俺はサヨコの家へ、狐は伏野の家へと通い、それぞれに情報を集める日が続く。
「気に入ったものを数えてみた」
 サヨコに報告すると、彼女は喜んだ。
「気分がよかったでしょ?」
「そうかもしれない」
「じゃあ、もっと増えるように散歩に行こう」
 俺はサヨコを車いすに乗せ、それを押しながら商店街を歩いた。
 サヨコは例のごとく、ずっと何かを見つけて喜んでいる。俺がかっぱえびせんを買った菓子屋の前を通りかかると、サヨコは懐かしそうに目を細める。
「この店、美衣奈によくねだられて、駄菓子を買ってあげてたな」
「子どもの頃は嫌われていなかったのか」
 サヨコは「そりゃそうよ」と薄く笑った。
「じゃあどうして仲違いしているんだ」
「どうしてだろうね。いつの間にか、すれ違うようになってさ」
 魚屋の呼び込み。ベルを鳴らしながら自転車が過ぎる。商店街は賑やかだ。
「夫が死んでから、ああ、夫は交通事故で亡くなってね。美衣奈がまだ幼稚園生の頃に。それで、この子を立派に育てなくちゃって、肩に力がはいっちゃったんだろうね。保険の営業しながら、すごく勉強させてさ。
 だけど、高校に入るくらいから、もっと自由でいたいとか反抗するようになって。学校も行ったり行かなかったりでケンカが多くなった。高校は中退して、今度は伏野って男と結婚するって言いだして。それがヤクザみたいな男で、私は必死に止めた。結婚に反対されたのがすごく気に入らなかったんだろうね。家から出て行ってそれっきり」
「そうか。それはさみしいな」
 俺は人間の言いそうなことを口にしてみる。
「ぜんぜん。せいせいだよ。ずっと心配ばっかりしてて、疲れ果てた。一人の方が人生気楽よ」
「そうか。一人のほうがいいのか」
 言いながら、俺は「自分を殺してほしい」という願いと娘とは無関係かもしれないと思い始めていた。
「どこでどうしているのかね。伏野だけは何度か家に来て、美衣奈を出せって凄まれたけど。一回殴られて前歯を折ってさ。警察を呼んだらもう来なくなったけど」
 妻の母親を殴るとは、相当に頭のおかしい男だ。
 その日の晩に、狐は俺にこう報告してきた。
「伏野の後をずっとついて回っていますが、どうにもおかしいのです。一日は工事現場の仕事に行きましたが、それも日雇いのようでした。そのほかの日は、酒を飲んで寝るか、美衣奈の写真をもって居場所を聞きまわっているかどちらかをしています」
「美衣奈の居場所を聞きまわる?」
 狐は苦々しく頷いた。
「美衣奈の以前の仕事先や、友人、知人を訪ね歩いています。どこで手に入れたのか、時に偽の警察手帳までちらつかせて。常にイライラしていて、人のいないところで、あいつぶっ殺してやる、とつぶやいています」
「物騒だな」
「今日は美衣奈が駆け込んだ『しぇるたー』を探し出して、職員に居場所を吐けと凄んでいましたが、逆に警察を呼ぶと騒がれてあきらめたようです」
「シェルターとはなんだ」
「夫や伴侶に暴力を受けている女性が、一時的に避難するところです」
「なるほどな」
 伏野が暴力をふるい、美衣奈が逃げた。その美衣奈を伏野は探し回っている。おそらくは、逃げたことに恨みを募らせて。
 そしてサヨコと美衣奈はどうやら嫌い合っている。
 それはサヨコが殺されたがっていることにつながるのだろうか。
「自分がいなくなると、得をする人間のために殺されたいのだろうか」
 俺は思いついたことを言ってみる。
「と、言いますと?」
「人間が死ぬと、遺産ができるだろう。サヨコの住んでいる家には価値がなさそうだが、あの辺りの土地の値段はずいぶんするそうだ。仲たがいしているといえ、美衣奈は娘だ。伏野に追い回される美衣奈の行く末を心配して遺産を渡したいとか」
「しかし、サヨコ殿は余命わずか。それほど急ぐ必要はないのでは」
「うかうかしていると、伏野が美衣奈を見つけ出して殺してしまうかもしれない」
「であれば、伏野を殺してくれと願うのではないでしょうか」
「狐よ、人の不幸を願うのがどうしてもできない人間もいるのだ。罪悪感というものを持つらしい。サヨコは人を殺してくれと願う類ではない。だから……」
 そうか。もしかしたら。
 俺の頭に、ある考えが浮かぶ。
「美衣奈に会って確かめたいことがある。伏野の元から逃げたのはいつごろかわかるか」
「伏野の話を聞いていると、一年ほど前のようです」
 俺は翌日の午後、狐に聞いたシェルターの場所に出向いた。そこはごくありふれた、古いアパートだった。看板も何も出ていない。
 美衣奈はこの中にいるのだろうか。一年も前という事を考えると、その可能性はうすいだろうと思う。ここはあくまで一時避難の場所だ。斡旋された場所に移っているだろう。
 だが、直接聞いてももちろん教えてはもらえまい。
 俺は斜め向かいの空き家らしい家に身をひそめ、様子をうかがった。しばらくすると車が止まり、中年の女性が大量の段ボールに入った食料を中へと運び込んだ。かくまっている女性たちへの支援物資だろう。
 アパートのなかから一人の若い女が出てきた。
「ハザマさん、いつもありがとうございます。手伝いますよ」
「いいの、いいの。ほら、誰か見ていると困るから、安易に外に出ちゃダメ」
 神主のパソコンを使って調べたところによると、シェルターのホームページにはこのアパートの住所は出ていなかったが、代表者の名前は書いてあった。波佐間はざまみち​子。彼女が代表者に違いない。
 しばらくして波佐間が出てくると、俺はてんとう虫に姿を変えた。車のドアが開くとともに車内へと入り込む。運転する彼女の肩にぴったりと張り付く。
 彼女の家のマンションに着くと、テーブルの陰に隠れて夜を待った。深夜、俺は稲荷神の姿に戻る。白い小袖と、紫の袴の少年の姿だ。歩くたび、するすると衣擦れの音がする。波佐間はベッドで毛布にくるまり、軽く口を開け寝入っている。俺はその脇に立ち、額に手を当ててこう唱えた。
「明日訪ねてくる青年に、百瀬美衣奈の居場所を教えるように」

 百瀬美衣奈は、サヨコの家から一時間ほど電車に乗った郊外の街に住んでいた。
 美衣奈は仕事をしているかもしれない。俺は夜訪ねていくことにした。
 駅からバスに乗り、住宅街にあるバス停で降りる。二階建てのこぎれいなアパートの一室のインターホンを鳴らした。
 細くドアが開き、疑わし気な女の目がのぞいた。
「誰?」
 俺はヘルパー稲荷の姿をしている。「排水が詰まったので工事に参りました」と言葉が不自然でないよう気を付けながら嘘を言う。
「そんな工事、聞いてないけど」
「今日急に、アパート全体で不具合がありまして。放っておくとトイレの水が逆流する可能性が」
 いったんドアが閉じ、チェーンが外される音がしてドアが開いた。ぶぜんとした様子の美衣奈が現れ、「どうぞ」と中に招き入れられる。
 俺はトイレの修理をするふりをしながら、すばやく目を走らせた。淡いピンクのカーテン。木目調のベッド。テーブルの上にノートパソコンとイヤホン。こぎれいな部屋だった。ある程度ふつうの生活を送れているようだ。
 俺はトイレから出ると言った。
「実は排水工事の業者ではない」
 美衣奈は呆気にとられた後、短い悲鳴を上げて後ずさった。
「しかし怪しいものではない。おぬしの母のヘルパーだ」
「ヘルパー? お母さん、そんな年じゃない。嘘言わないで」
「サヨコは重い病気にかかって余命いくばくもない」
「……え?」
 美衣奈と俺は小さなテーブルを挟んで向かい合って座った。彼女は熱い紅茶を淹れて、俺に出した。さっきまで不審者だったのに、ずいぶん丁寧な扱いだ。やはりこの見た目が功を奏しているんだろう。
 美衣奈としてはサヨコの容体を聞きたい。俺としてはサヨコがなぜ殺されたいのか探らなくてはならない。
「ねえ、あなたどうしてここが分かったの。シェルターが話すわけないし」
「たまたまだ。俺はこの近くに住んでいる。サヨコの家にある写真を見て、娘だと確信して訪ねたんだ」
「ほんとにい?」
 美衣奈は疑わし気に俺を見た。俺は話題を変える。
「伏野があんたを追っているみたいだが」
「そこまで知ってるの。あの人、私が逃げたのに激怒しててさ。探し回ってる。捕まったら多分私、殺される。話し合えないから離婚もできない。だからこそこそ隠れて生きて。仕事だって、接客はまずいから工場でこもりきりの仕事。私には向いてないの。最悪だよ」
「警察には言ったのか」
「あんなところ、全然あてにならない。私があいつに殴られて血を流してても、夫婦だってわかった途端帰るんだから。殺されでもしたら、まともに取り合ってくれるかもね。それより、お母さん、そんなに悪いの?」
「歩くのも辛そうだ」
「死にそうだなんて嘘でしょ。だって三年前は」
「そんなに心配なら実家に会いに行ったらどうだ」
 相手は見えない弾をくらったように目を見開いた。
「私になんか、会いたくないと思うから」
 俺は美衣奈を眺めた。栗色に染めた髪に白い肌。濃いメイクで隠してはいるが、まだあどけなさが残る顔立ち。はっきりした顔立ちのサヨコには似ていないが、団子鼻がそっくりだ。親子で互いに「相手は会いたくないと思う」と言っている。おかしなものだ。
「どうしてそんな風に思う」
「分かるよ。お母さん、ひとりで働いて私を高校に入れてくれたのに、友達とうまくいかなくなって、学校も辞めちゃって。ほかの学校の子たちと遊ぶようになってから、警察にも何度か世話になった。
 結婚する時も、すごく反対されて頭に来たから、もう二度と会わないって言って家を飛び出しちゃった。今考えれば、お母さんの言う通りろくな男じゃなかったのにね。
 ねえ、これって親不孝でしょ、どう考えても」
「親不孝かどうか俺には分からないが、サヨコは、娘に苦労させられたから、一人の方が気楽だと言っていた」
 美衣奈は気の毒なくらい気落ちした。
「だよね……」
「あんたはどうなんだ」
「お母さんに会いたいかどうか? 会えないでしょ……」
「合わす顔がないとか考えてる時間はないぞ。死んだらもう会えないんだから」
「そんなっ」
 美衣奈が興奮して手を動かした。テーブルの上のカップが倒れ、俺の手に熱い紅茶がかかる。
「熱い」
 はっきり言って熱さなど感じないが、人間らしくそうつぶやいてみる。
「うわ、ごめん。えっと、どうしたらいいんだっけ」
「氷をもらうぞ」
 小さなキッチンの脇にある冷蔵庫に歩み寄り、冷凍室の引き出しを開けた。
「なるほど、そうか」
 小さく声が出る。
 サヨコがなぜ殺されたいと思っているか、分かったからだ。

 翌日、俺はサヨコの車いすを押して、いつもの商店街へ連れていった。
「本当は歩けるといいんだけど。歩くとね、いい考えが浮かぶんだって、人間の脳って」
 サヨコは自分の頭を指さして見せる。
「そうか、人間は面白いな」
「今日はいいことがあった?」
「サヨコに会えた」
 サヨコは面食らってから、「嘘でも嬉しいよ」と笑った。
「私もいいことがあったの。こないだ、稲荷神社にお願い事をしたんだけど、それが叶いそうなんだ」
「何を願ったんだ」
 そ知らぬふりで俺は聞く。
「それは秘密。ほら、これが郵便受けに入っていたの。差出人の名前はない。でも、私の知りたいことが書いてあった」
 サヨコは懐から白い封筒を取り出した。それはおそらく、狐が入れたものだろう。
 俺は車いすを止めた。「イナリさん?」とサヨコが振り向く。俺はその目を見つめて、言った。
「美衣奈の居場所が分かった」
 サヨコが表情をなくす。
「ここから遠くないぞ」
 サヨコはゆっくりと首を横に振る。
「だって、会ってしまったら……」
 その続きは言わないまま、サヨコは泣いているみたいに笑った。
 サヨコの家からの帰り道、土手に座って夕陽を眺めた。
 夕陽が川面に近づくと、溶けた鉄のように赤く燃え上がった。川のせせらぎに、鳴き始めた虫の音がまじる。土と草の青い匂いが漂う。
 この景色も悪くない。俺は好きなものリストに入れることを決める。
「キンモクセイ。大神様。かっぱえびせん。餃子。川のきらめき。夕陽」
 少しだけ考える。
「狐? 弁財天?……サヨコ」
「私のこと、呼んだ?」
 女子高生姿の弁財天が来て、俺の横に座った。
「ああ、好きなものを数えていた」
「私のとこ、疑問形だったわよね? まあいいや。それで首尾は順調なの」
「ああ。やっと誉人の願いが分かった」
「あんたにしちゃ早いんじゃない?」
「俺は間違っていた。サヨコが殺されて得をする人間を探していた。そうじゃなく、殺されて損をする人間を探すべきだったんだ」
「損する人間って?」
「サヨコを殺した犯人はどうなる」
「そりゃあ、捕まって刑務所に。あ、そうか」
「サヨコは伏野に殺されたいんだ。そして、伏野を刑務所に入れ、美衣奈から遠ざけてやりたいんだ。だから俺に殺されるのはだめだったんだ」
「どうせ死ぬなら、サヨコが伏野を殺してしまえばいいのに」
「そうすれば美衣奈を助けてはやれるだろうが、同時に殺人犯の娘にしてしまう。それをよしとはしないだろう。それにあの体で伏野を殺そうとしても、返り討ちに遭うのがおちだ」
「自分の死は近い。それなら、娘のために殺されても構わないってこと? でも、その親子って仲違いしてるんじゃなかったっけ」
「餃子が入ってたんだ」
「うん?」
「美衣奈の部屋の冷凍庫に、冷凍餃子が大量に入っていた」
 それはサヨコの手作りと比べると貧弱な、出来合いの餃子だった。美衣奈は餃子が大好物なのだ。
 美衣奈がいつ帰ってきても、すぐに自分の手作り餃子を食べてもらえるように。
 サヨコはきっと、そう思って餃子を作り続けている。
 美衣奈が親不孝だったとしても、サヨコは見放してはいない。表面上は強がっているが。
「あの親子は、本当は嫌い合ってるんじゃない。互いに相手は自分を嫌っているはずだと思っているだけだ」
「なるほどね~。じゃあ、簡単じゃない。その伏野の枕元に立って、サヨコを殺せってささやけばいいんだもん」
「そうだな」
「浮かない顔ね」
「殺されるのは、ふつうの死に方じゃない。怖いし、苦しいし、痛いはずだ」
「だって、誉人がそう望んだのよ」
「誉人が望んでいるのは、美衣奈を守ることだ。伏野を刑務所に入れたいのであれば、別の罪で捕まえればいい」
 弁財天は人差し指を立てて、顔の前で横に振った。
「だめよ。大神様は誉人の願いを、是非を問わず、過不足なく叶えよとおっしゃった。つまり、神社で誉人が願った通りに叶えなければルール違反」
「しかし……」
「人間に情でも移ったの? この間は、滅ぼしてしまえと言っていたくせに。とにかく伏野に誉人を殺させなさい。稲荷神、あんたにそれ以外の選択肢はないのよ。まさか、大神様に逆らうつもりじゃないわよね?」
 弁財天が立ち去った後も、俺は暗くなっていく川面を眺めていた。
 もちろん逆らったりはしない。大神様の言う事は絶対だ。それに、サヨコは五十人目の誉人だ。これを逃したら、あと何年誉人を待つか分からない。
 だって、会ってしまったら……。
 サヨコはそれ以上言わなかったが、会ったら別れがつらくなる、と言いたかったんだろう。
 会わずに死ぬ。それが誉人の、サヨコの願いならば、叶えてやるのが良いのだろうか?

 

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