順調に運んでいる。その証拠にほら、キミはこの2ヶ月間、配信をしていないだろう? 一体どうして?」
「それは……」
「明白なことだ。キミは今、配信したくともできない状況にあるから──そうだろう?」
千里は無言のまま猩野を睨んだ。
「──ダメだなあ。前にも注意したけどさあ。キミは表情に色々出過ぎだよ。もっと気をつけないと──」
猩野はごくりと喉を鳴らして、ジョッキを空にした。ベルを押して店員を呼ぶ。
「──じゃあさ。緑川寛治の目的を訊いてもいいかい? あの男は一体何が目的だったのかをさ……」
「それは──」
「ゴチュウモンドゾー」
注文をとりにアジア系の店員が入ってきたため、千里は一旦押し黙る。
「えっとハイボールとホタルイカの煮物、それから……千里クンはなんかいる? あ、じゃあそれだけ」
店員がいなくなったのを見計らって、再び口を開く。
「──寛治は家族と仲間の為に動いてたんじゃないのか? 奴があの日俺に話したことは、丸っきり嘘だったんだ──」
暴露は、宗二への腹いせだと、寛治は言った。家族に捨てられ余命宣告を受け、人生に絶望しての依頼だと言った。そして、いじめにより浅葱田康介が亡くなったのだという、ありもしないことを言った。わざわざそれらしく拵えた偽の証拠──ノートに綴った偽の真の遺書を見せながら。
「──家に入ったときから違和感はあった。病人の男やもめの住まいにしては、やけに掃除が行き届いているように見えたからだ。家事代行を頼んでいると本人は言っていたが、どこか違和感は拭いきれなかった──」
千里は自分でも説明することのできない、違和感に対する妙な勘が冴えていた。そしてその勘は往々にしてよく当たる。
「──ゴミ箱に、使用済みのオムツがあったんだよ」
「オムツ?」
「ああ。本人が自分でしていると言っていたから、使用したオムツが捨てられていてもおかしくはない。でも、そこに違和感があった。あったんだよ、大人用のオムツの中に紛れた、乳幼児サイズのものが──」
その中に手を突っ込むのは、中々勇気がいることだった。
「──みたところ乾き切っていないものだった。古いものではなく、その日の朝に取り替えたんだろうと推測できた。寛治は2ヶ月ほど前に妻子が出て行ったと言っていた。だとすれば乳幼児用のオムツがあるのは、どう考えてもおかしい。なら、こう考えた方が自然だ。寛治の妻子は現在も共に生活している──と」
猩野は相変わらず蛇のような顔をにやつかせている。
「寛治がついた嘘はそれだけではない。弟、宗二に関してもそうだ。寛治は弟にチャンネル運営から追放されたと言っていた。元より自分は役立たずで、チャンネルの主導権は宗二が握っていた──と。それ自体が嘘だったんだ。寛治は運営から追放されていなかった。それに役立たずでもない。実際の運営は寛治が中心となっていて、宗二や他のスタッフは彼なしじゃ何もできない──そうだろ?」
眼鏡のレンズの向こうで、猩野が僅かに目を見開いた。
「へえ、すごいね……どうやって知ったの?」
「舐めるな。自分の力で調べただけだ」
はったりだった。
「やるじゃない……。キミ一人なのに」
不敵に笑みを浮かべる蛇男を殴りつけてやりたい衝動に駆られながら、千里は続ける。
「寛治の真の目的は家族と仲間たちを守ることだった。あの様子から見て、余命いくばくもないことは真実なのだろう。遺された妻子と弟たちの生活のために、バクロオーチャンネルを続けることは必要不可欠だった。しかし、これまでほとんど寛治のワンマンにより運営してきたことで、宗二たちに任せることに不安があった。実際、寛治抜きじゃ何もできないんだろう。魑魅魍魎が跋扈する、薄暗い世界に網を張って生きなきゃいけない。寛治という舵取りがいないんじゃ、どうにもできないと、宗二たちも思ってたんじゃないのか。だから寛治は、アンタに相談した……」
猩野は不敵な笑みを浮かべたまま、枝豆を口に放り込んだ。
「いいよ。続けて」
「……アンタと寛治がどういう関係だったのかは知らない。おそらくアンタは、俺と同じような感じで、適度に餌を与えながら寛治のことも上手く使っていたんだろう。友好とまではいかなくとも、持ちつ持たれつの関係だったはずだ。寛治は藁にもすがる思いで、アンタに相談しにきた。それで、アンタは寛治と取引したんだ」
「取引?」
「寛治はアンタにバクロオーチャンネルの運営を任せようとしたんじゃないか? アンタなら記者としての経験もある。無能な弟たちに任せるよりははるかに上手くいくと踏んだ。そして運営を任せる代わりに、妻子と弟たちを養ってくれ──という風に」
「それで……ボクはその申し出を受けたと?」
「アンタにとっても悪い話じゃないはずだ。莫大な報酬もそうだが、バクロオーチャンネルの情報網は、魅力的だろう? 記者としては喉から手が出るくらい欲しいはずだ」
「それはキミにとっても同じじゃないのかい?」
「否定はしねえよ」
千里はにやりと笑ってみせた。
「仮にボクが寛治からその依頼を受けたとして……。じゃあ、キミにガセネタを掴ませたのは、一体どうして?」
「さっきも言ったが、アンタの目的は複数あった。一つはバクロオーチャンネルの実権を握ること。これは棚からぼた餅くらいの僥倖だったのだろう。その僥倖を生かすために、アンタには必要不可欠なものがあった──人材だ──」
猩野はくちゃくちゃとホタルイカを咀嚼しながら千里を見つめていた。相変わらず極端に瞬きが少ない。
「──アンタにはチャンネルを運営するための人員が必要だった。宗二とか他の連中みたいな使えない無能ではなく、有能な人材が。いくらアンタでも、一人で全てをこなすことは不可能なはずだ。記者として働きながらやるならなおさら有能な手足は必要となるはず……。アンタはそれが欲しかったんだろう? 有能な手足になる人間──俺と順のことが」
猩野がふ、と鼻で笑った。視線は千里に向けられたまま、ゆっくりと口だけが動いていた。
「いいよ。その調子……で、ボクは何をしたんだい? 説明してみせてよ」
「アンタは俺を自らの配下にするため、ガセネタを掴ませることを思い付いた。俺が引っ掛かりまんまと配信してしまった場合、俺の立場は無くなる。今の地獄耳蔵のように。だが、俺は警戒心が強い。何より自分の眼で見たものだけを信じる主義だ。アンタもそのことを知っていただろうし、そのまんま作戦に引っかかる可能性は低いと踏んでいたはずだ」
「そうだね。ボクは千里クンのことを高く評価しているからね。馬鹿正直にデマを流す可能性は低いなって思ってたよ。そこんところは、あらかじめ想定済みだよ。キミがどうもあのデマを配信する気はないとみたから、ボクが地獄耳蔵に流したんだ──」
ごくりと、喉を鳴らして酒を流し込む。
「──あのデマを作るのに、結構考えたからね。もったいなかったんだよ。キミが乗らないなら有効活用しようと思ってさ。地獄耳蔵はバクロオーチャンネルを敵視していたからね。将来的に邪魔になりそうだったから、このデマを使って潰しておこうと思ったんだ」
「……つまりアンタは俺が引っかからないことを想定し、別のプランも並行して考え遂行していた……。なあ、いつからだ?──」
千里は唇を噛む。
「──いつから弟は……順はアンタの側についていたんだ?」
個室の扉の向こうから、ガヤガヤと賑やかな声が遠のいていく。不快で奇妙な静けさが、個室の中で充満していく。
猩野は満足そうな笑みを浮かべ、ごくりと何かを呑み込んだ。しばらく動かしていた顎をようやく止めて、獲物を捉えた蛇の視線を千里にぶつけてきた。
「あの日、アンタに電話をかける前、俺は順に電話をしていた。そこで順は『たしかに20年前、浅葱田康介という生徒が飛び降り自殺していた』って言ったんだ。その後に、宗二の同級生である山田って奴にコンタクトをとって会う約束を取り付けたのも……全部、順が手配したことだった……。そして山田に会いに行ったら待ち伏せされていた……」
「ああ、あれを彼に指示したのはボクだよ。ちょっと痛い目を見れば、落ちやすくなるかな……って。まさか一人で10人やっちゃうなんてね……。安い半グレってホントダメだね」
雇われの半グレは、当然依頼主の詳細など知るはずもなかった。
「いつからだ? いつから順は……」
「完全にこっちに寝返ったのは、2ヶ月前。キミと居酒屋で会った次の日に連絡したんだ。そのタイミングで今回の計画に誘ったんだよ。まあ、その前から弟クンとは密かに仲良くさせてもらってたんだけどね」
「……一体どうやって、弟を唆したんだ?」
「ははははっ!──」
突如、ボリュームが壊れたような大声で、猩野は笑った。
「――どうやって? はははっ。キミは本当に弟クンのことを信頼しているんだね」
「……どういう意味だ?」
「彼の方からボクに近づいてきたんだよ。順クンね、色々相談してきたんだよ。自分たちのこと、お父さんのことを打ち明けてきてさ。それで暴露系を始めたってことも全部話してくれたよ。素直な良い子だねえ。本心をまるで見せないキミとは大違いだ。順クン、こう言ってたんだよ。『正直、兄にはもうついていけない。必要悪だとか何とか言ってるけど、正直そんなことどうでもいい。死んだ親父のこともどうでもいい。ただ手っ取り早く金を稼ぎたい。あわよくば顔出しして有名になりたいんだ』ってさ──」
猩野の赤ら顔が、より紅潮していくように見えた。千里は目を見開いたまま声を発せずにいる。
「──やっぱ兄弟でもちゃんと話し合わなきゃだめだよ。信頼しあえているって思い込んでたみたいだけどさ。キミはずっと必要悪になるんだとか言って、ご立派な使命感で動いていたみたいだけどさあ……。そんなの独りよがりの迷惑だったみたいよ?」
「そんな……嘘だ……」
「ボクの最初の目的はね、キミら兄弟を二人ともチャンネル運営に使うことだったんだ。でも、順クンの方が兄と一緒はイヤだって言うもんだからさあ……。それで、兄弟を別々に使うことを思い付いたワケ」
「……別々?」
「そう。順クンの方は手厚い待遇でチャンネル運営に。すでに宗二クンたちのリーダーとして動いてもらってるよ。彼のネット上での情報収集能力と情報網構築には目を瞠るものがあるからね。キミは腕っ節が強いから現場でリサーチャーみたいなことを頼もうと思ってたんだけど、弟クンが断固拒否したから……。だからキミからチャンネルを奪った上で、ボクが個人的に使ってあげようかなって思ってたんだよ。結局チャンネルは潰れてないけどさ、順クンがいなくなったんじゃもう満足に運営できないでしょ?」
「……嵌められたんだ」
千里がぼそりと呟く。
「いやあ、こっちもできればこんな真似したくなかったんだけれどねえ。でもキミ頑固で心開いてくれないじゃない? だから致し方なく……ね? ああ、安心して。さっきも言ったとおり、キミはボクがリサーチャーとして個人的に使ってあげるからさ」
「嵌められたんだよ……」
「大丈夫。頑張って結果出せば契約社員くらいにはなれるかもしれないから……」
「嵌められたんだよ」
「いや、そのことはごめんって……」
突然、個室のドアが勢いよく開けられた。
「ごめん、千里。遅れた」
そう言って順は、千里の隣に腰をかけメニューを見始めた。
猩野は状況が呑み込めていないようだった。ぎょろりとした目が、あちこちを彷徨っている。
「え、なに……いきなり……」
「だから、嵌められたんだよ──」
千里が笑う。
「──俺じゃない。アンタが嵌められてたんだ」
「ゴチュモンドゾー」
静寂を破るように、店員が注文を取りに来た。
「生中二つ」
順が伝えると、店員は下がって行った。
「俺、呑まないけど」
「いいじゃん、今日くらい」
順は鼻歌混じりに出されたおしぼりで手を拭き始める。
「…………いつからだ?」
しばらく黙り込んでいた猩野が、ようやく口を開いた。いつもの赤ら顔が、心なしか少し青ざめているかのように見える。
「……最初っからだよ。アンタの怪しすぎる依頼を受ける、ずっと前から」
千里は鼻で笑う。
「たしか……1年ほど前だった? 僕から猩野さんに連絡して会ったときからですよ」
穏やかに微笑みながら、順が補足した。
「……なるほど。最初っから、ボクを騙すために動いていた──ってことか」
「そう」
「つまり、順クンがボクに話した千里クンへの不満は……」
「ほとんど嘘ですね」
「ナマチュウデース」
千里と順の前にどすんとジョッキが置かれた。
「ほとんどって……お前……」
千里が訝しむ視線を順に送る。
「冗談だよ」
順は意味ありげに微笑んだ。
「キミたちの目的は一体何? まさか、ボクをからかうことじゃないだろう?」
「ええ。僕たちが欲しかったのは情報網です。ベテランの記者であるあなたのものと、そして暴露系界隈上位のバクロオーチャンネル──。運良くタイミングが重なって、この二つを同時に手に入れちゃいました」
猩野の懐に入れ──。
順にそう命じたのは、他でもない千里だった。
猩野が持つ情報網と人脈は、二人にとって非常に魅力的なものだった。だが猩野は隙のない、一筋縄でいかない人間だった。千里は自身が警戒されていることを承知していた。だから、弟の順に自身を裏切るフリをするように提案したのだった。猩野は初めこそ順を警戒していたようだったが、いくつか情報を提供していくうちに、徐々に順を信用するようになっていった。そして信頼を得たタイミングで、寛治から例の依頼が猩野に飛び込んできたのだった。猩野が順を計画に誘ってきたのは、二人にとって、まさしく僥倖だった。
「アンタよく、俺にこう言ってたよな。『他人の信頼を得るには、自分の弱みをみせるべきだ』って。それを順に実行させたんだ」
順には、自分たちの境遇と父のことを打ち明けさせたのだ。弱みをみせてきたと勘違いした猩野は、順を従順な手駒として信頼し始めたのだった。
「じゃあ、あのときボクにお父さんのこと言われて驚いていたのは……」
「芝居だよ。アカデミー賞もんだったろ?」
「あはは……参ったなあ、こりゃあ……上手いこと転がしていたと思ったら、まさかこっちが転がされているなんてさあ──」
先ほどまでとは違い、少しは余裕が出てきたらしい。猩野の口調がいつものように戻っていた。
「──でも、キミたちの思い通りにはならないよ。ボクにも一応、それなりのプライドってものがあるからね。キミたちの下僕になるつもりも義理もないし」
「嫌だなあ。僕たちは別に猩野さんを顎で使おうだなんて考えていませんよ」
「そうそう。これからはお互いあくまで対等に付き合いましょう──って。そういう話をしてるんッスよ」
「はっ……対等、ねえ」
猩野は椅子の背にもたれかかる。
「嫌ならいいですけど……。やっぱり、猩野さん一人じゃバクロオーチャンネルまで手が回らないと思いますよ? せっかく手に入れた情報網なんです。僕たちで共有して有効活用していきましょうよ」
「ははっ、うん。やっぱり好きになれねえや……。キミたち暴露系って奴らはさあ……。油断も隙もありゃしない」
そう言って、猩野は空になりつつあるジョッキを握る。
「ここは乾杯──といきますか?」
千里が手付かずのジョッキを持ち上げた。
「いや、献杯でいこう──」
順が半分ほどになったジョッキを手にする。「──さっき、緑川寛治が亡くなったみたい。これで正式にバクロオーチャンネルは僕らのものだ」
三つのジョッキが静かに掲げられた。
「……キミたちもさあ、どうせロクな死に方しないと思うよ?」
猩野の言葉を千里は鼻で笑う。
「アンタよりはマシだと思いたいね」
「真面目な話さ、暴露系なんて辞めてボクのところ来ない?」
「嫌だよ」
千里の隣で順も頷く。
「いやあ、暴露系なんて所詮は私刑だよ。いくら持ち上げられていたとしても、悪意に満ちた大衆に悪意の餌を投げる給餌係にすぎない。今は誰かしらに支持されていたとしても、待っているのは等しく破滅だと思うけどねえ。君たちがいくら理想を掲げてもさ、いくら必要悪だと名乗っても、末路はどうせ悲惨だよ」
「それでもやるさ」
千里はとっくに腹を決めていた。
「やってることは週刊誌も一緒なのでは?」
順がジョッキを空にしながら笑った。
「こっちはマスメディアっていう印籠があるからね。君らよりはましだと思う」
へらへらする猩野に、千里と順は呆れた視線をぶつけた。