左:滝沢志郎氏 右:坂上泉氏

 

【対談第1回】本土復帰直前の沖縄と大航海時代の琉球。2人の本土出身作家が描いた「それぞれの沖縄小説」。その執筆裏話とは!? はこちら

 

 1972年5月15日。27年間のアメリカ統治から本土復帰を果たした沖縄。今年、2022年は本土復帰から50年の節目の年にあたる。そのタイミングで2人の小説家が、それぞれ違う時代の沖縄(琉球)を描いた作品を発表した。2人は奇しくも同じ文学賞(松本清張賞)出身の先輩と後輩でもある。大航海時代の琉球を舞台にした『エクアドール』を上梓する滝沢志郎氏と、1972年本土復帰直前の沖縄で警察官たちが躍動する『渚の螢火』を著した坂上泉氏だ。沖縄本土復帰50年の今、滝沢氏、坂上氏は沖縄という土地が歩んできた歴史をどう見ているのか。対談の第2回では、本土出身の作家から見た沖縄、そして返還後の50年について2人が意見をぶつけ合う。

 

──沖縄、琉球について書かれた小説を上梓したお二人が考える沖縄とは、どういうものなのでしょうか。

 

滝沢志郎(以下=滝沢):そうですね。沖縄県っていうのがありますけど、結局それは沖縄の中心ではあっても、一部でしかないんじゃないかなと思っているんです。僕、前に「世界のウチナーンチュ大会」っていうのを見たことがあって、世界中にいる移民が、沖縄に集まってパレードをするんです。その時に、沿道の人がブラジルから来た人に「まあ、久しぶりー」とか挨拶してるんですよ。それを見て、すごいなと思って。沖縄って離れて暮らしている人でも、やっぱり自分はウチナーンチュっていうアイデンティティを持ったままでいられるような所なんだなと思って。だからもう、ウチナーンチュがいるところが沖縄だと思うんですよ。沖縄っていうのはそれほど広くて、深くて、豊かな、そういう土地なんじゃないかなっていうのは、ずっと思ってます。

 

──坂上さんはいかがでしょうか。

 

坂上泉(以下=坂上):滝沢さんは、その人たちがいるところが沖縄って言い方をされてて、面白いなって思ったんですけど、僕は一方で、本土もそうですし、中国、台湾、朝鮮、東南アジアなど、いろんな所から沖縄に流れてきた人たちが、そこで数世代かけて、今の沖縄を作っていったっていう印象があるんですね。沖縄を作ってきたのは、よそから来た者も含めて、沖縄になろうとする、努力、意思であって、そういうところが、実は沖縄らしさの神髄の一つではあるのかな、と思いますね。

 

滝沢:それともうひとつ興味深いのは、琉球史の研究者、特に中世の研究者が言うには、琉球は東南アジアだと思った方が理解しやすいそうなんです。というのも、国の成り立ちがそっくりなんですよ。港市国家といって、港があって、そこから外に行ったり、外から物が来たりして、すぐ近くに政府があって。これ、アユタヤもそうだし、マラッカもそうなんですよね。

 

坂上:たしかに東アジアの中国や日本がやってるような、農民を支配して、農民から上がってくる年貢で成り立ってるという領域国家とは根本的に発想が違いますよね。

 

滝沢:そうなんですよ。

 

坂上:沖縄を中心に世界地図を見ると中国も台湾も本当に近くにある。それこそ八重山地方では病院に行くのも、昔は台湾の方が近かったとか、台湾から石垣島に、船で商人がやってきてたみたいな話とか、現地で聞いたりしましたし。滝沢さんの『エクアドール』の時代がまさにそうですが、久米村に中国人がチャイナタウンを形成する一方で、本土から入ってきたひらがなを使用している。いろんな文化や人を取り入れる一方で、その時代によって明だったり日本だったり、そしてアメリカだったりの影響で立ち位置を問われている大変なエリアだと思います。

 

──『エクアドール』の時代は、明と冊封関係にあって、その後、日本が琉球処分という形で取り込んでいく。そして第二次世界大戦後、アメリカの施政権下に入り、また『渚の螢火』で描かれた1972年に再び日本に復帰する。これだけで時々の外圧に振り回されているということがわかります。そんな歴史の変遷を踏まえたうえで、今年の5月15日で本土復帰50年を迎えますが、1972年から現在までの沖縄の50年をお二人はどう見ていますか。

 

坂上:復帰から50年経ちましたが、経済格差や基地問題など50年間解決されていない問題がまだまだあるのは事実です。この間、沖縄にしっかり向き合ってきた政治家や官僚が一人もいなかった、ということはないと思いますが、沖縄の人にとっては100点ということはない。それでも、やはり本土の人間としては、100点といかないまでも、日本に復帰したことが70点なり80点ならいいな、と思いますし、そうなるようにこれから歩み寄っていかなくてはいけないと考えます。

 

「本土の人間が歩み寄っていくことが大事だと思います」(坂上氏)

 

──滝沢さんはどうお考えですか。

 

滝沢:そうですね。この復帰から50年の間で、特に、90年代位からだと思うんですけど、沖縄の人が、ウチナーの文化とか、そういったものに、すごく誇りを持つようになっている。これって長い歴史の中で初めてなんじゃないでしょうか。それがすごく、新しい流れではないかと感じています。

 

──私たち本土の人からすると、沖縄の人たちはこれまでもずっとウチナーンチュであることに誇りをもっているイメージがありますが。

 

坂上:近代に入ると、帝国臣民として恥じないように、標準語を使おうという言説があったり、戦前から戦中もそうですし、戦後なんかも日本復帰に向けて、正しい日本語を使おうっていう流れが結構強かったとは聞いたことがあります。

 

滝沢:80年代ぐらいまでは、まだ自分が沖縄の人間だって言いづらかったっていう時代があったらしいんです。それが安室奈美恵さんの活躍や「ちゅらさんブーム」とかもあって、段々、ウチナーンチュってことに沖縄の人が誇りを持つようになってきたっていう。この潮流は、近代になってからは初めてなんじゃないでしょうか。だからこそ、この流れが、今後どうなっていくのか、僕はすごく関心を持って見ているんです。

 

「沖縄の人たちが自らを誇りに思いはじめている、この流れがどうなるのか注目しています」(滝沢氏)

 

──今後、どうなっていく可能性がありますか。

 

滝沢:この50年、経済振興とかはしているんでしょうが、基地問題だったり、安全保障だったりを沖縄に過重に負担させていますよね。それに対して、沖縄の人が是正を要求しても、撥ねつけてきてるわけですよ。そういう本土の人間の態度が続くと、どうなってしまうんだろうなって、そういう危惧はありますね。元県知事の大田昌秀さんが沖縄独立論について、経済が弱いうちは現実的な議論にならない、とよく言っていたらしいんですが、では、仮に沖縄が経済的に自立できるような何かがあったら、本当に独立論が現実味を帯びてくるんじゃないかって考えてしまいます。

 

坂上:今の世界情勢でいくと、ウクライナなんて、まさにそういう話かもしれません。ロシア帝国によって飲み込まれて、ソ連崩壊とともに独立しましたが、ある段階でロシアの属国ではなく、自分たちのウクライナだよねってなる。沖縄でもそういうことが起きてしまうかもしれません。仮にそうなっても、ロシアとウクライナの間で勃発しているような、決定的な対立っていうのはやっぱり起きてほしくないなって。そのためにも我々本土の人間も真剣に考えていかないといけない。

 

滝沢:どっちにしてもケンカ別れにだけはなって欲しくないですね。

 

坂上:本当にそうですね。

 

(第3回 沖縄には小説の舞台となる「無限の可能性がある」に続きます)

 

●プロフィール
滝沢志郎(たきざわ・しろう)
1977年島根県生まれ。東洋大学文学部史学科を卒業後、テクニカルライターを経て2017年『明治乙女物語』で第24回松本清張賞を受賞し作家デビュー。近著に『明治銀座異変』(文藝春秋)がある。

坂上泉(さかがみ・いずみ)
1990年、兵庫県生まれ。東京大学文学部日本史学研究室で近代史を専攻。卒業後、一般企業に勤務するかたわら、2019年「明治大阪へぼ侍 西南戦役遊撃壮兵実記」で第26回松本清張賞を受賞。同作を改題した『へぼ侍』(文藝春秋)でデビュー。2作目となる『インビジブル』は第164回直木三十五賞候補に。同作は、第23回大藪春彦賞、第74回日本推理作家協会賞【長編および連作短編集部門】を受賞した。