『ぎをん洋品店』『花見靴店』のが何枚か出てきた。そういえば確認した時、なんだろうとは思ったのだが、お義母さんが最近腰が痛いだの疲れるだの言って、着物を着ずに洋服で店に出たり、外出するようになったので、その領収書かと思っていたのだ。
早速、『花見靴店』に飛んでいく。華やかなショーウィンドウにはつま先のとがった、カラフルなハイヒールが並んでいる。店の中も若いホステスさんが履くようなハイヒールばかり。お義母さんはこんな靴履けないし、見たこともなかった。もしかしてお義父さんがクラブのホステスさんのプレゼントに? と考えながら『ぎをん洋品店』に入る。
楓は店内を見渡し、最後の望みは消えた。ホステスさんの着るようなドレスではなく、十代~二十代の普通の女の子がおしゃれに着る綺麗なワンピースやブラウス、花柄のスカートがひらひら揺れている。
義父がホステスさんにあげるようなものでもなれけば、義母がこんな若い娘向きの服を買うはずがない。というか、こんな細身の服は義母のサイズ的に無理だ。
でも他に、夫が使うような紳士物もあるのかなあと見渡すと、カーディガンがハンガーにかけてあって、棚にカッターシャツとネクタイ、下着、靴下が少し置いてある。おそらく急に外泊することになった紳士向けだろう。目と鼻の先に自宅がある夫には用がないはずだ。
*
暗い気持ちでハンカチや髪かざりの並んだショーケースを見て、急に思い出した。
まだ舞妓の頃、お客さんに姉さん芸妓と同期の舞妓と一緒に「ご飯食べ」として外へ連れ出してもらい、大好きなあんみつをご馳走になった帰りに寄ったお店がここだ。お客さんは、「なんでも買うたるでー。好きなもん選びや。けど、三万円までな」と言い、三人の芸舞妓でキャーキャー言いながら選んだことがあった店だ。
舞妓は、支渡、お稽古、お座敷とずっと着物だし、何より髪も一週間結いっぱなしなので、洋服も靴も持ってない。十代の女の子に可愛い洋服はあこがれだ。でも買ってもらって女将さんに怒られないか戸惑っていると、姉さん芸妓がワンピースを二着手に取り、
「なぁ、さぁさん、どっちがうちに似合う思わはります? どっちもえらい可愛いらしおすなぁ」
と、腰をくねらさせ客に甘えている。客も鼻の下を伸ばして、
「どっちも似合うよ。でもピンクのほうが可愛いかな。じゃそれと、ストッキングや下着も選びなさい」
ブラジャーのコーナーへ芸妓を誘い、キャッキャッ言いながら二人で選んでいる。
楓はフリルの付いた白いブラウスをあて、鏡に写しながら女将の言葉を思い出した。
「うちの妓、温泉連れていってくれはるのは嬉しおすけど、洋服買うてあげておくれやす。靴もそれから、中に着るアレも。着物で温泉はあきまへんえ。それから、もう一人二人この妓ら連れておくれやす。二人きりでは噂が立ちます。あと日帰りでお願いします。お泊りは水揚げ後のお・た・の・し・み・で」
そうか、このお客さんは、姉さん芸妓と温泉に行こうとしていて、姉さんもその気だ。
でも自分はお供はちょっと恐い。「お風呂入り」とかいって、お客さんと混浴を強いられた妓もいるとかいないとか。慌てて、ブラウスを棚に返し、ショーウインドウのハンカチを出してもらい、その中の二枚を手にした。
同期の舞妓も察したように、同じハンカチを選んだものだった。
その後、靴屋で姉さんはハイヒールを買ってもらいって、温泉へ行き、自分たちが行かないので女将さんが付いていったことを思い出した。
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じゃあ、夫はあの時のお客さんのように舞妓に服や靴を買い、温泉旅行に? 日帰りなら、いつも夜遅く酔って帰ってくるから気が付かなかったのかも。
ボーッと立ちつくしていると、店員が不審そうに見てきたので、慌てて店を後にした。
家に帰って早速、領収書の日付と、義父と夫のスケジュール帳を突き合わせてみた。
『ぽっち屋』や『ぎをん洋品店』『花見靴店』の領収書の日付けの日に義父は、菓子組合の会合かロータリークラブの役員として出かけていて、タクシーの領収書との照合ができた。
一方、夫の方はその日付の日は、日中のスケジュールは空白で、夜はしっかりお座敷が入っていた。黒確定だ。
領収書と夫のスケジュール帳のパズルが最後の一片までぴたりと嵌まった瞬間、楓の指先から血の気が引き、紙の端がわずかに震えた。
「……ああ、そういうことやったん……」
喉の奥で、乾いた笑いがこぼれそうになる。
何より楓を打ちのめしたのは、夫のスケジュールの「空白」という名の裏切りだった。
自分は姑の嫌味に耐え、慣れない帳場を守り、育児に追われながら、彼が「仕事」だと言って出かける背中を信じて見送ってきた。その「空白」の時間に、彼は自分ではない女を連れ回し、自分に対してと同じような甘い言葉を囁いていたのだ。
お座敷の裏側で、客が別の女にうつつを抜かす様を腐るほど見てきたはずだった。けれど、自分がその「裏切られる側の女」になるなど、想像もしていなかった。
胃の奥が焼け付くような怒りと、足元が崩れ落ちるような虚無感が同時に押し寄せる。領収書に記された日付は、学人が熱を出して寝込んでいた日や、自分が姑に厳しく叱責されて一人泣いていた日とも重なっていた。楓は、証拠の紙をそっと机に置いた。
もうこうなったら犯行現場を押さえたい──。
次の日からの夫のスケジュールを調べてみると、三日後に昼過ぎからスポッと空いていてそのまま菓子組合のお座敷の日があった。間違いない。
*
楓はその日の昼過ぎから準備することにした。おそらくお昼ご飯を食べてから買い物にいくだろうからと十五時前に洋品店に入った。
店員さんにすぐ変に思われても面倒なので、グレーのトレーナーに黒いパンツという大掃除の時にしか着ない服装で来たが、店員さんは学生バイトのような若い人で、小さい声で「いらっしゃいませ」と目も合わせず言っただけで、スカーフをたたみ直している。
試着室の場所を確認してから、店内を見てまわる。ワンピースやブラウスなどだけでなく片隅にブラジャー&パンティがセットの可愛いレース付きのもの、ストッキング、ペンダント等も置いてある。店員は相変わらず無関心そうなので、そろそろ試着室に待機しようと、スカート三枚手に持ち店員に、
「試着さしてもうてよろしい?」
と聞くと、黙って試着室を指さされた。
試着室に入ってすぐ、店内がにぎやかになった。
「いや~、可愛おすなあ。うち洋服見んの久しぶりやさかい、えらい眩しおす」
と、若い女の子の甘えた声がする。
「そうか、久しぶりか。なんでも買ってあげるから好きなもの選びなさい」
と、耳慣れた夫の声だ。新婚の時、ちょっとだけ聞いた鼻の下の伸び切った夫の声。
「いや~嬉しおす。ほんなら、うち一ぺんGパンはいてみとおすねん」
「え、Gパン? お女将さんに怒られないか?」
「けど、折角温泉連れてってもらうんやさかい、カジュアルなほうが旅行気分味わえまっしゃろ?」
温泉! 旅行! 想像していたことだが楓の頭がカーッとしてきた。
「シャツはどっちがよろしおすやろ? 上着はこれ可愛おすなあ」
「全部買うてあげるよ。それから下着も選ばないと。着物の時はブラジャー着けてないんだろ? パンティも」
「もう、エッチどすなあ。キャハハハハハ」
「アハハハハハ。このブラとパンティのセットどうだい? セクシーやで」
「うちオッパイそんな大きゅうおへん」
「そうか? 確かめてあげよう」
「エッチ!」
この続きは、書籍にてお楽しみください