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「共存しましょうよ」
 高井真郷は驚きとパニックで目玉がこぼれそうなくらい、目を見開いていた。
 ポストに掛けていた手を離し、小刻みに震えていた。
 もう一度、オレが喋ることになる。
「だから共存しましょうって。目指すところは一緒でしょ?」
「……あな…た…は?」
「誰でもいいのです。その方がお互いにとって好都合でしょ? それとも、お互い自己紹介します?」
 高井真郷は逃げ出そうか話を聞こうか迷っている。しかし、自分が主導権を握られていることだけはわかっている。バカはバカなりの嗅覚を持っている。
「逃げてもいいですよ。あなたの住所は保津町〇─〇─〇ですよね?」
 高井真郷は震えが止まらない。息が荒くなっている。
「神原喜代美に用事があるんですよね? 高井真郷さん?」
 高井真郷は声にならない声を上げた。高井真郷は今にも泣きそうであった。
 引け目を持って生きていると、何かと主導権を握られてしまう。高井真郷は自分が今からどうなってしまうのか、一生懸命考えようとしているが、思考が回らない状態なのだろう。
 オレのことを警察と思っているのか、何者かわからないが暴力を振るわれるのか、ひょっとしたら、オレのことを彼氏と思い込んで警察に突き出されると思っているのかもしれない。
 いずれにしても、高井真郷にとって都合の悪い状態でしかない。ほんの少しでも高井真郷にとって都合の良い話をすれば必ず食いつく。
「僕は神原喜代美の元彼氏です。1年程前まで付き合っていました。しかし彼女は僕よりも条件の良い男に乗り換え、僕は捨てられました。今でも僕は彼女を許せません。あなた神原喜代美のストーカーでしょ?」
 と口から出まかせに、思い付いた嘘を吐いた。オレは神原喜代美の元カレでも何でもない。
「僕は……そんな……そんな…」
「全てわかっています。何せ僕は彼女のストーカーです」
「…ス…トーカー」
「あなたと同じです。だから共存しようと言ったんです」
 高井真郷は息を整えようとしている。
「…僕に…どうしろと…?」
「彼女にとって嫌なことをして欲しいんです」
「僕は、何も彼女に嫌がらせをしようとは思ってないんです」
 高井真郷は口の端に泡の唾を溜めている。
「“彼女にとって”と言っているのです。彼女にとって、知らない間にゴミを漁られるのは嫌がらせじゃないんですか? 彼女にとって知らない番号から電話が掛かってくるのは嫌がらせじゃないんですか?」
 高井真郷は言葉に詰まる。
 正直、“知らない番号から電話が掛かってくる”というのは勘だった。高井真郷のような後先のことを考えない低能は、必ず電話を掛けていると踏んだが、図星だったのだろう。その証拠に高井真郷は反論をしてこない。
「このポストの番号、僕ならわかりますよ」
 オレは高井真郷をどかして、ポストの鍵を開けた。
「そして中には神原喜代美の部屋の鍵が入っています」
 高井真郷の心臓の音がここまで届きそうだった。
「今は番号を教えません。あなたには無用心なところがある。高井さん、あなたにはなるべく長く薄く嫌がらせを続けてほしいのです。僕は高井さんに神原喜代美の情報を流します」
「僕とあなたが組むことによって、あなたの得することは何ですか?」
「ここで喋っていると、このアパートの人に怪しまれます。とにかくこっちへ」
 オレは高井真郷を家の方に誘導した。高井真郷はオレが神原喜代美のポストの鍵を開けられることがわかると、オレと一緒にいることが得だと判断したようだった。高井真郷はついてきた。
「嫌がらせは1人より2人の方がいい。単純に倍、精神的に追い詰めることが出来る。そして2人で行動した方が不規則だ。1人で行動すると無意識にパターンが決まってしまう。神原喜代美に行動パターンを読まれたら、警察やら男友達に協力されて、捕まってしまう」
「そんなことまで考えて行動してるんですか?」
「彼女が死ぬまでつきまとおうと思っているのだから当然です」
「元カレだ」と高井真郷に嘘をついたが、死ぬまでつきまとうというのは本当の気持ちだった。高井真郷はまた目を見開いた。
「高井さん、何よりも2人いると心強いでしょ?」
 オレがそう言うと高井真郷は初めて笑い、ずれたメガネを直した。
「そうだ高井さん、今からうちに来ませんか? 2人の決め事を話したいし、それに神原喜代美の服やら下着やらいろいろありますんで、良かったら譲りますよ」
 高井真郷は一度目を閉じかけ、そしてまた目を開き輝かせた。しかし心が躍ったことを隠したいのか、すぐに「決め事って何ですか?」と言って誤魔化した。
 見える、見える。
 高井真郷の気持ちが透けているかのごとく、オレは意のままにヤツを操っている。思った以上に、事が簡単に運んで拍子抜けであった。
 高井真郷は何の警戒心もなく、オレの家に上がってきた。

 オレは高井真郷をコタツに座らせ、神原喜代美のTシャツと古くなって捨てたスウェットを見せた。オレは台所に行き、水を飲むふりをして包丁を手に取った。すると、すぐに部屋から高井真郷が無邪気に声を掛けてきた。
「僕、今まで洋服に当たったことないです」
 高井真郷は、子供のような笑みを浮かべた。
 オレは高井真郷の気持ちを察し、「いいよ」と言った。すると、高井真郷はオレがその場にいないかのように、Tシャツの匂いを夢中になって嗅ぎ出した。オレはその場で殺そうかと思ったが、これがヤツの人生最後の興奮だからと、ざわつく気持ちを抑えた。
 高井真郷はスウェットの匂いを嗅いでいた。自分で“いいよ”と言っておきながら、コイツが神原喜代美の一部にでも触れることが許せなかった。殺したかった。自分の気持ちを抑えるのと、もしかしたら抑えられないのではないかという気持ちが混ざり合い、背中の後ろで包丁を持つ手が震えた。
 高井真郷は何も気付いていない。気付くはずもないが、気付かない高井真郷が許せなかった。
「高井さん、もっとお宝あるよ。下着見る?」
「え? いいんですか?」
 何も疑っていない。“調子に乗るな、バカ!”と心の中で毒づきながら、オレは笑って「いいよ」と言った。
 高井真郷を手招きし、自分より先に歩かせた。
「どこにあるんですか?」
「大事なものだから風呂場に置いてあるよ」
「…大事なもの、風呂場に置くんですね?」
「そうなんだ。万が一踏み込まれても見つからないように、風呂場に置いてある」
 高井真郷を風呂場に案内して入れた。
「どこですかね? 下…?」
 高井真郷は屈んでいる。
「湯船に入ればわかるかもです。どこだと思います?」
 まるでクイズを出しているかのように言った。
 高井真郷は何も疑わずに湯船に足を入れ、辺りを探し始めた。
 オレは、高井真郷がTシャツを嗅いでいた時に台所から持って来ていた包丁を、一気に肝臓辺りの背中に突き刺した。屈んでいるからか、血が吹き出した。高井真郷はうめき声を上げる。そのまま二度三度、肩甲骨の辺りや脇腹辺り、首元などを刺した。
 鏡には返り血を浴びたオレが映っていた。
 高井真郷が大きな声を上げそうな気配がしたので、オレはその前に一度、深く肺の辺りを刺し、そして首を刺し、その後、何度も何度も無我夢中で高井真郷の背中を刺した。

 そうなんだよ。高井さん、そんなに簡単に人なんか信用しちゃいけないんだよ。オレ達はストーカーだぜ? ストーカー同士が共存するはずがないじゃないか。神原喜代美はオレのものだって。1㎜だって渡さない。……お前は、なんで神原喜代美のTシャツを触ってたんだよ? スウェットの匂いを嗅いでたな? 頭おかしいのかよ? だろうな。お前の今までの行動見てたらわかるよ。
 低能だしグズだし、辺りを必要以上に警戒しながら、慣れるとズカズカと我が物顔でのさばるような最低人間が神原喜代美を汚すのであれば、1刺し、2刺し、いや、刻めるところがなくなるまで刺してやるよ。
 神原喜代美に近付くヤツは、全員オレが刺し殺してやる。
 鏡に映ったオレを見て、“血だらけだ”と冷静に思えたが、手は高井真郷をまだ刺し続けていた……。