『絡操り心中』(小学館文庫)で第11回小学館文庫小説賞を受賞してデビューし、『木挽町のあだ討ち』(新潮社)で直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した永井紗耶子さん。今最も注目を集める著者がこのたび新たに挑むのは、明治時代を舞台に繰り広げられる霊異譚『めぐる糸 明治浪漫霊異譚』だ。
母譲りの体質で、幼い頃から霊が視える斎木啓吾は、自身の特性を持て余していた。「視えたとしても、見えぬふりをなさい」と躾けられてきた啓吾であったが、好奇心旺盛な名家の子息、連翹寺正周と出会ったことで、平穏な日常が一変する。
啓吾と正周、性格も生まれも正反対のバディが不可思議な霊異に向き合う時、私たちが日頃「見えない」ふりをしている現実までもが浮き彫りとなる。新聞記者時代の経験、「まつろわぬ民」の不遇、時代と共に変わりゆくもの、変わらぬものについてうかがった。
取材・文=碧月はる、撮影=後藤利江

一人ひとりの“死”に敏感であり続けること。新聞記者時代に培われた原点
――永井さんのデビュー作『絡繰り心中』で、「これから先もこの町で生きていけば、何人もの生き死に様を目にするだろう。でも、最初のその痛みを忘れるな」と南畝が語る場面があります。本書を含め、永井さんの作品の根底には、この思いが横たわっているように感じました。
永井紗耶子(以下=永井):この台詞は、新聞記者時代の大先輩が言った言葉がもとになっています。当時の社会部長が新人の時に変死体が見つかった際、ある記者が「あ、死んでるな」と淡々とした口調で言ったそうです。それを聞いた先輩は、「グサッときた」と、「そんなふうに言っちゃダメなんじゃないのか」と思ったとお話ししてくれました。これからも記者を続けるなら、人の死に触れる機会はたくさんあるだろう。その都度、一人ひとりの死というものに対して敏感であってほしい。先輩にそう言われて、私自身、最初に食らったボディブローは覚えておこうと強く思いました。
――一人ひとりの死に敏感であり続けること。死者の語りが特徴的な本書にも通じるお話ですね。
永井:どんな人にも、その人なりの人生があります。死者は「生きていた人」で、それぞれ大切にしたかったはずの思いがあった。理不尽に奪っていい命など、一つもない。そのことを、本書を通して伝えたかったんです。記者時代、限られた紙面の中で伝えられる死、伝えられない死があって、それは肩書きや死因、状況で決められるものでした。でも、ニュースソースとしての価値は、人としての価値とはまったくの別物です。
――作中で正周が、「ここに描いてあるのは私の祖先の話だが、敵であったあちらには、あちらの物語があるはずだ」と語る一節があります。先ほどの永井さんの言葉、「どんな人にも、その人なりの人生がある」との一言が、正周の台詞と重なりました。このような感覚は、新聞記者時代の経験を通して培われたものでしょうか。
永井:私は、新聞記者は体力的な限界を感じて、早々に辞めてしまいました。たくさんの人の死についての情報を目にしてのメンタルダメージも大きかったかもしれません。記者から転向したライター時代、様々な方にお会いしてお話をする機会がありました。「もしかしたら自分とは考えが合わないかも」と思う方と話してみると、違う角度から社会を見る視点をもらうこともありました。この経験は今に生きていると思います。
正周の台詞にもある通り、いわゆる「まつろわぬ民」――時の権力者に対抗した人たちが「鬼」として扱われたケースは、あると思います。そういうことが、歴史の中で何度も繰り返されてきた。「私たちはヒーローだ」と物語ることは、すごくシンプルで気持ちいいかもしれないけれど、相手には相手の物語がある。その視点を、正周には持っていてほしいと思いました。

規範は変わっていくけれど、人の“思い”は変わらない
――永井さんにとって、「霊異」とはどのようなものですか。
永井:たとえば、大きな喪失を経験した場合、すごく悲しいし、どうしてこんな酷いことが起きるんだろうと絶望しますよね。そういう時、「でもこれは、もっと大きなルールの中で善に向かう一歩なんだ」と信じないとやっていられないこともある。霊異や宗教は、世の中の割り切れなさを割り切るためのものなのかなと私は考えています。
生きている間に報われなかった思いや、叶わなかった願い。それらを社会のルールの外側にある数式に当てはめることで、割り切れなさが和らぐ時もある。その不可思議な数式こそが、人知の及ばぬ何かだと信じないと、生きるのがどんどんつらくなる一方だと思うんです。ただ、依存しすぎて現実を疎かにしては本末転倒。上手に向き合うことが大切だと思います。
――本書の舞台は明治時代ですが、さまざまな“割り切れなさ”を抱えて生きる現代の私たちにも通ずる物語であると感じました。
永井:どの時代も、人間は基本的に変わらないと思っています。たとえば、平安時代や戦国時代の歌を聞いて、「わかる」と感じることがけっこうあるんです。時代と共に、社会のシステムや構造は変化します。一方で、人を大切に思ったり、理不尽なことに怒りを抱いたり、優しい気持ちで生きたいという祈りだったり、そういう“思い”は変わらないんだな、と。
――たしかに、本書は生者と死者の境目があわく、どちらもフラットに描かれていました。
永井:善悪の基準や規範は変わっていくけれど、人間の根源的な望みはどの時代にも共通する不変のものだと感じています。「規範」の部分でいえば、論語のように古代から受け継がれている道徳観念として、立場が上の人間は優しくなければならない、と書かれている。でも、今はそこだけ抜け落ちて、序列や立場を重んじることだけが大切かのように言われていますよね。そこは封建時代から続いているよくわからないシステムで、上に立つ人間が残虐だったら「ふざけるな」と怒っていいと私は思っています。
「声なき声」が十分に可視化されていない世の中で、本当の叫びは届かず、それ以外の声が大きいと感じることも多くあります。でも、日本の文化の根底には、「見えなくてもあるもの」への敬意があります。それらをもっと拾い上げることができるようになれたらいいですね。

【あらすじ】
時は明治三十九年。帝大生の斎木啓吾には誰にも言えない秘密があった。
それは、この世ならざる霊が視えること。心霊研究に心酔する子爵家の次男坊である連翹寺正周にその体質を知られてしまい、以降、正周の「目」として帝都で起きる、奇っ怪な事件に巻き込まれていく。調査するうちに見えてくるのは、霊異の裏に潜む、ままならない人生を懸命に生きた人々の想いだった。家族、友人、愛する人へ――この世に未練を残し彷徨う魂に、二人が託された願いとは。霊が視える帝大生と、視えない心霊学者が紡ぐ、人情味あふれる明治霊異譚。