第3話 スターデニムは語る

 

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「今さらなんですけど、店を離れて怖くないんですか」

 下浦千可はバイト先の雇い主である設楽信太郎に尋ねた。西荻窪のアンティーク、ヴィンテージ専門店『久楽商店』でアルバイトを始めてから三ヵ月が経ち、平日に来るお客さんは少ないとわかっていたけれど、聞かずにはいられなかった。

 設楽は生成りの麻ジャケットに薄い色のデニムパンツ、茶色のはきこまれた革靴という出で立ちで、蒸し暑いのに見た目は涼しげだ。

 梅雨特有のじめじめした空気で、千可は膝の裏をさすりたかった。おじいちゃんとおばあちゃんがよくぼやいていたように、季節の変わり目は古傷が痛むというのは本当なのだと思い知らされる。十八歳でも疼く傷は疼く。

 ゆるゆると首を振った。

 千可は設楽とJR西荻窪駅で上り電車を待っていた。他に店員はいないのに、二人揃って店の営業時間中に外出したことは今までもある。設楽はまるで商売っ気がない。この三月まで高校生だったわたしが呆れるくらいに。日本橋はコインパーキング代が高いので、設楽の古いボルボのステーションワゴンではなく電車での移動となった。

「怖い? なにが?」

「昨日の藤池さんの話もあるじゃないですか」

 警視庁捜査一課の刑事、藤池が夕方に相勤と店にやってきたのだ。

 

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「なんだ、サボりに来たのかい? お茶でも出そうか」

 元同僚とあってか、設楽が気楽な調子で揶揄からかうと藤池は鼻先で嗤った。

「サボるなら喫茶店に直行するさ。仕事だよ、仕事。三時間前、荻窪の貴金属店で緊縛強盗があった。白昼堂々、指輪やら時計やらをごっそり奪われたって話でな。そのついでだ。お前の店も注意しろよ。嬢ちゃんもな」

 千可もアルバイト初日に藤池と知り合いになった。その縁で、わたしも気に懸けてくれたのだろう。でも、なにをどうやって注意すればいいのだろう。

「ついで?」設楽が首を傾げた。「現場は荻窪でしょ? 近いとはいえ隣の西荻に?」

「何ヶ月か前、ニュースにもなっただろ。都内各地で似た手口の緊縛強盗が最近起きてんだよ。西荻でだって、いつ起きても不思議じゃない。荻窪署だけでなく、西荻窪署とも情報交換しに来たんだ」

 千可も都内の他の場所でも似た事件があったとテレビのニュースで観た気がした。うろ覚えだけど、練馬区とか中野区とかで。荻窪でもあったんだ。なんだか物騒な世の中になってしまったものだ。

「ご丁寧にどうも。ご苦労さま。馬鹿な連中が増えたもんだね」

「まったくだ」

「警察の威信を懸けてさっさと根こそぎ逮捕してくれたまえ」

「お前も気づいた点があれば、すぐ連絡をくれ。些細な点でも構わない」

「一人の市民としてできる範囲で協力するよ。早く解決してほしいからね。解決した後、ゆっくりお茶を飲もう」

 設楽は親指を立てた。

 

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「だって、お店は貴重で高価な商品でいっぱいですし」

 いまだに高額な商品を手にする時は緊張する。時計やアクセサリーだけでなく、服や鞄でも数十万円、数百万円の商品がごろごろあるのだ。驚くことに週に数回、そういう高価な商品は売れていく。

「うちの店、意外と防犯対策はしっかりやっているんだよ。窓はそもそも強化ガラスだし、遮光フィルムも防犯用のやつだし、裏口も表の出入り口も鍵は三重だし、警備会社にも入っているから。最近は押し込み強盗もいるから来店時の方が怖いんじゃない?」

「何年か前、昼間に銀座の大通り沿いにある高級店に強盗が入ってましたもんね」

 まもなく電車がやってくるというアナウンスが流れた。

「トクリュウは厄介だよ」

「トクリュウって何かの略でしたっけ」

「匿名流動性犯罪グループ。暴力団みたいに事務所を持たずに、犯罪のヤマごとにチームを組んで実行する犯罪者たちだよ。警察も今までしなかった囮捜査的な手法を解禁してまで、壊滅を目指しているから少しは減ってきているけれど、頭をまだ叩けてないもんね。全国民、みんな他人事じゃないよ。いつ巻き込まれるのかわかったもんじゃない。やつらは社会全体の敵だよ」

 高校の寮で見たニュースでは、店舗を襲うだけでなく民家にも押し入り、何人か亡くなっていたはずだ。寮母さんも憤っていた。本当に冗談じゃない。ただ暮らしている人がなにをしたというのか。

「不謹慎だけどさ、囮捜査はちょっとしてみたかったかな」

「それこそ危険ですよ」

「危険じゃない捜査なんてないからね。危険といえば、トクリュウの実行部隊なんて使い捨てだよ。約束の報酬を貰えた実行犯は一割にも満たないって話もある。そんな現実も調べないで、目先の金欲しさに犯罪に加担して将来を棒に振るなんて大馬鹿者だよね。犯行の程度によっては、極刑だってありえるのに」

 設楽は冷ややかに切って捨てた。以前も犯罪に手を染める人は馬鹿だと断言していた。千可も同感だった。楽にお金が手に入るわけない。だったら誰にも教えず、自分だけでやってしまえばいいのだから。

「スマホを使えば、幼稚園児でも簡単にトクリュウの接触できる時代だからね。もはや小学校、中学校で口酸っぱく教えるしかないのかも。トクリュウの実行犯になったら、報酬十万円の約束で死刑になりかねませんよ――って」

「うちの高校だと、すでにそういう授業がありましたよ。体育館に生徒が集まって、警察の人を招いて話を聞くんです」

「いい試みだね」

 設楽は評価するものの、学校で教えるだけでは実行犯になる人は減らないだろう。体育座りしながら寝ている猛者もいた。それにテレビやネットのニュースでいくら警告したって、SNSしか見ていない人にも届きようがないし。

「主犯ってどんな人なんでしょうね」

「本当の主犯は十人いるかどうか、下手すれば片手で数えられるくらいだと思うよ。指示役とか案件屋までは捜査の手が届くけど、主犯はその奥にいて高笑いしてるんじゃないかな。東南アジアのどこかでさ。腹が立つよね。なんとかしたいものだ」

「指示役とか案件屋って?」

「まず案件屋というのが厄介でね。この家や店にはこれくらいの金が常時ありますよとか、金庫はここにありますよとか、情報を指示役に売っているんだ」

「そもそもどこでそんなプライベートな情報を手に入れるんですか」

「不動産ブローカー、証券取引ブローカーといった専門の連中がいるよ。専門業者崩れも多いんだ。廃業の時に情報を売っている輩もいるって話だし」

 もはや街の人、店の人、誰も信用できなくない?

「だから同じ店や家を何度もトクリュウが狙うという事態が起きているんだよ。で、主犯はそんな案件屋や指示役から金を吸い上げているはずだ。仲介料という時もあれば、上納という形式の時もあるんじゃないかな」

「やっぱり凶悪な顔つきなんですかね」

「ごく普通の、街ですれ違ったり、電車で乗り合わせたりする人と何も変わらないさ。顔で犯罪をするわけじゃないから」

 それもそうか。うちの父親の方がよっぽど凶悪な顔つきだ。長年刑事を務めていれば、あんな険しい顔つきになるのは納得できる。鹿児島県警の刑事なのだけれど、警視庁に出向した際、設楽と知り合ったという。元気だろうか。母親にはLINEを送ったり、通話したりするけれど、父親とはしばらく喋っていない。それこそ久楽商店で働くよう言われた時以来、話していない。あれも数ヵ月ぶりの会話だった。

「ちなみに今日の外出もうちの防犯力を高めるためだよ」

 設楽は含み笑いを浮かべた。

 

 津田沼行きの総武線に乗り、中野駅で降り、東葉勝田台行きの東西線に乗り換え、日本橋で降りた時だった。

 やばっ。長いホームの端で乗客と駅員、警察の制服を着た二人、計四人の男性が口論している。乗降客は彼らの方を一瞥して、我関せずとそれぞれの行き先に歩みを進めていた。触らぬ神に祟りなし、って感じだ。

「なんと、モンゴメリーワードだよ」

 設楽が急に足を止め、声を弾ませた。聞いたことのない単語に千可も足を止め、設楽の視線を追うと口論中の四人に行き当たった。

「四人のうちのどなたかがそのモンゴ……なんとかさんなんですか」

 四人とも日本人だけど、タレントの名前か何かかもしれない。我ながら呆れるほど芸能関係はまるでさっぱりなのだ。

「モンゴメリーワードはアメリカのストアブランド。そのデニムなんだよ。あれ、もはや幻級のヴィンテージで、スターデニムと呼ばれているんだ。一九三〇年代後半に数年間のみ販売されたモデルでさ。ほら、バックポケットに星形のステッチが入っているでしょ。現物を目の当たりにするのは何年ぶりだろう。十年、いや十五年ぶりくらいかもしれないなあ」

 設楽は目を輝かせている。

「ストアブランドってなんですか」

「アメリカで一八〇〇年代に創業した三つの大手小売業者がある。シアーズ、J.C.ペニー、そしてモンゴメリーワード。この三社から生まれたブランドをストアブランドと総称してるんだ。モンゴメリーワードは二〇〇〇年に倒産してしまったんだよね」

 確かに乗客らしき男性がバックポケットに星形のステッチの入ったデニムを穿いているけれど、見るところはそこじゃないでしょ。千可はそう指摘したかった。

「何年か前に日本のあるブランドが復刻したけど、目の前のスターデニムは本物のヴィンテージだね。復刻ものじゃない」

「どうしてわかるんですか。明確な違いが?」

「あるよ、醸し出す雰囲気だよ。ほら、本物のヴィンテージには得も言われぬ風格が備わっているでしょ」

 雰囲気? 風格? それってオーラ的なやつ? 明確とは正反対、至極あいまいな気もする。ここはあえて触れないでおこう。

「おや、あれは稲森君じゃないか。めでたく鉄警に配属になったんだねえ」

 鉄警――鉄道警察隊の略だ。駅や電車内で起きた犯罪を捜査している。千可は父親の仕事柄、警察関係の用語や基礎知識は知らず知らずのうちに頭に入っていた。

「どれ、稲森君の活躍とスターデニムをもっと近くで拝ませてもらおうか」

 設楽が口論中の四人の方に足を向けた。千可は止めようと声をかけたが、設楽はずんずん進んでいってしまい、慌てて追いかけて横に並んだ。

 うーん、と設楽が眉を寄せた。

「革パッチとシンチバックは……ちょっと見えないか。まだ充分色は残っているし、ひげや蜂の巣の色落ちもいい」

「確か『ひげ』は内腿のあたりの線状の色落ちで、『蜂の巣』は膝裏の色落ちのことでしたよね」

 一ヵ月くらい前、お客さんが全然こない時間に教えてもらったのだ。デニムの紺色が濃く残っているのに、ひげや蜂の巣がいい具合に入っている個体はかなり高くなるという。一点ものだからだ。

「さすが、物覚えがいいね。スターデニムは一九三七年から三九年の全米ロデオ選手権で優勝したカウボーイがプロデュースしたって宣伝文句が当時のカタログにあるんだけど、いまや日本に何本あるのかってレベルなんだよ」

 設楽は嬉々として饒舌に語り、目も釘づけになっている。鉄警の稲森さんの活躍なんて目に入っていないに違いない。わたしには鉄警のどちらが稲森さんなのかはわからないけど、と思いながら千可は四人のやりとりを眺めた。

「スマホの画像や映像を拝見させてください」

 三十代半ばの鉄警がスターデニムの男性に冷静な口調で言った。男性は右手で持つスマホを一瞥し、鉄警に向き直った。

「お断りします」

 うわっ、にべもない。

「何も映っていないと確認できれば、お客様のためにもなりますので。ご協力、よろしくお願いします」

 駅員も引かない。

「何度も言わせないでください。お断りします」

「疑いを晴らすためにもぜひ」

 再び三十代半ばの鉄警が促した。

 どうやら鉄警や駅側は男性のスマホを確認したいらしい。盗撮かなにかの通報があったのだろうか。

「お断りします。私は盗撮なんてやっていない」

 やっぱり盗撮だ。わたしも、と千可は高校時代を思い出した。駅で何度か盗撮っぽいことをされた経験がある。とても嫌な記憶だ。世の中には女子高生が制服で電車を利用しているだけで、にやにやする気持ち悪い人もいる。

「目撃者がいまして、あなたがスマホを慌てて右の後ろポケットに入れたとおっしゃっているんです」

「人違いか、見間違いですよ。ポケットに入れず、ずっと手に持って歩いていたんです。目撃みたいなあやふやなもので突っかかられるなんて冗談じゃない。こんな案件で会社からトバばされたらどうするんです? あなた方はこの損害をリカバリーしてくださるんですか」

 スターデニムの男性は強気だった。本当にやっていないんじゃないだろうか。千可は鉄警の二人の顔を見た。どちらも表情は変えず、男性をじっと見ている。

「なによりもあなたのスマホの映像を確認させてもらうことが、一番の証拠になります。どうか」

 三十代半ばの鉄警がすかさず切り返した。男性は目尻を吊り上げてむっつりとし、双方が黙った。

「稲森君、防犯カメラ映像はどうなっているんだい」

 唐突に設楽がトラブルに首を突っ込むと、三十代半ばの鉄警が振り返ってきた。

「設楽さん? なんでここに?」

「たまたまさ。君の姿が見えたんでね。して、防犯カメラ映像は? 君も当然確認したんだろ」

「この方がスマホを持っている姿は映っていましたが、ポケットに入れたかどうかは確認できませんでした。他の乗客の陰に隠れていて」

「いいんですか」

 もう一人の若い鉄警が探るように稲森に尋ねた。駅員も物問いたそうな目で稲森を見ている。

「この人は大丈夫だよ。カイシャの先輩だった人だから」

 父親も鹿児島県警をカイシャと呼んでいたな、と千可は懐かしくなった。警官は全国的に自分が属する警察組織をカイシャと呼ぶらしい。

「目撃者はどう言っているんだい」

「背格好も服装もこの方に似ていると。スマホの映像を見せてもらえれば疑いも晴れるのに、頑なにスマホの記録を見せていただけなくて」

 突然警察や駅員にスマホを見せろと言われたら、いい気はしない。たとえどんなに下手に出られたとしても、ただでさえ個人情報に敏感な時代なのだ。スターデニムの男性が見せたがらない気持ちは千可にも理解できる。でも、やっていないならさっさと見せてしまえば早いのにとも思う。

「目撃者と被害者の方はいまどこに?」

「仕事があるからと、もう駅を出ていかれました。連絡先は聞いています」

 きっとあんまり関わりたくないのだろう。気持ちはわかる。

「スマホをデニムの右後ろポケットに入れた、と目撃者は言っていると聞こえてきたけど、それはほんと?」

「間違いなく」

「こちらの方」設楽は右手をスターデニムの男性の方に向けた。「いまはスマホを手に持っているけど、ほんとにポケットに入れていたの?」

「我々が声をかけた時にはすでに手に持っていました」

 設楽はスターデニムの男性に目をやった。

「失礼ながら、そのスターデニム、何年くらい穿いていらっしゃいます?」

「は? デニム? あなたになんの関係が?」

「そこを何とか。だいたいの年数で構いませんので」

「二、三年ですよ」

 スターデニムの男性は不機嫌そうに答えた。

「ありがとうございます」設楽は稲森に向き直った。「この方、スマホを右後ろポケットに入れてないと思うよ。入れるなら左だね。今日だけ右だったかもしれないけど、それはごく僅かな可能性だよ。人間の癖はそう簡単には変わらないからね」

「どうしてそう言えるんですか」と稲森が訊いた。

「デニムの左後ろポケットにうっすら線が入っているでしょ。アタリと言われる色落ちで、ちょうどスマホくらいの大きさだ。他の部分の色落ちと比較すると、かなり新しいアタリなんだよ。こちらの方が購入後、日常的に左後ろポケットにあの大きさの何かを入れていることを示唆している」

「しかし――」

 稲森が渋ると、設楽は被せるように声を発した。

「日本には、疑わしきは罰せずという基本ルールがあるんだよ。まさか忘れたわけじゃないよね」

「それはそうですが……」

 稲森は不服そうだ。

「もういいですよね」スターデニムの男性が少し強い口調で言い、足を動かしかけた。「失礼しますよ」

「ちょっといいですか」と設楽が引き留めた。

「なんです?」

 スターデニムの男性は怪訝そうに眉を寄せた。設楽は男性の様子にはおかまいなしに続けた。

「ヴィンテージデニムを穿く時は、あまりポケットにものを入れない方がいいですよ。スマホや財布であってもです」

「余計なお世話でしょう」

「いくらデニムが丈夫と言っても、ヴィンテージのものは丁寧に扱った方が賢明です。少し痛むと自重で裂けてしまうケースだってあります」

「裂けたって、たかがデニムです」

「タタキ、うまくいっているようですものね」

 スターデニムの男性が顎を引いた。

「タタキ? 何のことです?」

「リペアの一種ですよ。そのスターデニム、どこで購入を?」

「原宿の古着店ですよ。それが何か?」

 設楽は懐から名刺を取り出した。

「私、こういう者でして。ヴィンテージやアンティークを扱う店をやっております。もしそのスターデニムを売る気になったら、ぜひうちにお越し下さい。喜んで高価買い取りいたしますので」

 スターデニムの男性は面倒そうに設楽の名刺を受け取ると、つまらなそうに一瞥しただけで無造作にポケットにしまった。

「考えておきますよ」

 スターデニムの男性は改札に向けて早足で歩き出した。

 

(つづく)