「これ、撮って。友人や家族、誰でもいい、信頼できる人にその写真を送ればいい。会社の人でもいいよ。滝川さんとかね。『今から寮までこの人に送ってもらいます』ってね。そうすれば、きっと悪いことはできないでしょう。確かに、女性が男性の車に乗るのは警戒してしまいますよね」
「いえ、その、大丈夫です……ご丁寧な対応ありがとうございます……逆に、過剰に警戒してしまってすみませんでした」
「いえいえ、こちらこそ。というか、事前に迎えが来るって言われていなかったんだね。随分不親切だね」
「あはは、そうですね……ありがとうございます」
私は少し気まずく思いながら白い乗用車に乗り込んだ。金栗は特に気にしている様子はなく、私を助手席に乗せて車を発進させる。
走り出してすぐ、
「ここ、千家さんがいたところとけっこう違うでしょう」
「ええと……」
「田舎で、何もないと思うかなーって」
交通量が少ないのは確かに田舎らしいかもしれないが、それ以外は全くそうは思えない。
「いえ、むしろ、私が住んでいたところよりずっと栄えていますよ」
「そうかあ。そう見えるんですね」
「そうだ。人は、見えるものしか信じない」
後部座席から金栗以外の声がした。子供の声だと思う。それなのに、なぜか落ち着かないものを感じて、私は心臓をばくばくと言わせながら振り向いた。
「ああ、乗っていたんだね……」
顔立ちの綺麗な少年だった。髪は真っ黒で、少しだけ前髪が伸びている。小学生くらいに見えるが、口を真一文字に結んだ無表情と、黒目がちで静かな目が、大人が少年の姿をしているように見せている。
「ん……」
喉から何かがせり上がってくるような気がして、私は口を押さえる。「どうしました?」と尋ねてくる金栗に「ええ、すみません」と返事をしながら、何度か唾を呑み込む。小骨が刺さった時のような感じが、一瞬だけあった。どうも、カン違いのようだったけれど。
彼は私の様子など毛ほども気にしていないようだ。後部座席に座り、目線は私でも金栗でもなく、フロントガラスに向けていた。
「あの、彼は……」
「直くんだよ。直くん、こちら、千家彩音さんです」
直くんは何も言わなかった。視線をこちらに向けることもない。
住人たちから話を聞いた今でも、後部座席でじっと座って挨拶もしない失礼な子供が、なんらかの神秘性を有した子供と同一人物とは思えないのだ。彼は顔が綺麗なだけの、フツウの少年に見えた。
イヤミ混じりに素敵な息子さんですね、と言おうかと考えているうちに、
「こちらでする仕事の内容は聞いてますか?」
金栗がそう言う。
「いいえ、まだ……」
「それも教えてくれなかったのか。いよいよひどいね。じゃあ、もしかして、みつば文具がさつき町から撤退するという話も聞いてなかったりします?」
「えっ」
純粋に驚きで声が出る。本当に聞かされていなかった。
「それ、いつごろですか」
「プロジェクトとしてね、撤退する前に、町の人の声を集めている。千家さんは町の人から話を聞く業務というわけです」
撤退の日時は教えてくれなかった。だが、それを聞き返すほどの余裕がない。私は完全に混乱していた。来るまでは名前も知らなかったような田舎町。来てみれば思ったより都会ではあったものの、会社が撤退するような場所なのだ。そんな場所ということは、やはり。「左遷」の二文字が頭を埋め尽くす。
「千家さん」
「あっ、はい……」
「こちらで話を聞く相手のところに連れていきますから、基本的に毎日、僕と二人行動になると思います。どうです?」
「どうですと、言われても……」
答えようがなくて、窓の外に視線を移す。駅前から少し離れたからなのか、店舗は減っており、民家が続く。民家も、パブリックイメージの「田舎」を想起させるものではなく、マンションなど、都会的だ。
家々が並ぶ前を通る歩道に、ランニングしている集団を発見する。服装もばらばらで、すぐに見えなくなってしまったが、老いも若きもいたような気がした。
「みんなでランニングなんて、健康的ですね。人通りもそこまでごみごみしてないから、気持ちよさそう」
「ああ、そうだよね。悲しいことだよね」
金栗はぼそりとそう言った。
何か聞き返す前に、車は停車する。
「ここだよ」
「ここ……ですか」
かなり驚いた。全面ガラス張りの建物で、一階部分はカフェスペースになっているようだ。清潔な雰囲気の空間で、清潔な雰囲気の男女がゆっくりと過ごしているのが見える。
ドラマに出てくるオフィスビルのようだった。
「本当にここ、社員寮ですか?」
「そうですよ。あなたの部屋のキーはこれ。荷物を置いたら、もう一度降りてきてくれますか? ここで待っているから」
「ええ?」
「それも伝わっていないのかな。まったく、滝川さんは。来てすぐで申し訳ないけれど、仕事の説明があるんですよ」
私は金栗以上に何も伝えてくれなかった弊社にあきれながら、外装と同じく洗練されたデザインの自室に荷物を置き、軽くメイクを直してから一階に降りた。
横目でフリードリンクが常備されている様子のカフェスペースを見ながら、私はエントランスに向かう。外には金栗と直くんが立っていて、金栗は視線を合わせるように腰を曲げ、直くんはその耳に何か囁いていた。
「お待たせしました」
私が声をかけても、直くんは耳打ちをやめなかった。金栗も私の挨拶には反応せず、彼の話を聞き続けている。子供がいないから分からないが、親というのはこういうものなのかもしれないので、無視されたことは気にしないようにした。
「ああ、ごめんね」
しばらくして金栗は姿勢を正し、こちらに向き直った。直くんの方を見ると、すぐに背中を向けて去っていく。
「相変わらず子供は失礼だ」という脳内に浮かんだ言葉を、「いや、相変わらずってなんだよ」と脳内で打ち消す。私は子供が嫌いだ。みんな、大人をバカにしているから。子供を持ったことはないけれど、自分が子供だったことがあるから分かる。
「あのー、直くんは」
「大丈夫だよ。それより、仕事の話をしましょう」
カフェスペースに腰掛け、仕事の話を聞く。フリードリンクは多種多様で、私はアイスティーを、金栗はアイスコーヒーをグラスに注いだ。
滝川の言っていたことは、あながち的外れでもないと分かる。つまり、本当に記者のようにインタビューをして、それをまとめるという仕事のようだ。
「どんなに突拍子もない話でも、心の中でバカバカしいと感じても、必ず最後まで聞いてください」
「ええ、それはもちろんです」
なぜそんなことを言うのかよく分からなかった。今までも、確かに話が下手な人間にインタビューしたことはある。話が二転三転し、意味が分からないと思い、独自の解釈でまとめてしまったこともある。しかし、事前にそんなことを言われるなんて。
そういうわけで、私は次の日から金栗に連れられて、「話を聞くべき住民」に会いに行くことになった。
最初は、赤羽恭介という元教師の話を聞く、ということだった。だが、指示されたのは、赤羽の元生徒の保護者、赤羽のご近所さん、赤羽が勤めていた小学校の元校長の三人のところに向かって話を聞け、だった。
全く飲み込めないまま金栗の車に乗り、指定された落ち着いた雰囲気のカフェに入り、次々とそこに来る人の話を聞いた。
金栗が事前に提示してきた注意は納得のいくものだった。まさか、こんなに非現実的な話を聞かされるとは思わなかったのだ。意味が分からなすぎて、次の日、独自で赤羽恭介を知る他の住民数人にも取材した。その結果、ますます非現実的な全体像が浮かび上がってしまった。
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