オレと同じ女をストーカーしている男がいた。
 ストーカーのライバル……。
 最初はゴミを漁るだけだった。
 最初は追っているだけだった。
 最初は支配しているつもりだった。


 人を殺した。7日前のことだった。死体はバラバラにし、風呂場で血を抜いた。
 時間とともに腐敗していくのは、計算外だった。死体処理を早くしなければならないが、生ゴミでまとめて出す訳にもいかない。ゴミ清掃車の人間が、ゴミを回収する時に袋が破れて、万が一にでも腕や足が飛び出てきて発見するということがあってはならない。夜中に死体が入っているゴミを出してもいけない。カラスや野良猫がエサを求めて袋を破ることが考えられるからだ。オレは野菜や生ゴミと一緒に刻んだ少量の死体を新聞にくるみ、朝、ゴミ清掃車が走り出す頃合いを見計らって、ゴミステーションに出す。
 なかなか死体は減らない。
 刻んでトイレに流すにしても、急に水道代が高くなって、誰かに怪しまれたら一巻の終わりだ。あらかじめ細かく刻んでおいた死体を排泄する時に一緒に流すことにする。
 当たり前のことだが、人を殺すのも、死体を処理するのも初めての経験だから、考え過ぎても考え過ぎることはないと思う。骨は業務用のおろし金で削り、原形をなくす。死んでも尚、オレに迷惑を掛けるとは不愉快極まりないヤツだと思う。
 同じ女を同時期にストーカーするなんて珍しい部類に入るだろう。
 オレの方が先にストーカーをしていたと思う。オレは神原喜代美を追う為に、引っ越しをし、それから会社を辞め、神原喜代美の生活を見てきた。神原喜代美が朝起きるところから1日が始まり、電車の中で神原喜代美の視界に入らない程度の距離に位置取り、会社まで送り、たまにある会社帰りの飲み会を見続け、そして帰って来てからも尚、窓の灯りを見続けてきた。
 道路を挟んでオレの家の目の前が神原喜代美のアパートである。一方通行にしても良いと思える程の道幅だ。もし神原喜代美の部屋のカーテンが揺れれば、その揺れもわかるくらいの距離だ。
 それなのに、ここ3カ月程前から、神原喜代美の家の周りをオレの殺した高井真郷はうろちょろするようになった。
 ある日、ベランダから神原喜代美の部屋の灯りを見ていると、ある男が神原喜代美のアパートの周りを歩いていた。何度も何度も目の前の道を通るので不審に思ったが、初めは特に気にも留めなかった。しかし、最近、神原喜代美がゴミを出さないなと思っていた時に、高井真郷がゴミステーションからゴミを取っていたところを見てしまった。ゴミ漁りの類いかと思っていたが、毎回毎回、神原喜代美の出すゴミしか取って行かなかった。
 ゴミは個人情報の宝庫である。
 自分のことを考えればすぐにわかる。携帯電話の請求書、電気代の領収書、会社で使った書類など、ほとんどの人がハサミを入れないで捨てる。そこから、名前、働いている場所、携帯番号、貯金の額、どこの店で何を買っているか、彼氏がいる場合にはいつ来ているか、大体の日にちならば割り出せる。
 高井真郷はいつも黒いヨレヨレのコートを着て、伸びきった髪に銀縁のメガネを掛けていた。辺りを必要以上に警戒していて、かえって不審者をアピールしているかのようであった。高井真郷がゴミを漁りに来るとわかると、オレは部屋から出て、通行人のふりをして、見張った。家の前の道路に出るまでは多少時間が掛かっていたので、ゴミを持ち出されることもあったし、警戒して、何もせずに立ち去ったこともあった。
 3、4回目からは、向こうもこっちの顔を覚えたと思う。オレのことをどう思ったのか知らないが、普通ならば、顔が割れればすれ違っただけで、こっちの様子を窺い震え上がるものだが、高井真郷はなぜか堂々としているように見えた。
 オレはその様子が気に入らなかった。
 気が弱く警戒心が強いくせに、習慣になるとずぼらになる性格は、今後ストーカー行為をエスカレートさせるに決まっている。
 高井真郷はオレのことを神原喜代美のストーカーとは思っていないと思うが、こっちからすれば、同じストーカーとして共存出来ない。先に事件を起こすのは、高井真郷に決まっている。事件になれば、オレがストーカー行為をしにくくなる。
 高井真郷がゴミを持ち帰る時にあとをつけると、家がどこかすぐにわかった。高井真郷には何の警戒心もなかった。高井真郷のアパートのゴミステーションを覗くと、ゴミがいくつか捨ててあり、それら全てを持ち帰り、中を調べるとすぐに身元が割れた。その中の1つに高井真郷が捨てた可燃ゴミがあった。自分がゴミ漁りをしているのに、ハサミを入れないで個人情報を捨てるところがずぼらを極めている証だ。
 一人暮らしで、ポスティングのアルバイトをしている。その会社を調べたら、正社員は募集していないので、アルバイトの類いだろう。ポスティングのアルバイトなんて、何の連絡もせずに辞めるヤツなんていくらでもいるはずだ。その会社の人間が高井真郷と連絡を取れなくなったとしても、気にも留めないだろう。
 問題は親や友人だ。
 外にいれば、家の鍵を持ち歩いているはずだ。殺したあと、家に入り込みさえすれば、保険証の1つもあるだろう。写真入りではない証明書を持って行けば、携帯電話を解約することが出来る。友人は携帯が繋がらなかったら、諦めるだろう。万が一、家に来たとしても、留守ならばおとなしく帰る。
 親は、携帯が解約されて家にもいなかったら、警察に届け出を出すだろう。しかし、事件は大体、顔見知りの犯行の線から疑う。
 高井真郷も知らないストーカー仲間でしか繋がっていないオレのところには、目撃者でもいない限り、たどり着けないだろう。
 作戦は練ってある。
 その日は突然やって来た──。

 高井真郷は神原喜代美のポストを覗くことを思い付いた。ポストには鍵が付いていたが、上1桁をずらしていただけなので、すぐに開けられてしまうだろう。たいていは下1桁をずらすものなので、そこはオレも少し苦労をした。
 高井真郷はオレがポストの前を通っても、一目見ただけで、堂々とポストの鍵を開けることに熱中していた。恐らく、誕生日や生まれ年を当てはめているのだろうが、安い鍵はそんなに都合よく出来ていない。ホームセンターか何かで買ってきた鍵はすでに出来合いの数字が決まっている。大体、引っ越してきたばかりの時は、ゴロ合わせを作り、それを覚え、きちんと鍵の数字を回すものだが、だんだん面倒になり、下1桁しか回さないようになる。
 隙は普段何気ない生活をしている時に、現れる。引っ越ししたての時は「非日常」で、見知らぬ場所に警戒心を持つが、しばらく何もないとそれは「日常」となる。
 経験がなくても、そのくらいのことは頭が回りそうなものだが、高井真郷はそんなことにも気付かない愚か者なのだろうか。それならば、やはり共存出来るはずがない。
 ポストの中には神原喜代美の部屋の鍵が入っている。
 オレは神原喜代美が会社に行ったのを確認して、ポストから鍵を取り、合鍵を作り、戻していた。
 オレは「いつでも入ることが出来るんだぞ」という気分を楽しんでいたが、高井真郷は短絡的に鍵を持ち帰るか、そのまま部屋に入るだろう。
 もし事件になり、高井真郷が捕まらなかったら、合鍵を作ったオレに疑いが掛かるかもしれない。そのくらいは警察もすぐに割り出すのではないだろうか。
 コイツはオレのことを何も考えていない。
 オレは電車で神原喜代美を初めて見た時から追い続け、引っ越しをし、会社まで辞めた。
 コイツはたまたま神原喜代美の家の近くに住んでいただけで、たまたま神原喜代美を見掛けて、たまたまストーカーをする気質のあったヤツだ。高井真郷は神原喜代美でなくても良かったのだろう。オレは神原喜代美でなくてはダメだ。
 神原喜代美は輝いていた。特別美人という訳ではないが、そこがまた良かった。黒い肩までのセミロングの髪型も、目の下の涙袋が少し膨らみ、窪みが出来ているところも、髪を結わいている時に見せる人よりも小さめの耳も、片手で回せそうな首の太さも、満員電車で人に圧迫され、人より小さな体ゆえに息が上がっている姿も、風の流れで髪から香る甘いシャンプーの匂いも、全てが輝いていた。
 高井真郷だけには好きにさせたくはない。