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「むしゃくしゃして、道連れにしようと思った」東京・銀座で通り魔
 6日午後8時20分過ぎ、東京都中央区銀座のみゆき通りで、男が通行人8人を次々に刃物で刺した。搬送先の病院で、神奈川県平林市の柏原忠盛ただもりさん(53)、妻の須美恵すみえさん(52)、東京都杉並区の立山たてやまのぶさん(26)の死亡が確認されたほか、5人が重軽傷を負った。
 男は駆けつけたつき署員に取り押さえられ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。築地署によると男は東京都足立区の無職、閤田幹成容疑者(35)で――
 
 死亡が確認された、の文字が揺れて見える。嘘、嘘、嘘……と無意識に繰り返していた。叫び声が聞こえると思ったら、自分自身の慟哭どうこくだった。わたしは獣のように、あらんかぎり口を開き、喚き、泣き、両手を布団に打ちつけていた。
 わたしには、元気だった頃の両親の記憶しかない。それなのに目が覚めてみれば既に二人とも死んでいて、しかも理不尽に命を奪われていたなんて。
「許さない!」
 わたしは叫んだ。
「許さない、絶対に許さない! 犯人はどうなったの!?」
「記事にある通り、その場で取り押さえられました」
「それで? もちろん死刑になったのよね?」
「いいえ……」
 女は一瞬逡巡しゆんじゆんするように目を伏せたが、あらためて真正面から見つめてきた。
「無期懲役です」
「無期って……」
 いくら今のわたしが混乱していたって、それがどういうことかわかる。
「じゃあ、まだ生きてるのね!?」
 男女は、同時に頷いた。
「実は、それだけではありません」男が言った。「半年前に仮釈放されています」
「仮釈放? まさかもう社会に戻っているってこと?」
 信じられない。
 両親を殺した男が、野放しにされているなんて。
 いったいどこにいるのだ。どこを歩き、何を見て、何を思い、何を食べ、どこで眠るのか。わたしの両親には、そんな当たり前の営みが許されないというのに。両親のその後の人生を残忍にも奪っておきながら、この男は生きながらえてきたというのか。
「殺して……やる」
 嗚咽の合間から絞り出されたのは、自分でもぞっとするような低い声だった。
「わたしが殺す。絶対に許さない」
 涙と汗とよだれで、髪が顔や首にはりついている。髪の合間から血走った眼を覗かせているわたしは、さぞかし獣じみているのだろう。男女は顔色を失っている。
「柏原さん」しかし意外なほど静かな声で、女が言った。「どうしてここに――病院にいるのか、さきほど理由をお聞きになりましたよね」
 わたしは女を睨みつける。それが何だというのだ。両親の死を知った今、何もかもどうでもよく思える。
「ご自身で通報なさったのを、覚えていますか?」
 わたしは荒い息を吐きながら、じっとその意味を考える。通報? 警察に? ということは、この二人はもしかして警察の人間なのか。いずれにしても覚えていない。わたしは力なく首を振った。
「あなたは人を殺したと、一一〇番通報したのです。そして警察が駆けつけると、失神なさった。そして病院に運ばれたというわけです」
 わたしは女の隣に立つ男、医師、そして看護師を見た。ではこの人たちは、わたしを殺人犯だと思っているの?
「わ……たし……」
 混乱するわたしと視線を合わせながら、女はジャケットのポケットから写真を一枚取り出す。
「これが誰だかわかりますか?」
 蒼白あおじろい肌に、神経質そうな細い目。色の悪い唇。銀縁のメガネ。丸刈りの頭は、ほとんど白かった。
 見覚えなどない。わたしは女に、そう目で訴える。
「これが閤田幹成。通り魔殺人犯です」
 この男が、お父さんとお母さんを殺した――
 沸点に達しそうになる血を、しかし、女の声が制した。
「あなたが今日殺したのは……いえ、殺したと通報したのは、この男なのです」

 

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