始は自分の席につき、今あったことを机の前に立つ巡に話した。彼は、目を輝かせる。
「遠山先輩にエンカウントしたの? いいなー」
「レアキャラなのか」
巡の向こう側にいる女子二人が、こっちを冷ややかな目で見たのが始には分かった。あまり良い話題ではなかったのかもしれない。でも話の途中だったから、始はせめて今のところの登場人物、倒れていた人と、質問に答えてくれた人、どっちが遠山先輩なのかだけ知ろうと思った。
「星空中毒の人。有名だよ、知らないの?」
「遠山先輩に会ったんだ? 山下くんが休んでる間に校内で有名になったんだよ」
始の横の席に座る田所さんが、巡の方は見ず始にだけ話しかけてきた。
彼女によると、始が遭遇した仰向け日焼け女子は高校三年生の遠山先輩で、彼女が星空中毒にかかったのは去年の秋ごろのこと。学校から生徒全体への報告や注意喚起があったわけではないけれど、気づけば校内でよく倒れている彼女について、勝手な噂が生徒の間で回っていた。ちなみに田所さんは、元気な頃の遠山先輩となら喋ったことがあるのだとか。
「去年の体育祭で同じ組だったからちょっとだけ。クールな人だったよ。そんでリレーめちゃくちゃ速かった。そういえば山下くんは体育祭も今度が初めてかっ」
「じゃあこれも知らない!? うちの体育祭はねえ、夜やるんだよ」
まるで自分が提案して始まった行事ででもあるかのように、巡は胸を張る。始が「初めて」と相槌を打ったことに巡も田所さんも満足したようだった。その行事について始は入学パンフレットを読んで知っていた。元は生徒の熱中症対策だったのだとか。
「そうか今年は、去年よりもっと帽子に厳しいかも」
田所さんが何かしらの気づきを独り言のように話す。
親切でお喋りな女子。隣の席になった彼女への印象を、始はそんな風に抱いていた。ネガティブな意味はない。彼女のお喋りはほとんどの場合、他人の気持ちを刺激しないから。
「遠山先輩が原因で厳しくなるのに、星空中毒者なら帽子かぶらなくても許されるなんてずるいよねえ」
田所さんが言わずに済ませ、それで始も十分に察したものを、巡が余計に補足した。病気の人のことそんな風に言うなよ、って、庇う正義感も始にはなかった。
田所さんは鞄をロッカーにきちんと片づけてから、教室後方でそのまま談笑中の女子グループに飲み込まれた。男子二人は担任の先生が来るまで、体育祭の種目について話をしていた。巡から「パワー系はあんまり得意じゃなさそうだねえ」と言われ「多分お前もだろ」と返したら「僕は魔法タイプだから」と来てチャイムが鳴った。
ちなみに始はパワー系含めた運動も勉強も普通だと自負してる。この一年間の授業範囲については、心配した先生達や叔父がそれ用の教材を用意してくれて、割と真面目に確認していた。今日四時間目の体育ではハードルをいくつかぴょんと飛び越えた。巡は徒歩のスピードでハードルをまたいでいたけれど、クラスメイト達は笑わなかった。
昼休みになり、「山下くんと遠山先輩には縁があるのかも」なんて、そんな理由で普段は教室の端っこで弁当を食べている巡が食堂についてきた。「そこらへんの先輩に居場所を訊いてみたら」という始の意見には、「縁を持った人だけが出会える奇跡に意味があるんだよ」と否定的だった。
始が買った食券はカレーの中辛だ。この食堂の軽い名物のようなもので、始が食べるのは三回目になる。特別にカレーが好きなわけではないけれど、食堂に来ると漂ってくる香りに、三日のうち一回ほど負けている。
食堂の端で対面に座った巡の弁当には、始も食べたことのある冷凍食品が丁寧に詰められていた。色どりとして入れられているミニトマトはいつも残すらしい。始が必要としてなかった情報は本人が勝手に喋った。
巡に付き合い、昼休みが終わるギリギリまで食堂にいたけれど、かの先輩は現れなかった。朝あんなに体調が悪そうだったのだから、昼ご飯は食べられないんじゃないか。始は巡が最近読んだらしいラノベの感想を聞きながら思っていた。
この広い食堂に、自分の探す人がいるかもしれない、というのも。
掃除時間になったら、出席番号で入れられた班に従い掃除場所に行く。今日は教室で箒を持っていると、始に新しいイベントが起きた。女子達が明日この班みんなで一緒にお昼ご飯を食べないかと提案したのだ。始は賛成する。比較的多くの時間を巡と過ごしていたので、気を遣われたのかもしれない。不在だった一年分、優しいみんなのことを知っていこうと、義務感を抱いた。
あっという間に五、六時間目を終えて放課後になる。まだ部活を考え中の始は、消極的に帰宅部員をしている。部活仲間は同じ方向に家のある巡だけだ。始業式の帰り道で話しかけられてから二週間、平日は毎日自転車にまたがり、巡の夢見がちな話を学校のエンドロールのように聞きながら帰る。
今日は、金色のカマキリが遠くの国々で最上級の贈り物とされている、そんな話を聞いた。勇者やお姫様の存在などはともかく、展開にツッコミどころが多すぎて、「おかしいだろ」「さっき言ってた設定はどうした」と反応しているうち、別れ道に差し掛かった。二人ともに「また」とだけ、男子中学生らしい声掛けをする。中途半端に終わったカマキリの物語について、始は考えながら帰路についた。
「ただいま」
白いマンションの三階に、山下家の自宅がある。帰宅の挨拶に返事はない。かといって、誰もいないわけでもない。確かに二人で過ごすには広めだけれど、玄関の開閉音は家中に届いたはずだ。
テレビのあるリビングでパソコンに向き合っていた母は、始の姿を認めると驚いた。それから「ただいまくらい言ってよね」と笑った。始は「言ったよ」と応える。
昨日も同じ会話をした。恐らく明日もする。
夜になって母が用意した夕飯のカレーを、始は美味しく食べた。食堂のカレーは家で食べるカレーとはやっぱり少し違う味がする、その事実を確かめられた点で良かった。
勉強が好きなわけではないけど暇だから、宿題は夕飯前にきちんとすませた。同じように暇なので、夕飯の後で家を出る。「行ってきます」と告げても返事はない。どういった構造、もしくはルールなのか始の中でまだ判明はしていない。母は始の出入りにのみ、気づかない。
昼間の会話が過ぎってきちんと帽子をかぶっていこうかとも考えたけれど、やめた。要は見上げなければいいはずだ。
星空に対する恐怖心は脇において、行き先を決めるための思案を優先した。小さな頃に行った蛍のいる川を思い出したけれど、出てきてくれるのはもう一か月ほど後だろう。
近くのスーパーで籠を持ってエア買い物をするのにも飽きてきていた。そろそろ違う時間の使い方を見つけなきゃ。ぼんやり、駐輪場に停めてある自転車の鍵を外す。
思い付きで、お昼にやっているのとは違う目的のない、人探しをしようと決めた。巡が奇跡と言っていたのを思い出した。
どうせ暇つぶし。適当な思い付きが最善でなくてもいい。親しくない人を暇つぶしの道具のように考えるのは、あまり良いことではないけれど。何も迷惑のかけようがないしそれに、達成されそうにないのが暇な始にとって好ましかった。
夜は外で星を見上げているかも。
探し出せたら水の代金を払ってもらうことにしよう。お母さんから貰っている昼ご飯代で足りたので、本当は必要ない。もし彼女を見つけて用を訊かれた時に困るから、探す理由を決めておいた。
あてはない。ひとまず唯一の共通項と言える学校の方へ向かってみる。巡のいない道は静かで、一軒家の横を通るとたまに開いた窓から家族の声が聞こえた。全員そろっているのかなあと、思った。
ほどなく学校に着いたら、校門の隙間から中を覗いてみる。ぽつりぽつりと校舎には明かりが灯っている。耳を澄まさなくとも、体育館の方からスニーカーと床のこすれる音、それからボールの弾む音が聞こえる。うちの高校はバレーボールが強いと、これも始は入学前に読んだパンフレットで知った。
塀に沿って一周する。それぞれ好みの、かつ校則に反していない、つばのついた帽子をかぶっている人々と何度もすれ違った。始が何もかぶっていないことに振り返る生徒もいた。ほんの数年前まで、誰も夜に帽子なんてかぶっていなかったのに。
スマホで調べて寮の方にも走った。彼女が寮生であるなんて情報は今のところ聞いてない。真実を聞くまではそこにいるかもしれない。
寮の門の前で自転車を停めて、中からにぎやかな声の聞こえてくる古びた建物を見上げる。彼らは、血の繋がっていない家族なのだろうなあ。
中の様子を想像していたら、目の前に現れた警備員さんに声をかけられそうになった。そそくさ逃げる。背中に「帽子をかぶりなさい」という注意を聞いた。持っていないので従えないけれど、家に帰ることにした。
やっぱり今夜、目的を達成することは出来なかった。始は安心した。
明日もまた、この暇つぶしを続けられるから。
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