レギュラーバーグディッシュ150グラム
東京に足りないもの。それはびっくりドンキーである。
数年前に越してきて以来、食べたいと思い立ったときに近くにあった試しがない。札幌に本社を置くチェーンなので当然と言えば当然なのだが、人口比で見た東京の店舗数はあまりに心許ない。何もかもがありすぎるほどあるように思える東京で、まさかびっくりドンキーに不便を感じることになるとは想定外であった。
私も別に週一でびっくりドンキーに通いたいわけではないのだが、いざ食べたくなったとき、他では替えが利かないから困る。私がびっくりドンキーのハンバーグを食べたいと思うとき、それはやはり、びっくりドンキーのハンバーグが食べたいのであって、「ハンバーグなら何でもよい」ということにはならない。とはいえ、わざわざ電車を乗り継いでまで食べに行くほどの衝動に突き動かされるわけでもなく、たまたまびっくりドンキーのある街に行く用事ができたとしても、せっかく出張ってきたのだからと、チェーンではない他の気になっていた店を選んでしまったりして、なかなか機会が巡ってこない。熱烈とまではいかない中途半端な欲求が、心の片隅でくすぶり続けている。
びっくりドンキーしか外食を知らない時代が、確かにあった。
私が幼少期を過ごしたのは、札幌の中心部から車で30分以上かかる、山に囲まれたのどかな住宅地だった。飲食店の選択肢は少なく、家族の外食といえば専らびっくりドンキーだった。子連れでも入りやすいという事情もあったのだろうが、何より、母の大好物でもあった。
母は必ず、レギュラーバーグディッシュと味噌汁を注文した。レギュラーバーグディッシュとは、びっくりドンキーの象徴である木製の丸皿に、ハンバーグと大根サラダとライスの3点が盛られた、最もシンプルなメニューである。他にもエッグバーグディッシュやカリーバーグディッシュなど、トッピングが施されたメニューは多々あるが、母はそれらに目もくれず、いつもレギュラーバーグディッシュ一択だった。
「シンプルなレギュラーバーグディッシュが一番おいしい。それと、日替わりの味噌汁。これでもう完璧。余計なものを足す必要はない」
常々そう言っていた。時には、「レギュラーバーグディッシュ以外を頼む人なんて滅多にいないよ」という、明らかに私情で歪められた統計を持ち出すこともあった。たまに父が気まぐれでチーズバーグディッシュなど注文しようものなら、「あーあ、絶対そのままがおいしいのに、もったいない!」と、取り返しのつかないことをしでかした愚か者を見る目で憐れんでいた。そんな母に倣って、私も当然のようにレギュラーバーグディッシュを注文したし、それに不満を持ったこともなかった。親の刷り込みとは実に恐ろしい。ある程度の年齢になり、友人同士で初めてびっくりドンキーに行ったとき、皆が思い思いにパインバーグディッシュやポテサラパケットディッシュなんかを注文しているのを目の当たりにして、大変な衝撃を受けた。我が家の常識は世間の常識ではなかったのだ。それどころか、いつものように味噌汁を注文したら、「びっくりドンキーで味噌汁頼んでる人はじめて見た。渋っ!」と言われる始末である。禁を破るような気持ちでおろしそバーグディッシュを注文したあの瞬間こそが、私の親離れだったと言っても過言ではない。
もしかすると、母も自分に言い聞かせていたところがあったのではないか。3人の子を抱え、経済的にも特段裕福でない中、最もお手頃なレギュラーバーグディッシュを「これが一番おいしい」と喜んで食べていた母を責めるのは、些か酷かもしれない。そう思って大人になってから聞いてみたことがあったが、「え? ほんとにレギュラーバーグディッシュが好きなだけだよ。どう考えてもあれが一番おいしいじゃん」と目をかっぴらいていた。ただのレギュラーバーグディッシュ原理主義者だった。
私の人生の行く先々には、いつもびっくりドンキーがあった。
高校生の頃、ふとした流れでびっくりドンキーの「びっくりコーラ」の話になった。びっくりコーラとは、びっくりドンキーで長年提供されてきたびっくりするほどデカいジョッキに入ったコーラのことである。「そういえば、びっくりコーラなくなったよね」と友人が言い、「あー、結構前にメニューから消えたね」と私も同意したのだが、もう一人の友人「のん」だけはそれを否定し、「ほんとだもん! このまえ家族で行ったとき、びっくりコーラあったもん!」と、トトロの存在を訴えるメイちゃんの如く大騒ぎしはじめたので、学校帰りに確かめに行くことになった。のんは道中もずっと「絶対あるから!」と鼻息を荒くしており、私と友人はその血気盛んぶりに半ば呆れながら自転車を漕いだ。びっくりドンキーに到着すると、のんは席につくなり「ほらあったァ!」と飛びかかる勢いでメニューを指さしたが、それはびっくりコーラではなく、アイスコーヒーだった。「うわああっ!」と叫びながら、葉に擬態した虫に触れてしまったかのような反射で手を引っ込め、一人で勝手にひっくり返る。「そんなバカな……!」とメニューを隅から隅まで執念深く確認するも、やはりびっくりコーラはどこにもない。その一連を見て、私と友人は腹が捩れるほど笑った。
のんとびっくりドンキーといえば、ハンバーグソースの件もある。びっくりドンキーのハンバーグには和風のソースがかかっているのだが、このソースは追加を頼めば取手つきの小さな銀のカップに入ったものを無料で出してもらえる。私とびっくりドンキーに行くようになってからそれを知ったのんはいたく感激し、後日、お母さんと一緒にびっくりドンキーに行った際、意気揚々と頼んでみせようとしたらしいのだが、呼び出した店員を前になぜか「ハンバーグソース」という言葉が思い出せなくなり、焦ってぐるぐる考えた末、「にっ、肉汁ください!」という野生味あふれる注文を繰り出し店員を困惑させたという。この一件を聞いて以来、私もハンバーグソースを注文するときに「肉汁」がよぎるようになってしまい、非常に邪魔である。
学生時代は誰かと行くことが多かったびっくりドンキーだが、働きはじめてからは一人で行くことが増えた。よく寄っていたのは、札幌の大通り地下街にある店舗で、足が向くのは仕事帰りや買い物帰りなど、決まって疲れ切っているときだった。選ぼうと思えばいくらでも店を選べる政令指定都市のど真ん中で、何を食べたいか考えることすらできず呆然と立ち尽くす日、私は決まってこの地下のびっくりドンキーに吸い込まれた。ハンバーグと大根サラダとライス。これさえ食べておけば大丈夫なのだと、本能でわかっているみたいだった。思えば、幼少期から最も長く、継続して食べ続けているものが、びっくりドンキーのハンバーグかもしれない。
このまま東京でびっくりドンキーと疎遠になりたくはない。重い腰を上げ、わざわざ電車を乗り継いで街に出た。数年ぶりに訪れたびっくりドンキーは、特徴的だった木の扉を模した巨大メニューが廃止され、タッチパネルに変わっていた。慣れ親しんだものがなくなるのはやはり寂しく、あの扉を巨大タッチパネル化するわけにはいかないのだろうか、などと馬鹿げた案が浮かんだ。
ハンバーグのサイズも、かつてのグラム表記から、「S」「M」「L」表記に変わっていた。「レギュラーバーグディッシュ150グラム」って、「いい国作ろう鎌倉幕府」くらい口が覚えてしまっている。もう言う機会がないと思うと残念だ。私が大塚愛なら「黒毛和牛上塩タン焼680円」的な感じで「レギュラーバーグディッシュ150グラム」を曲にして残したいところだが、大塚愛ではないのでここに書き記すに留める。鎌倉幕府も「いい箱作ろう」に変わったらしいから、懐古に浸ってばかりもいられない。タッチパネルを操作し、チーズバーグディッシュのSサイズと味噌汁を注文。すると、ふいに開いたドリンクのページで、思わぬものが目に飛び込んできた。なんと、コーラのサイズが「S」「L」「びっくり」という表記になっている。ちょっと形式は異なるが、これはびっくりコーラの復活ではないか。もし今、あの日ののんがタイムスリップしてきて、ものすごい勢いで指をさしたなら、タッチパネルなのでそのままびっくりコーラを注文することができる。だからなんだという話だ。
ここでひとつ、懸念が生じた。これだけいろいろと変わってしまった中、果たしてハンバーグソースはまだもらえるのだろうか。タッチパネルで探してみたが見当たらない。店員に直接聞けばいいだけなのだが、もし廃止されていたら、ちょっと恥ずかしい。ソースがすでにかかっているところに更にソースをかけたいというビチャビチャな要求に対し「申し訳ございません」などと言わせてしまうのも気が引ける。そのリスクを負ってまで、私はハンバーグソースが欲しいだろうか。いや、欲しい。絶対欲しい。あのソースこそが、びっくりドンキーの真髄である。刻み玉ねぎが入った、少し酸味のある和風のソース。あれをハンバーグにたっぷり浸しながら食べるのがいいのだ。肉がソースを吸い上げるスポンジに成り下がっている瞬間が確実にある。大根サラダの一部がソースに浸って、コクのあるマヨネーズと混ざり合うのもまたおいしい。
聞くとすれば、ハンバーグが運ばれてきたときが最もスマートであろう。そのチャンスを逃す手はない。が、先ほどから配膳ロボが店内をうろついている。奴がハンバーグを運んできたら万事休す。足にはなっても話にはならない、それが配膳ロボである。ロボか、人か。祈りながら待っていると、人が来た。ありがたい。例の如く一瞬よぎった「肉汁」を振り払い、「ハンバーグソースってもらえますか?」と尋ねると、カートには昔と変わらない銀のカップがちゃんと用意されており、快く渡してもらえた。
ソースをひたひたにしたチーズバーグディッシュはもちろんおいしかった。ただ、最後に味噌汁を啜りながら、「レギュラーバーグディッシュでもよかったかもしれない」と、なぜか思った。愚か者を憐れむ目をした、母の顔が浮かぶ。