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 もう一年が経つ。

 あの日は日曜日だった。大雨が降る夕方、隣町で一台の乗用車が事故を起こした。運よくと言ってよいものか、犠牲者はたったの二人で済んだ。

 あれからの時間経過に驚いていた女子高生二人は、すぐ後ろにいる始と巡に気づいた様子もなく二手に分かれた。中学生男子二人は音楽室から教室に帰るところだった。

「もし今日も食堂に現れなかったら、遠山先輩はお弁当派かもしれない! もしくは、星から栄養を得ているとか?」

「毒なんだろ」

「まだまだ知られてないことが多いんだよ。自分の無知を疑うべきだ」

 確かに、始が知っている概要なんてネット記事で読んだものに過ぎない。巡の言うことは間違っていないと思えた。言い方はどうにかした方がいいと考えても、注意する立場に自分がいるとは思えなかった。

 夜に彼女を探したんだと、巡には知らせていなかった。

「そういえば今日、班のみんなと昼ご飯食べる約束したんだった」

 代わりにこっちを報告した。巡はうんともすんとも言わなかった。ただ昼休みになって始達が食堂でわいわい食事をしていると、少し離れた場所に座りお弁当を食べていた。気にはなっても、声はかけなかった。後から教室で、遠山先輩は見つかったのか巡に訊いた。今日もいなかったそうだ。

 もしかすると始の暇つぶしを継続するためには、巡が彼女を見つけてはまずいのかもしれなかった。とはいえ彼に食堂に行くのをやめてもらうよう頼もうとは思わなかった。

 授業中は暇じゃないから、始にとっては良き時間だ。特に国語や数学は覚えるだけじゃなく、考えることがあっていい。実は始はまだその呼び名に慣れていなくて、時折、算数と言ってしまう。

 中学生になったばかりの頃、お父さんからそれを可愛い間違いだと指摘された覚えがあった。それが最後のはずだ、可愛いなんて言われたのは。

「ねえ山下くん、うちのクラスの女子で、すきっ歯なのって誰かいるかな?」

 五時間目が終わった後の休み時間だ。トイレから帰ってきた巡が変な質問をしてきた。彼の目的は置いといて、始は素直に一度考えてみる。クラスで最も会話をしている女子は田所さんだ。今は隣の席から、どこかに出かけてる。

「いや、人の口なんてそんなに見てない」

 さっきの巡は声を潜めなかったけれど、始は自分の判断で声を潜めた。

「僕も。他のクラスかな」

 なんの話をしているのか、また夢見がちな空想か。別にどちらでもいいと思った始の表情を、巡は気になって事情を聞きたがっていると判断したみたいだ。それでもいい。

「高等部の女の先輩が、可愛いすきっ歯の子を探してるらしい」

 始は、本当に思わず、自分の上の前歯を舌で軽くなぞった。右の犬歯の隣に、欠損歯がある。それでもまさか自分のことだとは思わない。ちゃんと面識のある女の先輩なんて、いないからだ。あっちが寝転んでてもいいなら別だけど。

「あ、ちなみに生徒会の人なんだけど、山下くん見たことある?」

 手招きされるままに始は立ち上がり、巡の後を追いかけて廊下を覗いた。確かに高等部の制服を着た女子がいた。ちょうど田所さんが話しかけられたところだ。先輩は華奢な体格をしていて、麦わら帽子から降りる髪の毛が首のところで綺麗に真っすぐ切りそろえられている。身長は一七〇センチの始より低そう。見たことがあるような、ないような。

 一言二言会話していた田所さんが右左と確認した過程で、教室から顔を出していた始と目を合わせた。彼女は瞼を持ち上げ、比較的ぽてっとした足音をたて近づいてくる。

「山下くん、昨日、遠山先輩を見たって言ってたよね」

 質問に嘘をつかなくてもいいので、首を縦に振る。それを見た田所さんは先輩の方に振り返り、「彼が」と始を差し出した。先輩がこっちに歩いてくる前にもう一回、始は自分の歯と歯の間を舌でなぞる。

「君か、どこでケイティ見た?」

「け」

「遠山のこと、星空中毒の。どこで見た?」

 問い詰めるような口調と、朗らかな声色がちぐはぐな印象の先輩だった。

「職員室前です」

「オーケー。答えたくなければ答えなくてもいいけど、すきっ歯ある? イッ」

 答えなくていいと言う割に、先輩は唇をイの形に開いて自分の歯を見せつけてきた。始は消極的に歯の右上部分を指さす。コンプレックスという程でもないけど、わざわざ見せたくはない。そういう塩梅だった。

「オーケーオーケー。じゃあ、職員室前で倒れてたあいつにあげるために水買ったりした?」

 あのペットボトルは、始の昨日の水筒になった。

「一応、はい」

「本当に? あいつの妄想だと思ってた、優しいな君。じゃあこれケイティから」

 差し出された薄い手の平の上には百円が一枚と、五十円が一枚載っていた。あの状態でもちゃんと聞いてたのか。意味の分かった始が百円を受け取ると、先輩がグイッと手の平を近づけてきたので五十円も受け取った。

「あいつバイトしてるから気にしないでいいよ。むしろもっと渡せって感じだよね。一ドルにも満たない」

「なんで本人が来ないんだろ」

 言ったのは巡だけれど、始もそう思っていた。自分なりに、もう少し丁寧な言い方にしてみた。

「遠山先輩、は大丈夫なんですか?」

「ああ、来ないのはぶっ倒れてるわけじゃなくて、あいつこの時間は素面寄りで照れ屋だから」

 二日酔いに続き、素面、まるで酔っぱらいの話をしているみたいだ。

 用を済ませた先輩は「じゃあね、何か相談ごとがあったら是非生徒会まで」と、切りそろえられた毛先を揺らし、手を振りながら去っていった。彼女自身が何者かは、教えてもらえなかった。始のちょっとした疑問に、先輩が去った後で田所さんが気づいてくれた。

「山下くんひょっとしてひまわり先輩のこと知らなかった?」

 朗らかで圧力のある様子にぴったりな名前だと思ったら、彼女の本名は向日葵祢といって、自称ひまわりなのだと教えてもらった。生徒会役員なので、遠山先輩とは違い実体として有名な人らしい。

「高等部の先輩は誰も自己紹介してくれない」

 思ったままに言ってみると、巡が「みんな照れ屋なんじゃない?」と笑った。そうかも。

 じっと、始は手に載った百五十円を見る。せっかく決めた暇つぶしの目的が、まさかの二日目も待たずに解消されてしまった。

 残念には思わなかった。遠山先輩が照れ屋でよかったと思った。本人が返しに来なかったのだから、今度は五十円多く受け取ってしまったお礼を言う為に、暇つぶしをすればいい。理由が更新されただけだった。

 

 

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