孫娘になりすました詐欺電話で、時子は大金を取られてしまう。娘からは固定電話の解約を求められるが、時子は「0874(おはなし)」と語呂合わせのできる電話番号に家族の思い出をたくさん重ねていた。夫を亡くした直後、孤独に苛まれていた時子は同じように寂しさを抱えている人たちの話し相手になろうと、電話解約までの期間限定で「おはなし電話」を開設する。
一期一会のおはなしに耳を澄まし、心を寄せる時間は、しだいに時子自身の生活に変化をもたらしてゆく――。
「小説推理」2026年8月号に掲載されたライター・瀧井朝世さんのレビューで『おはなしの時子』の読みどころをご紹介します。

■『おはなしの時子』朝比奈あすか /瀧井朝世 [評]
「おはなし電話」でさまざまな声に耳を傾ける七十九歳女性の日常と機微
朝比奈あすかの『おはなしの時子』は、現代の老境小説を代表する作品になると思う。身近に高齢者がいる身として、かつ老境が近づいている身として、そう思わせるほどリアルに感じられ、突き刺さり、老後に向かう心を肯定してもらえる気がした。
夫の潔を亡くして十年になる七十九歳の時子は、長年暮らしてきた一軒家で長男の和洋と暮らしている。しかし多忙で出張も多い息子は留守がちだ。ある時、時子は電話で特殊詐欺に遭い大金を取られてしまう。長女の亮子から固定電話を解約するよう厳命される時子だが、夫が語呂合わせで末尾を「0874(おはなし)」と呼んだこの番号には特別な思い出がある。解約するまでの間、時子は亮子の娘で大学生の孫・愛梨の協力を得て、この番号を、誰かと話したい人のための「おはなし電話」としてSNSで公開する。いたずら電話もあるものの、時子は気軽な世間話から切実な本音まで、さまざまな声に耳を傾けていく。
本書のメインの読みどころは、「おはなし電話」上のドラマというよりも、時子の日常そのものだ。「おはなし電話」をスタートさせるまでの紆余曲折、早朝のラジオ体操でできた三人の茶飲み友達や、愛梨と亮子、亮子と時子それぞれの母娘関係等々、時子をとりまく人間関係やそれぞれの人生模様と、そこで彼女が感じることを、丁寧に掬い上げていく。時子が作る焼き菓子や料理が実に簡単なレシピなのに美味しそうで、これも楽しい。
人はいくつになっても新しいことに挑戦できる、人と人は繫がることができる、そんなポジティブなメッセージに心温まる作品。だがそれ以上に心惹かれたのは、老境の寄る辺なさにきちんと言及されている点だ。それは孤独とはまた違う寂しさだ。そんな感情を抱きながら、若い世代の人に対して自分にできることはないかと考え続け、自分も頑張ろうと決意する時子に胸を打たれた。今後、歳を重ねるなかで読み返し、その時々で響いてくる言葉を拾っていきたい一冊である。