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 主審の笛が鳴り、ファーストハーフ(前半)がスタートした。
 ラフィはキックオフ直後のボールを奪われた。恐ろしいほどのエネルギーで、スコルピウスがエストレージャを圧倒していく。
 嫌な予感はしていたが、悪い入り方をしてしまった。状況を早く見極めないと。でも、観察する余裕がない。ああ、相手のプレーが激しい上に情報がないなんて、まったく。
 ラフィはため息をつきながらベンチを見る。監督たちも困惑している様子だった。
 敵の最初の標的はサイドバックだった。ラフィの目の前でイオもソリスも接触を装って拳と肘をぶち込まれ、容赦ない膝蹴りも見舞われた。主審は近くで見ていたが、ファウルを取っても警告のカードを提示することはなかった。
 主審が近くで判断している以上、目の肥えたファンには熱い試合に見えるだろう。この手の激しさはライバル同士のダービーマッチやクラシコでも、立ち上がりの時間帯などによく見られるものだ。
 審判団が買収されているんだとしたら、最悪だな。
 またネガティブな要素を見つけ、ラフィはいよいよ憂鬱だった。
 敵の基本システムは3-2-4-1だが、5-4-1にも見える。これが噂に聞く五芒星システムか。フィールドプレイヤー十人を丁度、五芒星の十の交点に配置している。まるで蜘蛛の巣のようなシステムだ。
 スコルピウスは中央から放射状に仮想の受信糸を細かく張り巡らせ、エストレージャの選手を巣の中央部に誘い込むと、蜘蛛が糸を絡めるように取り囲み、連続するフィジカルコンタクトやファウルでダメージを与えていった。
 じわじわと弱らせて潰す気だな。既に第二戦のことも考えて、できるだけのダメージを与えるつもりだ。嵌められた。敵はこちらのことを熟知し、訓練された特殊チームだ。
 立知花監督が蜘蛛の巣からの脱出方法をどなるようにコーチングしているが、相手の戦術は高度で、練習もなしに実践できるほど易しくはない。
 仲間達は次々と蜘蛛の糸に搦めとられた。そして、前半十五分、右サイドバックのイオが頭部をピッチに強く打ちつけられて意識をなくし、さらにもう一人の左サイドバックのソリスも重なり合った五人の選手の下敷きにされて、立ち上がることが出来なくなった。
 交代枠はもう残り一枚か。
 スパイクの刃がギラリと光り、突然、凶暴なタックルがラフィを襲った。
 ギリギリで回避できたが、危なかった。
 苦手な方向にばかりターンさせられる。パーソナリティが知られ過ぎているのが不愉快でたまらなかった。持ち味の観察力と技術で身を守れてはいたが、ラフィの存在感はゼロだった。
 さそり座の蛮族は旗がひらめくように、ひるがえっては切り込んでくる。追いかけ、挟み込み、いたぶることだけを繰り返し、いつまでも攻撃に転じなかった。ゴールを狙う気配すらない。
 何もかもが読みづらい。お互いにシュートはゼロ。観客は吼え続ける割に攻めない時間を許容している。まるでゲームの筋書きを知っているかのようだ。
 ひとつやり返すアイデアは見つけたが、この環境で戦える相棒はいるだろうか。あいつはどうしている? 
 ははん、やっぱりね。僕は相手の思考が読めないのが不快だけど、仲間が受けたファウルまで、なんでも情報を丸暗記するあいつのイライラもかなりのものだ。
 ラフィは自分以上にナーバスになっているハルを見つけ、冷静さを取り戻した。

「三つパスを繋げなきゃ何もできない? そんなチームですか、俺たちは」
 発煙筒がスタンドからピッチに投げ込まれ、その処理のために試合が中断したタイミングで、ハルはキャプテンのギンガーに不満をぶつけた。
「タックルやファウルを怖がって、みんなすぐにボールを放してしまう。誰も正確なポジション取りができないからパスが全然つながらないんです」
「ハル、誰も責めるな。もう立っているだけで精一杯の者もいる。プロの壊し屋に抗えるほうが珍しい」
「誰も責めたりしませんよ」
 でもね、とハルは息を吐く。
「工夫がなさ過ぎます。アタッカーと中盤を離し過ぎたら奴らの思惑通りだ」
「確かにどうかしているよね。フォワード三人を前線に張り付かせたままなんて」
 ラフィが話に割り込んできた。
 発煙筒は次々と投げ込まれ、処理には時間がかかりそうだった。
「前線の三人でスリーウェイから攻め込むエストレージャのやり方は、トップと中盤の位置取りでピッチの半分を効率良く埋めなきゃいけない。だけど、これだけ中盤での一対一で負け続けたら、もうシステムの形なんて誰も認知できませんよ。どうして監督はこのシステムにこだわるんだろう」
「第二戦のために、これ以上、手の内を見せたくないのだろう」
 ギンガーの言葉にラフィは頭を左右に振った。
「僕に嘘をつくのは難しいですよ、キャプテン。ジャアジャアは不在でも、まだよく働くフォワードがいる。ピアネッタだって十分にやれます。彼らを中盤に吸収してゼロトップにすればチャンスは幾度か作れるはずだ。相手はそれも研究済みでしょうから、今更隠すことにはならない。監督の本心は第二戦で逆転の礎になるフォワードだけでも無傷で持ち帰りたい。そんなところじゃないですか」
 ギンガーは考えをめぐらせているのか、腕を組んだまま目を瞑った。ラフィが畳み掛けるように言う。
「ただ、敵はそれを許すほど甘いですかね。フォワードを怪我から守りたくてもこっちの交代枠はあと一枚。三人は持ち帰れない。それに、中盤だけで守りきれず五点も六点も取られたら、第二戦の意味はないでしょう?」
 ギンガーが目を開く。
「若者はいつも新しいことをするべきだ」
 静かで、責める口調でも褒める口調でもなかった。
「システムは指示があるまでは変えない。だが、ロングカウンターは狙ってもいい」
 アイデアを共有しよう、と言うギンガーの言葉にハルとラフィは頷いた。
「奴らが知っている以上のスピードで勝負だ。ラフィ、インターセプトから三秒で仕留めよう」
「やっとそういう話になった。ハル、アイデアはあるんだ。うまくいけば敵をがっかりさせられる」
「前半はあと十分くらい。ポゼッション率三十%以下からの挑戦だなあ」 
「ハル、感情はすべての技術よりも価値がある。感情が君の足を動かす。それを忘れるな」
「ええ、キャプテン」
「そしてラフィ、インテンシティというのは、勝たなければだめだ、という決意の勝負だ。君の心の強さを見せてみろ」
 ハルはにっこりと笑ったが、ラフィは舌を出した。
「でも、キャプテン、あちらのファウルはとられない。買収された審判がこんなに恐ろしいとは知りませんでしたよ」
 ギンガーもここは渋い顔をした。
「買収されている、と考えるのが自然だろうな。この際、それは当然と考えよう。耐えて無失点を続ければ相手の苛立ちに繋がるはずだ」
 発煙筒は処理され、試合が再開されそうだった。審判が時計を見て、笛を手に取り、ドロップボールでリスタートする。
「試合に強く入ることはできなかったが、まだ偉大な試合を演じられるはずだ。いいか、相手の車輪が木の枝を巻き込んで、前へ進めなくなる時を見逃すな」
「ひと泡吹かせてやる」とラフィが笑う。
「やっと試合が始まった気がするぜ! セルゲイとピアネッタにも伝えておく。前線は任せろ」
 ハルは思い切りよく駆け出した。