最初から読む

 

 あなたは、このままお母さんの具合がよくならなかったらどうしようと、心配になっているかもしれません。この間まで、毎ばんふとんの中で泣いて、目を真っ赤にはらして登校していたでしょう? 先生には、大じょう夫、と作り笑いをうかべながら。そして今は、泣いた事がバレると、周囲のおとながお母さんに、もっとしっかりするように、と直せつ言いに行く事をおそれて、だれもいない所でさえ、なみだをがまんするようになってしまった。
 どうか、そんなに悲しまないで。自分を追いつめないで。
 さびしい時は本を読めばいい。心にうかんだ事を書いてみるのもいい。
 お父さんがあなたの名前にこめた思いを知っていますか? あなたがこの先知るであろう事を、ここに書くのはルールい反かもしれない。だけど、わたしは今のあなたにこの事を伝えたい。
 言葉には人をなぐさめる力がある。心を強くする力がある。勇気をあたえる力がある。いやし、はげまし、愛を伝える事もできる。だけど、口から出た言葉は目に見えない。すぐに消えてしまう。耳のおくに、頭のしんに、焼きつけておきたい言葉でさえも、時がすぎればあいまいなすがたに変わり果ててしまう。
 だからこそ、人は昔から、大切な事は書いて残す。言葉を形あるものにするために。えい遠のものにするために。
 それが「文章」です。
 お父さんは一〇代のころ、小説家になりたかったんだって。家のどこかをさがしてみると、お父さんが書いた小説が見つかるかもしれないね。
 あなたのお母さんの名前、文乃あや のには「文」という字が入っている。だから、お父さんはあなたの名前には「章」という字を用いる事にした。小学校に上がったころ、お父さんに、もっとかっこいい名前がよかった、とだだをこねてこまらせた事があったよね。
「どうしてこの名前にしたのか、章子がもう少しおとなになったら教えてあげるよ」
 お父さんはそんなふうに言っていたよね。その答えが、今書いた事なのです。
 章子の「章」は文章の「章」。そんなあなたに、文字が、言葉が、文章が、そして物語が味方をしてくれないはずがない。
 未来からの手紙であるしょうこ品として、数多くあるドリームグッズの中から、わたしがしおりを選んだ理由も分かったでしょう?
 どんなしょく業についているかは教えられないと書いたけれど、あなたが本を読む事は、文章を書く事は、決して、今のさびしさをまぎらわすための行いだけではなく、あなたを未来のあなた、つまり、わたしにみちびいてくれる大切な役わりを果たすものになるはずです。
 章子、二〇年後のあなたは、むねをはって幸せだと言える人生を歩んでいます。
 悲しみの先には、光差す未来が待っています。それを、あなたに伝えたくて。
 がんばれ、章子! この手紙が、あなたの人生のささやかなエールとなりますように。
 三〇才の章子より

 追しん しおりはだれにも見せないで。あなたとわたしだけのヒミツの品だから。

 

 あと五分で消灯するというアナウンスが流れた。
 便箋びん せんを封筒の中に戻し、指先でプレート状の金属の感触を確かめてから、手紙をリュックに片付けた。もう一度、彼女の手を握り、ゆっくりと目を閉じる……。
 この手紙が届いたのは、小学四年生の終わり、三月末のことだ。
 三学期の終業式を終えて一人、自宅マンションに戻ると、ポストの中に封書が一通入っていた。白い縦長の、どこの文具コーナーにでも置いてあるような、最も特徴がないと言える封筒に、「佐伯さ えき章子様」と黒いペンで書かれていた。住所も差出人の名前もなく、切手も貼られていなかった。
 郵便で届いたものではない。ふと、この手紙はママが書いたものではないかと考えた。ママはわたしにこの手紙を残して、家を出ていってしまったのではないか。パパの後を追いかけようとして。まだ肌寒い季節にもかかわらず、脇の下に冷たい汗が流れるのを感じた。
 宛名の筆跡がママのものであるか、すぐには判別がつかなかった。
 わたしの持ち物への名前、学校に提出する書類などは、すべてパパが書いてくれていたからだ。当然、パパの筆跡とは違う。
 パパが死んだ後は、夜、提出物に記入しておいてほしいとママに頼み、ダイニングテーブルの上にプリント等を出しておいても、朝、何かが書き込まれていることはなかった。仕方なく、自分で記入した。文字を少し崩したり、つなげたりしながら、おとなが書いたものに見えるようにして。
 心臓がバクバクと高鳴るのを感じながら、封書におそるおそる手を伸ばした。裏面には何も書かれていない。封筒の口は、子どもの細い指を入れる隙間もないほどに、ビッシリとのり付けされていた。それが、少しママらしくないと感じて、ホッと息をつくと、見られてマズイものではないのに、片手で手紙をパーカーの内側に隠すように持ち、もう片方の手でポケットから鍵を取り出して、家の中に入った。
 ただいま、といつもより大きな声を出してみた。返事はなかった。
 ドアを開けたままのリビングから、積み重ねていたはずの分厚いファッション誌が、雪崩なだれのように崩れて廊下を塞いでいた。それをまたいで歩きながらリビングを覗くと、ママの姿があった。窓辺を向いたお気に入りのとう椅子に座り、どこか遠くを見ていた。
 一瞬でも心配したことがおかしく思えてきた。ママが一人で外に出ていけるはずがない。
 だって、今のママは人形なのだから。
 ものすごく調子のいい時、ものすごく調子が悪い時、ママのコンディションはこの二種類しかない。パパとわたしは、前者を人もしくはオンと呼び、後者を人形もしくはオフと呼んでいた。人の時が二割、人形の時が八割といった具合だった。
 とはいえ、人であるママが活発だったわけではない。ベッドから起きて、簡単な家事をしていたくらいだ。マックスで、お菓子作りだった。パパやわたしと一緒なら、外出もできた。だけど、大概、翌日には人形に戻ってしまう。ベッドから起き上がることができなくなったり、椅子に座ったままぼんやりと一日を過ごしたりするだけの、人形に。
 ママの様子を確認して、食事の支度は後回しにしても大丈夫そうだと、四畳半の自室に向かった。担任の篠宮先生の話が長かったせいで、わたし自身空腹だったけれど、手紙の中身が気になったからだ。
 もしや、篠宮先生がクラスの子たち全員に手紙を書いたのだろうか。そう思ったものの、一年間ほぼ毎日見続けた、篠宮先生が黒板に書く文字は、大きく角ばった、男性っぽいものだった。これは、流れるように整った、女性っぽい文字だ。
 それが、開けてビックリ! まさか未来の自分からの手紙だったとは。
 たとえ、一〇歳の子どもでも簡単に信じられるはずはない。だけど、信じているあいだは、この手紙は本物の未来からの手紙だということを、あのころのわたしは知っていた。だから、その夜から返事を書くことにしたのだ。
 未来の自分に――。

 

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