暴露系

 

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 猩野の姿が見えなくなったことを確認してから、千里はその場で端末を取り出し、電話をかけた。
『もしもし』
 電話口の向こうから、聞き慣れた弟の声が伝わってきた。
じゆんか?」
『どうだった?』
「今終わった──」
 千里は猩野からの依頼の概要を口頭で説明する。
 暴露系配信者バクロオーチャンネルのみどりちゃんに関する情報を握っているという人物──みどりちゃんの兄を名乗る人物に直接会いに行き、情報を得てくる。そこで知り得た情報は、自分たちのチャンネルで暴露してもいい──ということを。
「──まったく、妙な依頼だよ。得た情報を元に先に暴露していいだなんて……気前が良すぎる」
 いつもであれば端金でリサーチャーのようなことをさせるのが常だったのに、今回に限って急に花を持たせるような真似をしてくるのは、どうにもうさんくさい。
『たしかに、別件の記事で誌面が割けないから──ってのは、なんか怪しいね。その号で載せられなくても次の号に回せばいい。たしかに他の暴露系とかライバル誌にすっぱ抜かれる可能性はあるけれど……。その情報がガセである可能性が高いから、僕たちに投げたっていうことかな?』
「いや……詳しくはわからないが、奴の口ぶりからして情報元の信憑性には確信を得ているみたいな感じだった」
 だからこそ、なおさらおかしい。記者であるならば、とりあえず話だけでも聞きにいくのが普通なのではないのか。
『……怪しいね。猩野の言うことを素直に信じるのはあぶないと思う』 
 順も千里と同意見のようだった。
「ところでさ、もう10年も経つんだな……親父が死んでから」
『そうだね……それが、どうしたの?』
「いや……ただ、確認しただけだ」
 千里と順の兄弟は、とある地方のごく普通の家庭で生まれ育った。二人がまだ幼い頃に母が病気で亡くなり、父が男手一つで兄弟を育ててくれた。
 一般的にみて充分すぎるほど幸せといえる家庭に転機が訪れたのは、二人が中学生のときだった。
 父が勤める食品加工会社による、食中毒事件が発生したのである。死者を多数出し、さらに内部告発者によって会社ぐるみで食品の消費期限偽装が行われていたことが発覚する。事件は当時、社会問題にまで発展した末、多くの訴訟を抱えたまま会社は倒産。全国で数千人を超える従業員は職を失い、路頭に迷うこととなった。千里たち一家も言うまでもなく厳しい状況となったが、それは単に職を失ったことだけが要因ではなかった。
 不正を内部告発したのは、父だったのだ。
 父は不正の証拠となる内部資料と音声データを、週刊誌など複数のマスメディアに提供した。そのことで不正が露見することとなったのだが、同時になぜか父が告発者であるという情報までが、流出してしまっていたのだ。
 そこは小さな、何もない街だった。その会社の工場があることで千人以上の雇用を生んでいた。千里たちの家がそうだったように、学校にいる生徒のほとんどの親は、工場かあるいは関連会社に勤めていた。
 一家は周りから責め立てられた。白眼視されるのはまだいい方で、時には学校で突然数人に囲まれリンチされることもあった。街を歩いていると後ろから石を頭に投げられることも多々あった。
 学校の人も街の人も、千里たち一家を憎んでいた。一方世間も、賞賛されるべき勇気ある告発者に対して、冷たかった。
 結局のところ、告発者もこれまで偽装に加担していたんだろう──。
 正義面してんじゃねえよ──。
 数千人が失職したのって、告発した奴のせいだろ──。
 特に匿名のネット上で交わされる言葉の中には、父を責め立てるものも少なくなかった。
 千里たちの味方は、もはやどこにもいなかった。
 そしてある日、千里は自室で首を吊っている父を発見する。
 そこからの兄弟の人生は、お世辞にも愉快なものとは言えない。親戚をたらい回しにされたあげく、二人で養護施設に入る。そこでも父のことを知られ、非道い言葉や暴力を浴びせられた。
 千里は父のことを憎みかけたことがある。
 父が告発などしなければ、これまで通り慎ましくも平穏で幸せな日々が続いていたのだ──。そう、弟の順にこぼしてしまった。
 その言葉を聞いた順は、突如千里に殴りかかってきた。殴るというよりは、弱々しくぎこちなく上げた拳が頬を掠めていった──という表現の方が正しい。しかし、同級生からの暴力などで喧嘩慣れしていた千里にとっては痛くも痒くもないはずのその拳は、ひどく効いた。
 一見して小柄で穏やかな性格の順が、そんなことをするなんて、これまで一度もなかった。
 ──父さんは正しい。間違っているのは周りの奴らだ。
 弱々しく拳をぶつけてくる弟の、痛烈な叫びに、千里は目が覚める思いだった。
 そうだ。父は間違っていない。間違っているのは世界の方だ──。
 不正を告発した者が、正しい側の者が責められるなんて、おかしい。そんなことは無くさなくてはならない。
 だから、千里と順は行動を始めた。告発者を守ることを第一に、悪事を暴露する『代行者』となるべく。
 二人は独自の情報網を作るために躍起になった。ネット上の担当は主に順が、そして現実の担当を千里がした。猩野のような記者から半グレ、そして深い闇社会に生きる連中まで──。慎重に注意深く付き合いの幅を広げていった。危険なことは数えきれないほどあったが、そのおかげでまだ完璧とは言えないが、強固な情報網を構築しつつある。
 順が玉石混淆の情報を精査し、千里が直接足を使って自らの眼で情報の裏を取る──というのが、二人の役割分担だった。その情報がガセではないのか、そして告発者の素性を決して漏らさないようにすることを念頭に、活動を続けている。
 二人は決して表へは出ない。というより、千里と順は初めから存在していない。
 千里たちは自らのチャンネルを持たない配信者だった。あくまで自らは影であるべきという方針の元、一切姿を見せずに活動を当初から続けていた。自己顕示欲まみれの、拝金主義の連中とは違う──という信念があった。
 現在千里たちがメインの活動の場としているのが、『ぎゅーちゃかちゃんねる』だ。元々は声優タレントだったぎゅーちゃかが、個人チャンネルとして立ち上げたもので、登録者数を増やすために暴露系を行うようになった──というのが表の筋書きだ。
 実際には、千里たちが密かにぎゅーちゃかからチャンネルを買い取っている。ぎゅーちゃかにはそのままチャンネルの顔として獲ってきたネタを元に暴露配信をさせ、自分たちはその存在すら匂わせない──。この活動形態に決めたのは、自分たちはあくまで影であり、本当に苦しんでいる人たちのために、必要悪として活動するのだという、決意を表してのものだった。
 この活動形態の真相を知っている者は、ぎゅーちゃかなど配信で表に立つ人物を除き、ごく僅かだった。そこには、猩野も含まれる。
『ねえ……やっぱり、行くつもり? 何か危険な感じがするよ』
「そりゃ同意見だが、今回の件は直接行ってみなきゃわからないだろう。知ってるだろう? 俺は現場に足を運んで、自分の眼で直接確かめないと気がすまない主義なんだ。虎穴に入らずんば──ってやつ」
『そう言うと思った。でも、気をつけてね。こっちでも色々調べてみるよ。バクロオーチャンネル絡みの良くない噂は、色々入ってきてるから……』
 順が千里に念を押すように言ってくるのは、互いが互いにとって残された唯一の肉親であり、この世界でただ一人の信頼できる存在だからだろう。
「わかってる──」

 Q市の中心部から車で20分ほど走ると、立ち並ぶビル群の姿は消えて、すっかりどこにでもあるような地方都市の郊外の風景となる。入り組んだ新興住宅地の狭い路地を抜けた先に、古びた家屋がひっそりと立ち並ぶエリアがあった。その中の一つが、猩野にメールを送ってきた情報提供者の家だった。
 取り立てて特徴のない二階建ての木造住宅は、パッと見たところ築40年は経過していそうに思えた。昼間だというのに、天候のせいなのかあるいは周辺の雰囲気のせいなのか、やたらと陰鬱そうな気配が漂っている。表札には『みどりかわ』と掲げられていた。
 インターホンに向かって名乗ると、数分してから立て付けの悪そうな扉が、ぎしりと音を立てながら僅かに開かれた。
 ドアの隙間の暗がりに、ぽっかりと男の顔が浮かんでいた。 
「……どうぞ」
 言われるがまま、千里は気味の悪い家に足を踏み入れた。
 リビングに通され、勧められるがまま椅子に腰を下ろした。男がお茶を出してきて座ったタイミングで、千里は名刺を差し出す。
「改めまして、本日はどうぞよろしくお願いいたします。週刊アタックの猩野です」
 今日、千里は猩野のふりをしてここに足を運んでいる。猩野として話を訊く方が色々と説明を省けるし、相手に警戒されづらいだろう──という、猩野本人からの提案だった。
 男は渡された名刺と千里の顔を数回、交互に見返した。
「……よろしく」
 ぼそりと呟いた男の顔は、一見して健康とは真逆の相貌だった。
 土気色の肌に、げっそりと痩せこけた顔と身体。骨に皮を張り付けているような男の両目は窪んでおり、生気というものをまるで感じられない。
「……早速お話をお伺いしたいのですが……。あなたは『バクロオーチャンネル』のみどりちゃんの実のお兄様……ということで間違いないんですね?」
「ああ」
「失礼ですが、まずお名前をお伺いしてもいいでしょうか? あなたと……みどりちゃんの。もちろん、本名で。それから……どうしてまた弟さんの暴露をしようと?」
「ああ、それは……ゴホッ──」
 突然、男は激しく咳き込み始める。
「──失礼」
「大丈夫ですか?」
「……見ての通り、病気でね。最近じゃ満足に動くこともままならないもんで、そちらを呼び出すかたちになってしまった……医者の宣告通りなら、あと半年ほどらしい」
「それは……なんと言えばいいのか……」
 虚ろな眼で、男は家の中を見回す。
「俺に残されたのはこの空っぽの実家だけ。何の価値もない、おんぼろ屋敷だけだ──」
 男はうわごとのように、これまでの経緯を話し始めた。
 男の名は緑川かん。年齢は35歳。弟の名は緑川そう。年齢は一つ下の34歳。二人はQ市郊外にあるこの家で共に生まれ育ったという。高校卒業後は二人ともいくつも職を転々とした後、共同で動画配信サイトでチャンネルを立ち上げる。それがバクロオーチャンネルの前身となるものだった。
 チャンネル立ち上げ当初はゲーム配信や雑談などの無難な配信内容だったが、徐々に過激な炎上すれすれの企画などが増えていった。
 彼らはより多くの視聴者を得るため、当時はまだ珍しかった暴露系配信を始めることとなる。元々他の配信者との交流も積極的に行っていたようで、そこで培った人脈を駆使した独自の情報網を形成していたようだ。はじめは配信者の個人的トラブル等小さなゴシップから始め、僅か数年で芸能関係や政治絡みのものまで多種多様な暴露を行う、界隈屈指の人気チャンネルにまで上り詰めていった。
 その有名配信者の片割れが目の前にいる──。千里にとってはどうにも不思議な感覚だった。
 バクロオーチャンネルでは、弟の宗二のほうが『みどりちゃん』として顔を出し配信をしていた。
 みどりちゃんは派手な緑色に染めた髪とサングラスがトレードマークで、その見た目と軽妙なトークで女性ファンも多い。
 兄である寛治の方は、主に編集などの裏方を担当していたという。配信に顔を出したことは一度もなく、千里も彼の顔を見るのははじめてで、兄の存在も運営に関与していることも知らなかった。
 寛治は初めから、暴露系配信をすることには乗り気でなかったのだという。しかし、暴露配信をすることにより登録者数が鰻登りに増加したことで、結果的にチャンネル名を変え暴露配信専門になってしまった。
 乗り気でなかった兄に対し、弟の宗二は暴露系になることに躊躇がなかったという。目に見える数字と入ってくる金が増えたことに、無邪気に喜んでいた。チャンネルの主導権は弟が握っていたという。人脈を作って情報網を形成したのは、全て宗二の功績だった。
「──元々、アイツにはそっち方面の才能があったんだろうな。わかるよ、ずっと一緒に育ってきたからさ。アイツは常に心の中で他人を見下してきた奴だ。アイツにとって周りの人間は自分にとって使えるかどうかがすべて。人に同情するとか、そういう感情は一切持ち合わせていない、冷酷な悪魔なんだ。もちろん、その素性を知るのは、ごく一部の連中だけだ。アイツのことをよく知らない奴には、ただの人当たりのいい好青年という風に見えているらしい──」
 その反面、自らを魅力的だと周囲に思わせる才能もあったという。暴露配信を始めてから集ったスタッフたちは、みな宗二のカリスマ性に魅せられて集まった、彼の取り巻きだった。編集やリサーチなどを専門に行う人員が揃ってからは、次第に寛治の仕事と居場所はなくなっていった。
「──今思えば、奴が仕組んだことだったんだろうね……俺の役割を奪い取ることで、居づらくさせたんだ。周りのスタッフたちに役立たずだという印象を与えて、俺から抜けると言い出させる──そういう魂胆だったんだろう──」
 時折咳き込みながら、寛治は忌々しげに窪んだ目を宙に泳がせる。
 そのときは元から活動方針に異議があったので、自らチャンネルの運営を抜ける選択をしたことに悔いはなかったのだという。当時結婚したばかりの妻を伴い、寛治は地元のQ市に戻り実家に身を寄せた。父親はすでに他界しており、病気の母を看病する必要もあった。それが今から3年ほど前のことだった。
 親類のコネで就職先を見つけた寛治は、母の看病をしながら地道に働きはじめた。配信者時代と違って大きな収入はなくなり派手な生活は出来なくなったが、大きな不満はなかったという。慎ましいが平穏な生活を送れている今の方が自分たちに合っている──。妻も含めてそういう考えのはずだと、寛治は思い込んでいた。
 次第に母の病状は悪くなっていった。介護と仕事の両立は大変だったが、妻の献身的なサポートもありなんとかやり遂げることができたという。地元に戻ってから1年ほどして、母は亡くなったが、同じ時期に妻の妊娠が発覚した。悲しみを乗り越えるために天から授かったのだと、寛治はより前向きに仕事に邁進した。
 母の死から1年経った。子供が無事生まれ、忙しくも幸せな日々がしばらく続いた。
 すべて良い方向にいく。すべて上手くいくはずだ──。
 前向きに生きていこうという想いと努力は、寛治が職場で倒れたことを機に、すべて水泡に帰すこととなる。病状は気づいた時点で進行しており、すでに手の施しようがなく、医師から受けた宣告は余命1年だった。
「宣告されてから、病の進行は早かったよ。今じゃ思うように身体が動かない。オムツを穿いて暮らさなきゃいけない日々だ……。情けなくて、涙が出てくる──」
 身体の自由が利かなくなり、仕事も辞めざるを得なくなった。そして今から2ヶ月ほど前、寛治にさらなる悲劇が降りかかる。妻が何も言わず、子供を連れて家を出ていったのだ。
「本当に、何の前触れもなかったよ……。ある朝目覚めたら、テーブルの上に離婚届と指輪が置かれててさ……。今になって思えば、疲れていたんだろうな。母の介護でも負担をかけていたし育児の疲れもあったはずだ。そこに俺が……ってなったら、我慢の限界だったんだろう。とにかく俺は一人になっちまった。この誰もいない朽ちた家の中で、一人寂しく死んでいくんだ……。ふん、自業自得と言えばそうなのかもしれないがな」
「それでは、今はここにお一人で?」
「ああ。寂しいよ。訪問のヘルパーと家事代行が来てくれるから何とかやれているが……。やはり孤独だ」
「……では、弟さんを暴露しようと思ったのはどうしてです?」
「そりゃあ、もう……単純な腹いせだよ。ヤケになってんだ。死ぬ前にアイツに嫌がらせしたい。アイツが落ちぶれるのを見てから死にたい……ってそう思ったんだ。はははっ」
 笑い声と共に、寛治はごほごほと咳き込んだ。
「その弟さんに関する暴露とは……一体?」
「……アイツ、中学の頃にいじめをしてたんだよ。同じクラスの、一人の男子を仲間と数人でさ。もちろん、主犯格は弟だ。周りには気取られないように、慎重にやってたらしい」
 いじめられていたのは、あさ葱田ぎだ 康介こうすけという大人しそうな子だったという。周囲からは、宗二と浅葱田は仲の良い友達と認識されており、宗二の取り巻きたち以外、教師はおろか他のクラスメイトたちも誰もいじめの事実に気づかなかったらしい。そして中3のとき、浅葱田は学校の屋上から飛び降りた。自室から見つかった遺書には、受験のプレッシャーに耐えられないから──ということが書かれていたが、いじめに関することは一切記述されていなかった。
「弟さんが彼をいじめていたという証拠はあるんですか?」
「あるよ……これだ」
 寛治は古びたノートを取り出した。表紙には『国語』と書かれている。
「それは?」
「浅葱田のノートだ。ほら、読んでみろ」
 千里は差し出されたノートをぱらぱらと捲る。そこには几帳面そうな文字がびっしりと並んでいた。
 毎日が苦しい。彼と離れたい。でも、友達のふりをしなければならない。辛い。死にたい──。
 宗二たちから受けた仕打ちに対する、嘆きと苦しみの言葉が羅列してあった。その最後に、いじめを苦に自殺する──ということが記されていた。
「どうしてあなたが持っているんです?」
「もらったんだよ……死ぬ前の浅葱田から直接──」
 それは突然のことだったという。ある日寛治は、浅葱田から唐突に打ち明けられたという。宗二からいじめを受けていること、そして、近々自殺する予定である──ということを、淡々と述べたという。

 

(つづく)