「徳川埋蔵金」
僕とミサキさんの阿吽の呼吸。
「中島蔵人は今際の際に水野智義にこう打ち明ける。“私は在職中に徳川家の再興を図るために甲府の御金蔵から二十四万両を運んで赤城山中に埋めた。さらに藤原という者が江戸城内の御金蔵から三百六十万両を運びだして赤城山中に埋めた”」
「三百六十万両……」
「現在の価格で三千億円とも二百兆円とも言われている」
「すごい……」
ミサキさんの口から甘い吐息が漏れる。
「やっぱり埋蔵金の話は本当だったんですね」
「ああ。現に水野智義は明治十年に赤城山を訪れて埋蔵金探索を始めるんだ」
「水野家は智義の後も三代に亘って埋蔵金を探し続けるんですよね」
僕とミサキさんで意気投合。
「どうやってその話が伝わったのかな」
「え?」
喜多川先生の横槍が入った。
「埋蔵金があるという中島蔵人の告白がどうやって現代にまで伝わったのかね?」
「それは……水野家に代々伝わっているんです」
「ふむ」
「そうか。逆に言うと伝えるものは水野家の伝承だけですね」
「え?」
まさかのミサキさんの裏切り?
「たしかに、その言い伝えには第三者の視点が欠けている」
「そうかもしれませんが」
僕は抵抗を試みる。
「でも伝承が本当だとも違っているとも証明のしようがないでしょう。証明できない以上、伝承を信じても良いと思います」
「安田くんに一票」
お。ミサキさんがあからさまに僕に味方。
喜多川先生を差し置いてちょっと複雑な優越感。
「君も埋蔵金が赤城山にあると?」
「赤城山にはないと思います」
「え?」
喜多川先生と同じ説?
“安田くんに一票”というのは?だったのか?
「埋蔵金があるという安田くんの説には賛成です」
あ、そこだけね。
「埋蔵金はないよ」
喜多川先生がこれだけ強く断言するところを見ると、ひっくり返す事の不可能な根拠があるに違いない。喜多川先生の下で学んでいる僕なら判る。
「どうしてないと言えるんですか?」
ミサキさんが挑戦的な目を喜多川先生に向けた。初めて見せるような鋭い目線だ。
「幕末期の江戸幕府は財政難だった」
Q.E.D.。
証明終了。喜多川先生は、たった一言で証明してしまった。
「そんな財政難の幕府が大金を隠す余裕はない」
駄目押し。
(哀れだ)
ミサキさんが哀れだ。こうまで完膚無きまでに叩きのめされたら。
「そんな時のために用意しておくのが埋蔵金なんじゃないですか」
叩きのめされてなかった。
「それに井伊大老は金の海外流出を危惧して御用金の埋蔵を計画したとも言われてるんですよね」
金銀の交換レートが海外では一対十五だったのに対して日本では一対五だったから諸外国が日本の黄金を狙っていた事は確かだ。
「では」
だけど喜多川先生は怯まない。
「そんな時のために用意した埋蔵金を幕府は使ったのかね?」
「使う暇がなかったと思いますよ」
「使う暇がない?」
「はい」
ミサキさんは余裕の笑みを浮かべている。
「埋蔵金を管理していたのは勘定奉行だった小栗忠順ですよね?」
「そうなるだろうね。もし埋蔵金があれば、の話だが」
「無血開城のあった年に小栗は新政府によって処刑されています」
あ。
「小栗は捲土重来を期して準備をしようとしていたのかもしれません。でもその期を待たずに」
「処刑された」
ミサキさんの言葉を僕が引き継いだ。
阿吽の呼吸。
「計画を練ったとされる井伊大老も遥か前にこの世を去っていますし」
喜多川先生はしばらく黙っていたがやがて「なるほど」と言った。
「使う暇がなかったと」
「はい」
ミサキさんに皮肉は通用しないぞ。
「勝海舟の日記をご存じでしょう?」
「もちろん知っている」
僕も知っている。ミサキさんはおおかた村木老人にレクチャーされて知っているのだろう。
「勝海舟の日記に“軍用金として三百六十万両あるがこれは常備兵を養うための金で使うわけにはいかない”とあります」
「うむ」
「これは言い伝えじゃなくて記録でしょ?」
「たしかに」
喜多川先生が一本取られたのか?
(そして喜多川先生も埋蔵金の存在を認めたのだろうか?)
ミサキさんは続ける。
「『久能御蔵金銀請取帳』には“家康が亡くなった時には久能山の御金蔵に二千両入りの金の箱が四百七十箱、約十貫目入りの銀の箱が五千箱近く残された”とあります。これも記録ですよね?」
村木老人からの受け売りか?
喜多川先生は「うむ」と頷く。
「通貨に含まれる金の含有量を減らす通貨の改鋳によって幕府が得た利益は四百五十万両ともいわれています」
そんなに……。
「それなのに無血開城で官軍が江戸城に入った時、城内の御金蔵には千両箱はおろか小判の一枚もなかったんです」
「その通りだ」
「官軍は“こんな馬鹿げた事が通用するはずがない”と憤ります」
たしかに江戸幕府の御金蔵が空だったのは納得いかない。
「新政府に取られる前に隠したと考えるのが妥当です」
ミサキさんの言葉に喜多川先生は頷いた。
「幕府が三百六十万両もの軍用金を持っていた事は勝海舟を信じよう」
「ありがとうございます」
君は海舟の親戚か?
「明治新政府が探したぐらいだ。埋蔵金があった可能性は否定できない」
さすがだ。ミサキさんに言われるより説得力がある気がする。ミサキさんの説だけど。
「でも」
僕は考える。
「そうなると水野家に伝わる伝承も少なからず信憑性が出てきませんか?」
「そうだな」
喜多川先生に認められた。
「ただし伝言ゲームだ。水野家に伝わる伝承の元になった文言が実際には、どのようなものだったかは判らない」
「というと?」
「元になる文言はあった。だが、あまりにも年月が経っている。元になった文言は埋蔵金とは関わりのない話だった可能性もある」
「え?」
「幕府の御用金ではなくて水野家の隠し財産的なものかもしれないだろう」
それが長い年月が経つうちに埋蔵金の話に変化して伝わった……。
「埋蔵金の話だとしても噂を聞いただけで隠し場所までは知らなかった可能性もある」
「なるほど」
「だから赤城山には」
「赤城山には、ありませんよね」
埋蔵金はある。でも赤城山にはない……。
「どうしてそう思うのかね?」
喜多川先生が学生の知識を試すような口調で訊く。
「赤城山は江戸城から遠すぎますもの」
遠すぎる……。
「遠いですよね? どのくらいの距離かしら?」
「直線距離で百キロ以上ある。車でも電車でも三時間ほどかかるだろう」
喜多川先生は調べた事があるのだろうか。
「だったら徒歩なら二十四時間歩き続けても着かないんじゃないかしら?」
「そうだろうな」
「そんな長い距離を運べないですよ」
そんな理由で……。
「埋蔵金は三百六十万両にもなるんでしょう?」
勝海舟の日記から、そう推測できる。
「だったら相当な重さですよね」
「小判の種類にもよるが慶長小判なら一両約十八グラム。千両だと十八キログラムという事になる」
「箱の重さもありますよ」
細かい。
「千両箱自体は五キロほどだろう。その箱に千両を詰めれば一箱の重さは二十三キロとなる」
「あたしじゃ持てません」
またカマトトぶって。
「一万両だと二百三十キロですよね。埋蔵金は推定三百六十万両ですから約八十三トンにもなりますよ。あたしフラッシュ暗算ができるんです」
フラッシュ暗算とはパソコンのディスプレイにフラッシュ式に出てくる数字を足し算するものだ。そろばん教室に通っていた友だちが練習していたような気がする。
それはともかく……。
いくら重くても人海戦術でなんとかなるだろ。だからミサキさんの説は……。
「一理ある」
喜多川先生……。
「多くの金を運ぶとなったら一人では無理だ。当然、大勢で運ぶ事になる」
それが人海戦術だけど……。
「そうなれば道中、人目につく危険性も高くなる」
そういう事か。
「ですよね!」
ミサキさんが“初めて気がついた”体で手を叩いた。
「それなのに道中の目撃情報が、ほとんどないですもんね」
「その通りだ」
二人とも“赤城山に埋蔵金はない”という点では意見が一致しているのか。
だけど二人の説を補強する意味でも確認しておくか。
「“目撃情報がほとんどない”という事は少しはあるんだよ」
喜多川先生の代わりに僕がミサキ説を潰しにかかる。
『徳川埋蔵金はここにある 歴史はバーで作られる2』は全2回で連日公開予定