戸の上枠に頭をぶつけそうになりながら、お客さんが敷居を跨ぐ。
手脚を長く見せているのは、ヒールの高い靴だ。赤いミニスカートと、キュッと引き締まったウエストを強調するリブセーターがよく似合っている。ドルマンスリーブのコートが、マントのようになびいていた。
スタイル抜群のモデル体型。誰もがふり返って二度見するような美人である。
「いらっしゃい、桂斗くん。なにかいいことあった?」
向日葵はお客さん──喜久間桂斗を迎える。
すると、桂斗は得意げに両手を向日葵に出した。
「よくない? 自慢しにきた」
向日葵の前に示されたのは、真っ赤な十本の爪。親指と薬指には、白い鯉が泳いでいる。さらに、勝ち星を連想させるゴールドのストーンまでちりばめられていた。
「カープ概念ネイル! クオリティ、たっっっっか! ぶちイケとるー!」
すぐに意味を理解して、向日葵は目をキラキラと輝かせる。
広島市民にとっての赤と言えば、広島東洋カープ。無論、主語が大きいのは重々承知しているので、外で大きな声で叫んで回ることはない。ただ、向日葵にとっての赤は特別であった。
「色が綺麗だし、なによりもセンスが光ってる! このネイリストさん、仕事できるね!」
「向日葵ちゃんが好きだと思って、走ってきた」
向日葵は思わず、桂斗の両手をにぎってネイルを細部まで観察する。
それにしても、綺麗な指をしていた。若干、関節が張っているものの、すらりとしている。ピアノでも弾いたら似合うのに……と、思考したところで、向日葵は「はっ!」と我に返った。
「ごめん、桂斗くん! 他意はない! 他意はないのよ!」
向日葵は声を大きくしながら、両手を開いて頭の横に示した。
桂斗は両の目を丸くしながら向日葵を見ていたが、やがて、唇を緩ませる。ローズカラーのリップが、笑顔の美しさを際立たせていた。
「他意があってもいいよ。もっと触る?」
「いやいや、ご冗談を。営業中ですよ、お客さん」
向日葵は苦笑いしながら、手を顔の前でふってみせた。
桂斗はつまらなそうに唇を曲げながら、コートを脱いでカウンターに座る。
「ビール。あと、枝豆。ほかは、お勧めを選んで。お酒が美味しくなるヤツ」
綺麗な唇が、スラスラと居酒屋メニューを唱える。向日葵は慣れたもので、「はい、すぐに!」と、明るく返した。
桂斗は昔からの常連客というよりも、向日葵の友人である。こうやって、可愛いネイルや洋服を見せてくれるので、そのたびに盛りあがっていた。
歴とした成人男性だ。
単にお洒落でレディースを身につけている。桂斗が化粧をするのは、スカートを穿いた自分を一番可愛く見せるためだと、常々主張していた。ただそれだけの男性である。
出会ったころは、もう少し素っ気なかった。けれども、何度か会って話すうちに、親しくなっていき、いまではカープの試合を二人で観に行く仲になっている。
センスがない向日葵の服を選んでくれるので、一緒に買い物をすると心強い。
桂斗との会話が一区切りついてから、向日葵は紅葉を確認した。紅葉は黙々とオムライスを口に運んでいる。ほかのお客さんがいると、言いにくいこともあるだろう。
向日葵は、そのまま紅葉のそばから離れて厨房に戻る。
「はい、ビールと枝豆!」
向日葵は桂斗の前に、ドンッとビールの中ジョッキを置いた。枝豆には、皮入れの小皿もつける。枝豆は冷蔵庫に準備してあるし、ビールもサーバーで注ぐだけなので、大した時間はかからない。次いで今日のお勧め、ホタテのバター焼きを鉄板に準備した。
「…………」
しかし、向日葵がそわそわしていることに、気づいたのだろう。桂斗はビールを飲みながら、こちらに視線を向けた。
向日葵はわざとらしく、ブラウスの袖を留めていたゴムを外す。
「……そのブラウス、通販で買った?」
的確に言い当てられて、向日葵の動きが固まる。そうだ。ネット通販のセール品。安かったので、衝動的に買ってみた。
「可愛いね」
その一言を聞いて、向日葵は肩の力を抜いた。
「でも、向日葵ちゃんにはあってないかな?」
「う……」
恐れていた一言に、向日葵は顔を引きつらせた。
桂斗のために用意しているホタテのバター焼きが、鉄板でじゅうじゅう唸っている。
「大きいフリルのせいで肩幅が厳つくなってるんだよな。ボリューム袖も同じ。向日葵ちゃんの体型にあってないんだ。もっと、ウエストマークがはっきりして、メリハリがついた服のほうが、華奢に見えるかもね」
桂斗の評価を聞きながら、紅葉もウンウンと小さくうなずいている。さきほど、紅葉の反応が芳しくなかった理由の答えあわせだった。
向日葵は……服のセンスがない。
いや、好きな服を着るのが一番ではある。だが、あまりにセンスがなくて、常に「服に着られている状態」になってしまうのだ。
「そっか……結構、気に入ってたんだけどな」
最初から、桂斗と一緒に選べばよかった。しかし、セール品は一期一会。即買わなければ、次はないかもしれない。幸い、そんなに高い買い物ではなかったので、勉強代と思えば……潔くあきらめよう。と、向日葵はホタテのバター焼きを皿に盛る。
「気に入ってるなら──」
しかし、料理を出そうとする向日葵の前に、桂斗がスマホの画面を見せた。そこには、向日葵が使った格安通販サイトが表示されている。
「こんなパンツをあわせてみようか。センタープレス入りなら、縦ラインが強調できる。全体的にシュッと細く見えるはず」
シンプルなストレートパンツだった。カジュアル系にもオフィス系にもあわせやすくて、高見えもしそうだ。桂斗の言うとおり、真ん中にしっかりと折り目がついているから、脚がすらりとしてスタイルがよく見える。
「向日葵ちゃんは、横に広がる服よりも縦ラインを意識したほうがいいよ。せっかく買った服、もったいないからね。可愛いし」
桂斗はニッと笑いながら首を傾けてみせた。その様が神や菩薩に思えて、向日葵は勝手に両手をこすりあわせる。
「桂斗くん、神ってる……ありがと!」
買った服をジャッジしてくれるだけでなく、活用法まで……向日葵は店のメモ帳に、急いでいまの言葉を書き留めた。
シンプルなTシャツとジーパンのようなスタイルが一番楽で、違和感が少ない。それは向日葵も承知しているのだけれど、どうしても、「なりたいイメージ」は存在する。
華奢で可憐で、女の子らしい服。こういうジャンルをサラッと着こなしたいものだ。なのに、向日葵には似合わない……マネキンのコーディネートを、そのまま買いあげても駄目だった。
向日葵は小さいころから空手をしていた。高校時代は、全国大会にも出場した。そのせいか、身体全体に筋肉がつきやすくてがっちりした体格なのだ。よく言えば健康的、悪く言えばマッチョ。
桂斗は「筋肉質だけど、可愛い服が着たい」という向日葵の希望に寄り添ってくれる。それは彼が、長身の男性でありながら、スカートを穿くために努力してきたからだろう。経験者ゆえに、向日葵の悩みも否定しない。
まあ……桂斗の場合は、顔立ちが中性的で男にも女にも見える美人なのだが。パッと見て、どちらかわかりにくい。真正面から観察すれば間違えないものの、服のせいで惑わされる。
「どうしたの?」
向日葵は、ホタテのバター焼きを桂斗に出しながら、溜息をついてしまう。
「わたしも桂斗くんみたいな美人になりたいなーって……」
「美人だろ、鏡見てこいよ」
服が微妙と言われたあとに、鏡を見る元気はない。
ふと、視線を感じて向日葵はふり返る。
テーブル席に座っていた紅葉が、教科書から顔をあげていた。しかし、向日葵と目があうと、すぐに教科書を読みはじめてしまう。すでにオムライスを食べ終え、皿をテーブルの隅に置いている。
ちょっと疲れて、休憩してたのかな? そう片づけられるほど、些細な仕草だ。けれども、今日の紅葉は少し元気がない。
やっぱり、なにかあったのかも……話を聞いたほうがいいのかもしれない。
「あのさ、紅葉ちゃ──」
「今日は……やっぱり帰ります。明日、朝早いので」
向日葵が声をかけるより前に、紅葉は教科書を閉じて鞄に入れていく。
ノートと、ペンケース、折りたたまれた便箋……向日葵が引き留める隙などなかった。伸ばした手を振り払われた気がする。
「あ……」
店には桂斗もいる。帰ると言っている相手に、無理矢理話させるのも気が引けた。
「明日もおいで。話、聞くよ。お母さんみたいには、上手くいかないかもしれないけど」
向日葵は、それだけ紅葉に告げた。
「ごちそうさまです……美味しかった」
紅葉は小さな声でつぶやいて、店をあとにした。
*
どうしよう……。
鹿野紅葉はうつむきながら、路面電車からおりた。学校や『ひなたぼっこ』からは、六駅離れた広大附属学校前駅だ。自転車でも通える距離だが、電車通学している。事務所の駐輪場に、学校指定の駐輪ステッカーを貼った自転車が置けないからだ。
頭上を仰ぐと、切れかけの電灯がチカチカと明滅している。すっかり陽が落ちた冬の空は、紅葉を冷たく突き放しているかのようだ。
向日葵さんに相談……してもよかったのかな……。
ご当地アイドルながら、『めぇ〜ぷるず』の仕事は徐々に増えていた。地元企業のCMや、イベントのPR活動、福祉施設でのボランティアやチャリティーライブ。ファンクラブの会員数も着々と数字を更新している。
謙遜だとしても、「売れていない」、「大したことはない」などと言ったら、いろんな人に失礼だ。紅葉は、自分が置かれた立場を理解している。
ゆえに、不安で仕方がない。
「わたしなんかで、いいのかな……」
ご当地アイドル『めぇ〜ぷるず』は、大事な時期だ。グループのセンターが自分で、本当にいいのだろうか?
センターは事務所が決めた。直感で「売れる」と思ったらしい。しかし、紅葉は『めぇ〜ぷるず』結成時、ダンス未経験だった。ほかに歌唱力が高い子だっている。絵が上手くて多芸なメンバーもいた。紅葉は、みんなよりもキャラが際立っているわけではない。ファンサービスはがんばっているけれど、根が暗いので、ちゃんとできているか不安だった。
努力はしているが──努力なんて、みんなしている。
紅葉は特別な人間なんかじゃない。
センターなんて過大評価だ。
「…………?」
下を向いて歩いていると、煙草の香りが鼻をかすめる。
ザリッと、砂だらけのアスファルトを蹴る音がした。考えるまでもなく足音だと気づき、紅葉の背筋に悪寒が走る。
気のせいではない。
ストーカー……。
ここのところ、紅葉の私生活がのぞかれている気がしていた。誰かに見られていると感じることが増えている……。
両親には相談できない。アイドル活動をやめろと言われるに決まっていた。もともと反対していたが、成績の維持を条件に許してもらっているのだ。間に、『ひなたぼっこ』の菊美おばさんが入ってくれたのもよかった。
事務所やメンバーにも……言えない。『めぇ〜ぷるず』は、大事な時期だ。なにもかも上手くいっているのに、紅葉のせいで迷惑をかけたくなかった。
どうしよう。紅葉は身体の震えを抑えながら走り出す。
とにかく、ストーカーがいるなら、逃げないと。
はあっ……はあっ……。
白い息を切らしながら、紅葉は自宅まで足を動かした。
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