謝らない男たち
謝っているようで実は謝罪になっていない
彼氏、夫、父親、会社の同僚など、「謝らない男たち」の話はガールズトークにおける〝ド定番〟のひとつと言えます。ごめんが言えない、責任転嫁する、非を認めない、言い訳ばかりする……そんな男性たちの話を桃山商事でも山のように聞いてきました。
かくいう自分も昔から遅刻をやらかしがちで、電車が遅れただの、出がけに電話がかかってきただの、待ち合わせ場所に到着するまでに言い訳を考えようとしてしまう癖が根深く染みついています。妻と口論になったときも、なかなか素直に謝ることができません。みなさんはいかがでしょうか。思い当たる節はあったりするでしょうか。我々が聞いてきた「謝らない男たち」にまつわるエピソードにはこのようなものがありました。
・約束に30分遅刻した彼氏が開口一番「会議が長引いて」と言い訳して腹立った
・彼氏の浮気が発覚したとき、「泊まったけどヤッてない」の一点張りだった
・上司に抗議をしたら、非を認めない上に「まあまあ」となだめられてモヤついた
・夫は私が怒るとすぐに謝る。でも原因が何か理解してない感じが余計にイラつく
・後輩男子はミスを指摘すると黙る。自分を過剰に責め始めたりもして面倒くさい
これらの事例は「男に対する不満や疑問」として聞いたものですが、中にはすぐ謝ったり、自分を責めたりする男性のエピソードも含まれています。一見するとこれらは謝罪や反省のようにも思えますよね。しかし、なぜこれがネガティブな事例として語られているのかというと、女性側が「ちゃんと謝られた感じ」を得られなかったからです。このように、謝らないこともさることながら、「謝っているようで実は謝罪になっていない」ケースも大きな問題です。
近年、世間を騒がす不祥事やスキャンダルが発生した際、当事者である個人や企業などが謝罪会見を開くことが定例化しています。どう説明し、どこまで謝るべきかに関しては個々の事案によって異なってくると思いますが、謝罪したのにモヤモヤしたものが残ったり、むしろ火に油を注ぐ結果になってしまったりという場合も少なくありません。こういったケースでも「謝っているようで実は謝罪になっていない」が原因になっていることが多いように思います。なぜ、こういったことが起こってしまうのでしょうか?
釈明の4タイプと判断のフロー
そもそも「謝る」とはどういうことなのでしょうか。桃山商事では以前、「恋愛における謝罪の問題」をメンバーの森田がウェブ連載(日経ウーマンオンライン『桃山商事の「恋愛ビブリオセラピー」』)で取り上げたことがあるのですが、その際に紹介した『失敗しない謝り方』(大渕憲一著、CCCメディアハウス)という本がとても参考になりました。ここでは、その書籍や森田の考察を土台に謝罪という行為について考えてみたいと思います。
著者の大渕さんの専門である社会心理学において、謝罪とは「釈明行為(=誤解や非難などに対して事情を説明して了解を求めること)」のひとつだそうです。釈明行為は他にも種類があって、「弁解」「正当化」「否認」がそれに該当します。この「釈明の4タイプ」の違いを頭に入れておくと各事例の見え方がクリアになってくると思うので、まずはそれぞれの定義を簡単に紹介します。
(1)謝罪=単に「すみません」と言うのではなく、自分の非を認めた上で謝ること
(2)弁解=責任を他に求めることでやむを得ない事情があったと申し開きすること
(3)正当化=関与を認めた上で「自分は間違ったことはしていない」と主張すること
(4)否認=そもそもその出来事に関与していないと主張すること

失敗や間違い、理不尽やルール違反など、相手が被害をこうむるような出来事を「負事象」と呼ぶそうですが、これらの釈明行為は「(A)負事象への関与」「(B)行為の不当性」「(C)行為に対する責任」という3要素によって区別されます。その判断のフローを示したのが上の図です。
この図を初めて見たとき、私は謝るという行為の本質が理解できたような気がして「おお!」と膝を打ちました。それと同時に、「あれは謝罪ではなく完全なる弁解だった」「あれは自分を正当化するための嘘だった」と、過去の出来事がいろいろよみがえってゾッとした気持ちになったことを覚えています(勉強になるけど恐ろしい図でもありますね……)。連載で森田は、この図を用いて謝罪に失敗したエピソードの問題点を検証していきました。それにならい、冒頭に挙げた各事例を眺めていきたいと思います。
「謝らない男たち」の問題点
約束に30分遅れた彼氏は、会議が長引いたことを遅刻の言い訳として述べました。遅刻という「(A)負事象への関与」や、待たせたという「(B)行為の不当性」は認めていると思いますが、「(C)行為に対する責任」は長引いた会議にあると主張しているわけで、つまり彼は「弁解」をしたわけです。「遅れてごめん」とは言ったようですが、構造としては謝罪になっていなかった。おそらくここにモヤモヤの原因があるはずです。
浮気が発覚したときに「泊まったけどヤッてない」と主張した彼氏は、おそらく「否認」に当たります。彼女はいくつかの状況証拠から浮気を確信し、問い詰めた結果この言葉が出てきたようですが、彼氏はつまり「ヤッてないから浮気ではない」と言っているわけですよね。彼の中では「セックス」こそが浮気(=負事象)であり、別の女性と外泊しただけではそれに当たらないという認識になっている。ずいぶんアクロバティックな理屈ですが……これも一応は釈明行為として成立しているのかもしれません。
他の3つはちょっと複雑です。非を認めなかった上司は「正当化」に当たると思われますが、それで終わらず、「まあまあ」となだめてきている。これは「気にしすぎだよ」「怒るなよ」と言っているに等しく、まるでクレームを入れた側の感覚がおかしいと言わんばかりの行為です。この女性がモヤモヤしたのも当然です。
また、怒られるとすぐに謝る夫は、一応〝謝罪〟という形式は取っているものの、(A)も(B)も(C)も、何をどこまで認めているのかまるで見えてきません。これはミスを指摘されて黙り込む後輩男子にも当てはまって、彼もまた、「自分を責める(=責任を認める)」ポーズを取りつつ、関与も不当性も責任もハッキリとは認めていない。それどころか暗に慰められることすら期待しているようにも見え、「面倒くさい」という女性側の気持ちもわかる気がします。
このように、先の図に照らしてみると各事例の構造が浮かび上がってきます。それぞれ取っていた態度は異なりますが、すべてに共通している点がひとつあります。それは誰も(A)(B)(C)を認めた上での「謝罪」をしていないということです。これらが「謝らない男たち」のエピソードとなっているのはそのためです(余談ですが、CMが炎上した企業などの謝罪コメントによく見られる「誤解を招くような表現があり申し訳ありませんでした」や「不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」といった表現なども類似の構造だと感じます)。
〝謝罪のエンパワーメント効果〟と〝知覚の妥当化〟
もちろん、いくら負事象が発生してしまったからといって、なんでもかんでも謝ればいいというわけではないでしょう。誤解や主張、やむにやまれぬ事情などがあった場合は、しかるべき釈明は必要だと思います。
しかし、そのとき忘れてはならないのが「相手の感情」です。遅刻の理由に「会議が長引いて」と言えば相手は仕方ないと思うしかないし、証拠を見せろと迫ってくることもないでしょう。また、「泊まったけどヤッてない」と主張すれば、決定的な証拠でもない限り、その場を切り抜けることはできるかもしれません。彼女だって基本的には浮気はなかったと信じたいわけで、それでいったん話を収める可能性だって低くはありません。
でも、30分も待たされていた彼女の気持ちはどうなるのでしょう。彼氏の浮気疑惑に動揺し、今後もモヤモヤを抱き続けねばならない彼女はどうすればよいのか。いくら弁解や否認をしようと、それは自分自身の「印象改善」にはつながるかもしれませんが、相手の感情面に対するケアにはなりません。『失敗しない謝り方』によれば、相手の気持ちを唯一癒せるのが謝罪なのだとか。
被害の種類や大小にかかわらず、被害を受けた側は自尊心が傷つけられている。多くの場合、不快な出来事は、加害者が他の人たちの都合や利害を無視して身勝手に振る舞った結果、起きたものである。だから、被害者は「自分のことを軽視された/無視された」と感じて自尊心が傷つくのである。(中略)加害者が「申し訳なかった」と謝罪すると、被害者は「自分のことを軽視していたわけじゃなかったんだ」「自分の気持ちもわかってくれたんだ」という気持ちになる。「尊重されている」あるいは「理解され、労られている」という感覚を得ることができる。これがとても大切で、これによって被害感情が和らげられるなら、被害者の怒りや不満も軽減されていくであろう。(86ページ)
大渕さんは謝罪を「自らを低い地位に置く行為」と説明します。これは「許す/許さない」の判断を相手に委ねることに由来しています。謝罪される側から見れば、生殺与奪権(=相手をどうとでもできる権利のこと)という、ある種のパワーが付加されたことになるため、「自分の地位が高まったという感覚を持つことができ、被害者としてのみじめな気持ちや、軽視されたという憤りから解放される」のだとか。大渕さんはこれを〝謝罪のエンパワーメント効果〟と呼んでいます。
また、被害者は「自分が気にしすぎだったのか」「こちらにも責任があったかもしれない」と、自分自身に猜疑心を向け、不安を抱くことも往々にしてあると言いますが、謝罪を受けることによって「自分は間違っていなかった」と再確認することができ、不安が払拭されていく。これを心理学では〝知覚の妥当化〟と呼ぶそうですが、謝罪にはこのような効能もあります。誠実な謝罪を受けたときに気持ちが晴れるのは誰もが体験的に知っていることだと思いますが、それはこういった理由によるものだったのです。
謝罪とは「関係を続けていきたい」という意志を示す行為
さてここまで、『失敗しない謝り方』を参考にしながら謝罪の本質と効能について紹介してきました。事例に挙げた「謝らない男たち」のどこに問題点があり、なぜ女性たちの気持ちが癒されなかったのかがクリアになったと思います。
もちろん、「謝れないこと」に本来性別は無関係なはずですし、誰にだってミスやトラブルを起こしてしまう可能性はあるわけで、男女を分けて考えることにあまり意味はなさそうです。ただ、謝罪が自らの過ちや責任を認め、相手に生殺与奪権を委ねるという「自らを低い地位に置く行為」であることを考えると、これに大きな抵抗を感じるのが「謝らない男たち」ということなのかもしれません。また、相手の不安や痛みといった感情面に対する配慮が足りないのもその特徴と言えそうです。
もっとも、単に相手の下に身を置いただけでは謝罪になりません。何が負事象にあたり、それによって相手がどんな気持ちになり、そこに自分の過失や責任がどの程度あったのか。そして自分はそれをどう捉え、今後にどうつなげていくのか。そういった部分を相手と共有しないことには謝罪は成立しません。だとすると、真摯な謝罪とは「あなたと関係を続けていきたい」という意志を示すことに他ならないと考えられます。
とりあえずの謝罪や、弁解や正当化によってその場を切り抜けることは簡単です。しかし、それを続けると関係性がどんどんこじれていく危険性がある。例えば「会議が長引いて」という理由で遅刻を片づけられてしまうと、相手にはモヤモヤが残ります。そんな状態でもしも次に彼女が遅刻した側になったとしたら、素直に謝ることができるでしょうか? 感情や責任の問題をそのつど清算しておかないと、徐々に収支がわからなくなっていき、それがやがて諦めや絶望につながっていくというのは本当によくある話です。「コップの水があふれる」というのはまさにそういう状態を指すのだと思います。
そんな恐ろしい事態に陥らないためにも、自らを省みながら謝罪という行為について改めて考えてみませんか?

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