列島リーグとチームの未来を賭けて宿敵スコルピウスと雌雄を決することになったエストレージャFC。だが、第1戦のアウェーゲームで敵は卑劣な罠を次々と仕掛けてくる。圧倒的に不利な状況に、ハルは活路を見出すことができるのか!? キックオフの笛が今鳴り響く。

 


 耳を劈く蛮族のブーイングも防音の行き届いたメインスタジアム中央のスカイボックス席には届かなかった。
 これまでは報道管制を敷き、厳しくメディアを規制していたアルゴルだったが、今日はあらゆるメディアクルーや関係者を広いラウンジに招待し、美女のエスコート付きで一流レストランの料理を振る舞い、土産まで持たせていた。
 エストレージャの関係者であるハセガワとアタリもまた、差別無く、眺めのいいスカイボックス席へと案内された。
「わっ、ハセガワさん。このお土産、五十年代に生産されたボルドーのヴィンテージワインです。いくらするんだろう。デリバリーも一流レストランのメニューそのものです。立派なモニターもあるし、超高速Wi-Fi付き。突然に開かれた感じですね」
「露骨にメディアを抱き込みにかかったわけだ。接待に弱い奴は多い。まあ、人のことは言えないけどな。おい、アタリ、何してるんだよ」
 さっきからアタリはスマホを気にしている。
「リッカちゃんとジュン君から鬼のようにメールが来るんです。そっちの様子を知らせろって。停電事故で空港の管制塔がアウト、プライベートジェットもダメで、天美オーナーも来られないから気になるんでしょうね」
「同様のトラブルで船舶もダメなんてな。そんなにアクシデントって重なるもんか?」
「何かあると?」
「わかんねえ。ただ、前乗りしておいて良かったぜ」
「サポーターの大半は来られないでしょうね」
 アタリはメールの返信を打ちながら悔しそうに呟いた。
 ドアが開き、愛想のいい女性職員が先発メンバー表を配りに来た。女性向けの笑顔を作って受け取ったハセガワだったが、メンバーを見るや、くそっ、やられた、と頭を抱えた。
「まずいぞ。予想は大外れだ。スコルピウスの登録メンバーは大半が知らない選手だ。ドゥメールさんのリサーチがここまで違っているとはな。こんなことは今まで一度もなかった」
「相手はどんなやり方で来るんだろう。こっちはリサーチの正確性に賭けて特殊なプランで訓練してきたのに」
「デフォルトに戻そうにも、こっちにはジャアジャアがいない。キャプテンも怪我をしている……。参ったな」
「でも、相手だってこのメンバーでは一度も試合をしていません。スコルピウスはコンビネーションに不安があるんじゃないですか」
「そんな可愛いこと期待するな。対エストレージャ用にどこかで訓練を積んできた特殊チームかもしれないぞ」
「ああ、いきなり情報戦で負けるなんて」
「今更嘆いても始まらない。試合はやってみなきゃわかんねえだろ。どんな奴らかしっかり見させてもらうぜ」
 ハセガワは勢い良くジャケットを脱ぎ捨て、無理やり気合いを入れた。

 閉鎖的なスタジアムでエストレージャの選手達は、反響して渦巻く罵詈雑言の嵐に曝されていた。ほとんどの選手にとって経験のないレベルの圧力だろう。練習で再現できない経験のひとつだ。
 監督の立知花は現状を確認すると、力士のように肩をいからせ、大股でのしのしとベンチに戻った。
「サターナよ、会場はたいした殺気だな。オーナーも来られない。ドゥメールら残りのスタッフとも合流できない。アウェイサポーター席もガラガラだ。我々はファミリーと分断された。これだけ居心地の悪いアウェイもそうはない。こんなシチュエーションの練習もしておくべきだったな」
 立知花は忌々しそうに吐き捨てたが、サターナは無表情のまま腕を組んで黙っている。
「ジャアジャアがいればなあ。せめてベストメンバーでやりたかった」
 サターナがそっけなく答える。
「連絡がとれない。失踪かはわからない。警察が捜索中だ」
 立知花は苦笑した。
「自動販売機のような答えだな。コインを入れれば、商品がコトンと落ちて来る」
「とんでもない商品が出て来たら困るだろう」
「少しは、戯言にも付き合えや」
 一昨日、エストレージャのキャプテン、バイエル・ギンガーの略取誘拐未遂事件が起こった。
 ギンガーはすんでのところで拉致を免れたが、犯人のナイフで右手を負傷し、居合わせたジャアジャアが消息不明になった。
「ギンガーは罠を見破り、間一髪危機を脱したというのに、何故ジャアジャアが消えてしまうんだ。あいつは逃げる敵を追いかけて行った、とギンガーは言っていたが」
「正義感が強いからな」
「刑事じゃないんだ、追うべきはボールだ。無事ならいいが。しかし、サターナよ、どうする? こっちは替えのきかない主力を欠き、調べ上げたはずのメンバーは大外れだ。ドゥメールもここにはおらん」
 スコルピウスは直前の試合から七人を変更した。ドゥメールの補足情報にもない選手ばかりだ。このスタメンでコンビネーションを高める時間があったのか。まず、そこが知りたかった。
 立知花は相手の力を少しでも測ろうと、小さい目を無理に見開きピッチを見つめる。この試合にはいくつもの罠が仕掛けられ、周到な準備がされているはずだ。狙いを探り、出来るだけ早く選手に明確な指示を与えなければならない。リスク回避こそ最優先すべき戦術だ。肉を切らせて骨を断つ、痛みを伴う戦術を見つけ出さねばならない。

 ラフィが口元を隠しながらハルに話しかけてきた。
「君に話しておきたいことがある。細かいことばかりだが、気になるんだ。例えば、このスタジアムは真っ黒で、広告板のようなパスを出す時の目印がないね。照明灯の設置位置も一般的なものとは異なる。芝も経験したことのないハイブリッドで、試合球も直前に知らないメーカーのものに替えられた」
「十分もあれば慣れるさ。ラフィ、細かいことより最初が肝心だ。呑まれたら力が出せない」
「ハル、嫌な予感がするんだ。自分の弱点がバレているとしたら? それをカバーしてくれる仲間の弱点も筒抜けだったら? 冷静な判断をするための時間が与えられなかったとしたら?」
 珍しく弱気だな。ハルはラフィの肩に手をかけ「大丈夫だよ」と力を込めて言った。
 だが、ラフィはすぐに首を振った。
「今日は僕に期待しないでくれ」
 指先をひらひらと振ってラフィは離れていった。
 気になることなら俺にもあるよ、ラフィ。
 あいつはベンチスタートか。
 ハルは相手ベンチの暗がりに潜んでいるパトリオット・アザーレの視線から顔を背けた。