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 恵那の曽祖母の家は、ひとり暮らしだった曽祖母が入院してから、住む人はいなくなっていた。近くに住んでいる親戚がたびたび風を通しに来ていたが、ずっとこのままにはできないし、動くなら早いほうがいいだろうということで話は落ち着いた。七月末の土曜日に示し合わせて、このたびみんなで片付けようということになったのだった。

 曽祖母の家は、田舎によくある築七十年くらいの平屋だ。この家に帰る人が誰もいなくなったことを示すように、あちこちに背の高い雑草がびっしり生えて、通せんぼするみたいに庭を浸食している。蝉の声も聞こえないくらい暑い。

「熱中症にならないようにしないとね」と皆で声を掛け合っている。母が、「雅美もこまめに水分を摂りなさいよ」と言ってくる。

 ガラガラガラ、と重い木の引き戸を開けて家に入ると、曽祖母の気配が、そこかしこにまだ残っているような気がした。奥から「よく来たね」と言って前掛けをした曽祖母がひょっこり出てきても驚かない。

 土間のある広い玄関は、ひんやりとしていた。

 台所から物置につながる引き戸の古いガラスには星の柄が入っており、昭和レトロ感に溢れていて、今となれば逆におしゃれに見えた。思い出に、このガラスを引き戸ごと持って帰りたいなあと思ったが、戸だけを持って帰ってもどうしようもないので、惜しいけれどそのままにしておく。

 誰も使わないものは、良さそうなものでもどんどん処分することになって、親戚が借りてきた軽トラにみんなで積んでいく。古い食器に雑誌、曽祖母は読書好きだったから、大量の本が出てきた。どれも古本屋で引き取ってくれないような古びた本だった。雑誌も多い。見る限り、短歌の本が多いようだった。それを片端から持ちやすいように縛ってはトラックへ運ぶ。

 その間に、懐かしいなぞなぞの本が出てきた。その本は黄ばんでいて、真ん中に大きな「?」があり、そこへ、ゾウやらウサギやらが何かを歌いながら、元気よく登っていくイラストがある。なぞなぞばあちゃんの、思い出の本だった。ページを開けると、〈食べると安心するケーキは、なあに〉とあった。わたしたちが大きくなって、なぞなぞの話をしなくなっても、ずっと捨てないでとってあったんだなと思った。これだけは自分で持って帰ろうと、端に避けた。

 本を引き出したり束ねたりしているうちに、汗が背中を伝ったが、単純作業は、やればやった分だけ、結果がきっちり見えるというのがいい。このところ部活を休んでいるので体がなまっており、古本の束をひとつずつまとめていく、この達成感が心地よかった。

 両手に本の束を提げて、軽トラまで行く。ふと見れば、タオルを首に巻いた叔父が鏡台を荷台に積んでいた。それをあわてて止める。

「ヨシおじちゃん、ちょっと待って、その鏡台、捨てちゃうの?」

 叔父は若い頃ラグビーをずっとやっていたからか、肩幅がとにかく広くて力持ちだ。ひょい、という感じで荷台から鏡台を下ろした。その鏡台は、曽祖母が使っていたもので、箱のような台の天面から、二本の木の棒が上に突き出ている。その棒のそれぞれの出っ張りに、丸鏡を載せて使うという古風なスタイルのものだ。埃をかぶっているが、ふっと息を吹きかけると、木目の美しい艶が見えた。引き出しは四つある。ふと顔を上げると、鏡の中の自分と目が合った。思いがけないところで見る自分の顔に、なんだかまじまじと見いってしまった。クセ毛の丸顔に、丸い目が驚いてもっと丸くなっていて、丸鏡の枠に収まっている。

 ヨシ叔父さんが、「これ懐かしいな……鏡、外して庭に持っていって光を反射させて遊んだりしたんだ。隣のじいちゃんのつるつる頭に当てて光らせて、めちゃくちゃ叱られたんだったな」と感慨深げに言う。

 ちょうど母も、古雑誌の束を持ってトラックに積みに来たので、「お母さん。わたし、部屋に鏡台が欲しいと思ってたんだ。ひいおばあちゃんの鏡台、持って帰っちゃだめ?」と聞いてみた。

 地面に置かれた鏡台の鏡は、斜め上を向いており、今は七月の青空を丸く切り取っていた。

「そんな古い鏡台どうするの」と言いながらも、母はちょっと考え、「じゃあ車のトランクに積んどいて」と言う。ヨシ叔父さんがうちの車の所まで運んでくれた。

 鏡台の引き出しの中は、ざっと見たかぎり古い櫛、誰かのお土産か何かでもらったらしき香水、知らないメーカーの化粧水の瓶がひとつ入っていた。そのほかには、ほとんど物は入っていなかった。たぶん、曽祖母は腰を悪くしていたから、こんな風に床に正座して使う鏡台は、晩年には使うのが難しかったのだろう。わたしの自室のイケアだとか3COINSなどのインテリアに合うかどうかと言われれば、まったく合わないのだが、鏡台があったらいいなと思っていたし、曽祖母が身近に使っていた何かが思い出に欲しかったので、ちょうどよかった。

 荷物が雑多に積み上げられた軽トラックを眺めると、ああ、本当に曽祖母は亡くなったんだな、と感じた。物をたくさん持っていたとしても、誰もあの世までは持って行けない、という当たり前のことを思う。

 

 午後、家に帰ると、疲れていたが、久しぶりに身体を動かしたからか、気分は晴れていた。ついでにやってしまおうと、鏡台の引き出しの中のものを出した。それらはあまりに古そうで、香水も嗅いでみたら、酢のようなへんな臭いがしたので、「ひいおばあちゃんごめん!」とつぶやきながら処分した。

 使う前にすみずみまで掃除をしようと、雑巾で水拭きしたら鏡台は綺麗になった。古いがどこも傷んでおらず、曽祖母が腰を痛めるまでは、大事に使っていたんだろうなと思う。良く使い込まれていて、引き出しの金具の指のかかるところだけ鈍く光っていた。引き出し自体はストッパーかなにかで、完全には外れないようになっている。凝った造りだ。引き出しの中を探るようにしてきれいに拭いた。古いが、どこもがたついたりしないのは、良い物だったからなのだろう。曽祖父のことは、生まれる前に亡くなってしまったのでほとんど知らないが、大きな家の造りや家具を見ても、当時としてはわりに裕福な方だったのではないだろうか。

 ひとつひとつ引き出しを確かめていく。全部出したり、一段ずつ引き出したり閉めたりして、どこに何を入れようか考えていると──

 一番下の引き出しが外れた。

 さっきまで、引き出しは完全には外れないようになっていたはずだ。おかしいな、と思う。どこか壊れてしまったのだろうか。

 すると下から二段目の引き出しも外れ、三段目、一番上の引き出しもあっけなく外れた。

 外れたんだったら、それはそれで掃除もしやすいと思い、中を水拭きし直す。

 引き出しには、一番奥の部分に何かの留め具みたいな細工があった。どうしてか、これが外れてしまったらしい。

 風に当てて完全に乾かそうと、鏡台の脇に引き出しを四つ並べていると、妙なことに気がついた。

 見間違いかと思って、よく見てみる。

「あれ?」

 引き出しの深さが違う。ほんの少しの差だから、引き出してこのように横に並べでもしなければ、見分けがつかなかっただろう。大きさは同じなのに、一番上の引き出しだけが妙に浅い。気のせいかと思ったが、指で測っても関節ひとつ分くらい、確かに浅い。

 軽く叩いてみたら、他の引き出しとはちがって、コン、と高い反響音がする。裏返してみても、他の引き出しと見た目は変わらないのだが、底板に厚みがあるようだ。

 引き出しを裏返していじっているうちに、カサリと中で何かが動く感覚がした。底板がずれるように動く。指で押してみると、すうっとすべるように底板が外れていく。どうやら底が二重になっていたらしい。

 板を取り外していくと、そこには一センチに満たないほどの高さの空間があった。引き出しの裏の、もうひとつの空間だ。板をぜんぶ引き出してみると、古い部屋に入ったときのような、独特の匂いがした。

 何かの封筒がある。手紙だろうか。もうひとつは、手作りで製本したもののようだった。端っこは糸でとじて、本の形にしてある。

 まずは手紙の方から読もうと思い、手に取ろうとして、ぎょっとした。

 宛名には、こう書いてあった。

 

〝まさみさまへ〟

 

 この字には見覚えがあった。とめ、はらいはのびのびとしていながら、見事なバランスでつり合っている文字。達筆で知られる曽祖母の文字だ。

 でも曽祖母はもうこの世にはいない。だから、この引き出しを開けるのがひ孫の自分だと、曽祖母にはわかるはずがないのだ。それなのになぜ、ここにこれが。

 何が書いてあるのだろうと、その封筒を開けてみると、中には一枚の紙に、縦に一行、書きつけてあった。

 

 ──山風に桜吹きまき乱れなむ花のまぎれにたちとまるべく

 

 急速に、目の前から現実感が失われていく。

 ちょうど、その時に凜からメッセージが来た。部活のことだったが、それには応えずに文字を打ち込んだ。

[信じられないんだけど、死んだひいおばあちゃんから手紙が来た]

 

 

『彼の空のユンカース』は全3回で連日公開予定