「お包みするのは封筒?」
「はい、今すぐJR東央線新丸駅ホームの南口側の端にあるエレベーターを降りたところに来てください」
「四ツ葉駅じゃなくて、隣の新丸駅でいいのね?」
「はい。新丸駅で」
「新丸駅ならば、和洋が近いわ。愛梨の叔父にあたるわたしの息子の会社が新丸にあるんです。そのほうが早く着けますから」
「いや、それはいけません。愛梨さんが困りますから」
「愛梨が困る?」
「おばあさま、よく聞いてください。実はですね」
と、ナカイはここで声を少し低くし、
「愛梨さんは、おばあさま以外の人にこの件を知られたくないと強く希望されているのです」
と、秘密を打ち明けるように、時子に告げた。
「愛梨ちゃんが……?」
「親御様にも、誰にも、決して知られたくはないと」
まあ……。
それで亮子ではなく自分のところに連絡が来たのか。時子は合点した。
亮子は、普段から気が強く、言葉も鋭い。本当に困った時、孫娘が、母親ではなく祖母である自分を頼ったのだと思うと、切なく甘い気持ちになった。
「ですからわたくしどもは、愛梨さんの希望を聞いて、まっさきにおばあさまに連絡をした次第です。どうか、これからすぐおばあさまおひとりで、JR東央線新丸駅ホームの南口側端のエレベーターを降りたところにお越しください。愛梨さんのためにこのことは他言なさらないようにお願いします」
「わかったわ。でも、ええと、うちからバスで西小金山の駅に出て、それから新丸に行ったら一時間近くかかってしまう」
「大丈夫です。先方には、お金を用意するので一時間ほどかかると伝えますので、くれぐれもそれ以上は遅れませんように」
「お金は封筒に入れればいいのね」
「はい。もしお手元になければ、何かビニール袋みたいなものでも構いません。こちらで全部、用意しますから」
ナカイの声にかぶって、
「ばあば、ごめんね……」
愛梨の痛切な涙声が差し込まれ、時子の心は引き絞られた。
「愛梨ちゃん、大丈夫よ、安心なさい。ばあばがすぐに行くからね」
「うちの司法修習生に、今すぐ新丸駅へ、おばあさまからのお見舞金を受け取りに行かせます。わたくしどもは、それまで話し合いを引き延ばしておきます。先方がお帰りになるまでに見舞金を渡せれば、愛梨さんは拘束されませんから、おばあさまにはなんとか急いでいただき……」
「わかりました、わかりました」
「ホームの、進行方向一番後ろのエレベーターを降りたところですよ。復唱できますか」
「新丸駅の、進行方向一番後ろのエレベーター」
「よく表示を見て、間違えないように来て下さい。うちの者はもうそちらへ向かわせますから」
「それじゃ、すぐに出ないと」
翌日、時子は亮子に付き添われ、警察署に行った。事前に亮子が電話で連絡していたので、知能犯を取り扱うという部署の、窓のない小さな応接室へ、すんなり案内された。
しばらくして現れた刑事は、色白の若い男性で、
「このたびは、本当に大変な思いをされましたね」
と、開口一番に、時子を労った。
刑事といえば強面で無愛想なのだろうと思っていたが、「小野修史」という名刺を差し出したその刑事は、始終優しげな物腰で、話しぶりも穏やかで、ほっとした時子はつい涙ぐみそうになった。
やわらかい口ぶりではあったが、しかし小野からの質問は細かく、訊かれれば訊かれるほどに、時子はどうして自分があんなに簡単に騙されたのか、わからなくなった。
詐欺電話を受けて自宅を出てから指定された新丸駅へ移動する一時間のあいだ、時子はただひたすら、無事にお金を司法修習生に届けることだけ考えていた。途中の駅で特急電車の待ち合わせのために少し停車しなければならなかった時など、この数分のせいで被害者家族の気持ちが変わってしまったらどうすればいいのかと焦り、じっと座っていられないほどであった。
新丸駅のホーム端のエレベーターを降りると、脇で司法修習生は待っていた。時子から名のり、封筒を渡し、深々と頭を下げた。
こうしたことを一つずつ小野刑事に話すたび、となりで亮子が大きくため息をつくのが聞こえた。
最初に三百万を要求しておいて、途中で百七十万でもいいと向こうが折れたのは、時子が第三者と接近するのを防ごうとしたからだろうと小野刑事は推測した。愛梨が孫であることや、大学生であることなども、時子とのやりとりから推測し、会話を合わせた可能性がある。
昨日時子は、万が一のためにとテレビ台の引き出しの奥に入れておいた現金百七十四万円に、財布の中にあった二万円を加えて封筒に入れ、待ち合わせ場所にいたスーツ姿の「受け子」に渡した。
「バッカじゃないのッ」
ひととおり聞き終えると、娘の亮子が吐き捨てるように言った。外面の良い亮子にしては珍しく、刑事の前でも気持ちを抑えられなくなっている。
「悪いのは詐欺を仕掛ける側ですから……」
小野刑事がやんわり亮子を宥めた。
「電話による劇場型はこのところ下火になっていたので、注意喚起も一時よりはされていなかったのですが、最近またチラホラと報告が上がってきているようなので、市内でも注意喚起していきたいと思います」
「したほうがいいわね、現にこうやって引っかかる人がいるんだから」
「あのですね、相手は手練れです。被害者の判断力を奪うためなら何でもします。とにかく急がせて、周囲との連絡を遮断するんです」
「でも、引っかからない人もいるのでしょう。よく、途中で詐欺だって気づいて、警察に言って囮捜査に協力するようなおじいさんやおばあさんもいるじゃないですか。それに比べて、ホンットうちの親って……」
「いや、このくらいで済んで、まだ良かったとも言えますよ。『良かった』はアレかもしれませんが、もっと高額を騙し取られるケースも少なくありません。何年か前に、息子さんの使い込みを補填したい一心で、老後の蓄えを複数回にわたって送金してしまったお母さんがいました。小さなビル一個買えるような額でした」
「いやだ」
と顔をしかめる娘の横で、ビルを一個と言うのだな、と時子は小野刑事に幼さを感じた。
幼さではなく、若さか。世の中は若い人たちが動かしているのだ。
「事情を伺っている間じゅう、息子さんがお母さんを怒鳴りつけるものですから、もう見ていられなかったです。お母さんはずっと泣いておられました……」
その言葉に、時子の心も痛む。
愛する息子の窮地を救うため行動し、その息子から責め立てられる。こんなやるせなさがあるだろうか。
「善良な被害者が親族から責められてさらにつらい目に遭うのが、この手の詐欺なのです。騙されたことを恥じたり、家族に叱られることを恐れたりして、誰にも言わずにのみこんでしまう方もいらっしゃる。許してならないのは詐欺集団なのに、被害者が二重三重に苦しめられる」
「そのお金って、戻ってきたんですか」
憮然とした表情で亮子が質問した。
小野刑事が返答に詰まると、
「ビル一棟買えるほどのお金って、一体どうなったんですか」
たたみかけるように訊く。
「必死に捜索しております」
「じゃあ、何年も経っているのに、まだ戻ってきていないんですね」
「解決へ進んでいるケースもありますし、現在鋭意捜査中の件もあります。こちらとしましても、藤原さんの被害については全力で捜査にあたりますので、どうか警察にお任せいただき、くれぐれもお母様を責めたりされないよう……」
丁寧に話す小野刑事の前で、亮子は不機嫌にため息をつく。
この年まで生きて、警察の世話になり、娘に嘆かれる自分が情けない。なんて馬鹿なことをしてしまったのかと、時子は改めて暗い気持ちになった。
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