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 オレは神原喜代美が会社に出勤したのを確認して、急いで自分の家に帰る。
 昨日、高井真郷の捨てるべき肉をまとめておいた。肉が腐蝕しているので、包丁を入れるとすぐに剥ぎ取れた。
 いっぺんに捨てることは出来ないが、神原喜代美のトイレに流すとなれば、多少の冒険は大丈夫だと思った。水道代の請求は2カ月に一度だし、そこで多少水道代が高くなったとしても、“使い過ぎたかな”程度にしか思わない。
 高井真郷の肉片を運んだ時に放つ腐敗臭が、神原喜代美の部屋に残るかもしれないが、死臭を嗅いだことのない人間ならば、“下水道が臭っている”としか考え付かないだろう。消臭剤を使い、下水道を掃除することによって神原喜代美は納得する。まさか、自分の部屋に知らない人間が死体を運び込んでいるとは夢にも思わない。
 前日に高井真郷の捨てる肉片を用意していたので、事はスムーズに進んだ。手際良く3回に分けて、トイレに流し込んだ。生ゴミで捨てる時より量も多く、しかも安全に事を運べる安心感から、久々に解放感に包まれた。
 以前、この部屋に来た時は、焦って部屋を物色出来なかった。今日はいろいろ見せて貰おう。しかし、いろんなところを見るとボロが出るかもしれないから、細心の注意を払うことにしよう。
 部屋に臭いが付かないように、高井真郷の肉片が入っていたビニール袋を三重に閉め、コートのポケットにしまい込み、コート自体をトイレに置いておく。ベッドの上に乱雑に置いてあるパジャマの臭いを嗅ぎ、テレビの横にある写真立てに目をやった。日付的に去年行ったであろうスキー場の写真であった。会社の仲間であろうか、学生の時の友達であろうか、同年代の男女7人であった。楽しそうに写っている神原喜代美をオレが見ているという行為に、異常に興奮した。
 しかし、いざ“さぁ何でもやっていいぞ”と言われると、何をすればいいのかわからず、パニックになった。
 いつでも神原喜代美が見られるように、写真が欲しいと思った。アルバムのようなものはないかと思った。
 そこら辺を物色して、何か証拠を残してはいけないと思い、元の状態を記憶してから、収納を開けた。収納は2段。上は洋服がツッパリ棒で吊るされており、コートのエリアの下には、ズボンやスカートが畳まれていた。下の段はこの間も見た通りインナーボックスが置いてあり、下着が入っている。オレは薄いグリーンの下着をズボンの後ろポケットに入れ、収納の扉を元の状態に戻した。
「アルバムを置きそうなところは…」と考え部屋全体を見渡すと、ノートパソコンの横にアルバムらしきものが置いてあった。見てみるとやはりアルバムで、貼り切れない写真は乱雑に最後のページに20枚近く挟まれていた。
 誰かの結婚式に出席した時の写真。どこかの居酒屋で撮った時の写真。ペンションの前で男女数人で撮っている写真。砂浜で女友達と手を繋いでジャンプした瞬間に撮った写真。どこかの会場でリクルートスーツを着て3人で写っている写真。ここではない部屋で彼氏に撮られたのであろうか、ベッドに横になっている今より若い写真。
 オレは最近撮られたであろう、友達と2人でパーティー用の帽子をかぶっている写真をズボンの後ろポケットに入れた。
 1枚だけ不可解な写真があった。
 暗闇の中、1人の男を花火のようなものを持った数人が囲み、その中の1人が右手で何かを投げている仕草をしていた。右手はぶれていてよくわからないが、囲んでいる2人程は笑っているように見える。それは構わないのだが、囲まれている男は上半身裸で、胸や腹から血を出しているように見えた。周りが笑っているから血ではないと思うが、現場にいる人間しか、その楽しさはわからない写真であった。
 その写真を見ていた時、外を歩いている中年の女性らしき2人の笑い声が聞こえた。もし、神原喜代美が体調が悪くなって早退をしてきたらどうしようと思い、急に恐ろしくなってきた。
 オレは置かれている化粧品の中から口紅を取った。
 そして、部屋に入ってから行動した全てを思い出し、元通りになっているか何度も確認してから、部屋を出た。
 部屋を出る時、心臓の鼓動が速くなった。たとえ隣の人間とバッタリ会ったとしても、平然と挨拶するつもりだが、出来れば誰にも見られたくない。
 実際、アパートから出るまで誰にも会わなかったので安心した。
 オレは下着と写真と口紅を手に入れ、満足した。自分の部屋に戻り、写真と下着を並べ、口紅の蓋を外し、先端を眺めてみた。神原喜代美の唇にこの紅が付いていることを想像した。
 性的興奮にどう結びつければいいのかよくわからないが、とにかく神原喜代美が使った口紅を自分の唇に付けてみた。鼓動が小刻みに速くなった。鼓動が速くなったせいなのか、口紅を持った手が震えている。強く唇に当てたせいで、口紅が根元から折れた。オレは急いで拾い上げ、頬に擦り付けた。オレの顔は子供がクレヨンで自由に落書きをする紙のようだった。苦しかったが、心地良かった。今まで一度も、口紅を性に結び付けたことはなかった。つまり神原喜代美の部屋には、まだまだオレにとって魅力的なものがあるはずだと思った。
 鏡で自分を見てみると、猟奇殺人者のようであった。笑いが込み上げてきた。
 猟奇殺人者。
 確かに、オレは高井真郷を滅多刺し、ある特定の女を狙い、部屋にまで忍び込んでいる。異常者以外の何者でもない。こんなことが出来るヤツは、世の中にそうそういない。
 明日は、燃えるゴミの日だ。今夜辺り、神原喜代美はゴミステーションにゴミを出すはずだ。夜まで時間がある。高井真郷を切り刻んで、骨を砕き、また明日、神原喜代美の部屋のトイレに流し込む準備をしよう。もう少し量が多くても大丈夫なはずだ。高井真郷がオレの家に居座るのも、不愉快極まりない。
 オレは、顔に付いた口紅を落とす為に顔を洗ったが、口紅に油が入っているのか、なかなか落ちなかった。

 今日は高井真郷の肉片と、粉々になった骨を5回分、神原喜代美の家のトイレに流した。
 神原喜代美の部屋に来るのも段々慣れてきて、最初のような胸の高まりがなくなってきた。胸の高まりがなくなると、神原喜代美の部屋で何をすればいいのかわからなくなってきたので、改めて部屋の中を物色することにした。
 昨夜、神原喜代美が出したゴミの中からは、実家から送られてきたと思われる手紙の封筒が入っていた。実家の住所がわかった。
 神原喜代美の破片が1つずつオレに集まってくる。まるでパズルのピースが埋まっていくようだ。
 しかし、神原喜代美の実家を地図アプリで調べても出てこなかった。オレの調べ方が悪いのか、よほど辺鄙へんぴな場所なのかわからないが、はっきりとした場所が掴めなかった。しかし住所が割れたのだから、神原喜代美がいざ実家に戻る時は、その近くに引っ越せばいい。神原喜代美がこの辺にいなければ、ここに住む必要はない。
 細心の注意を払い、インナーボックスの奥まで物色すると預金通帳が出てきた。最後の記帳は今から2カ月前であった。貯金は240万円あった。これを盗もうという程、オレはバカではない。盗んだら、確実に事件になる。もうここには来られなくなる。こんな微々たる金でオレは動かない。オレの神原喜代美に対する愛はもっと深い。
 冷蔵庫の中を覗いてみると、玉ねぎが2つと目薬、湿布、薬局に売っていそうなコラーゲン入りのリンゴジュース、脱臭剤、コンビニで買ったであろうゴボウサラダが入っていた。
 玉ねぎはすぐにピンときた。前々回のゴミにカレールーの箱が捨ててあった。ちょっと前にカレーを作ったはずだ。きっと神原喜代美は気が向いた時にだけ料理をするタイプなのだろう。なぜならば、コンビニやスーパーで買って来る惣菜のゴミがよく出ていた。玉ねぎもそのうち腐らせて、ゴミに出す。
 さすがに今日も口紅を取って行ったら、不審がるだろうか。化粧品置き場に髪留め用のゴムがいくつも置いてある。その中に髪の毛が絡まっているゴムがあったので、オレはそれをポケットに入れて、持ち帰った。