付き合い始めると油断する男たち

 

 

油断は必ずしもネガティブなものではない

 

 付き合う前までは一生懸命だったのに、いざ恋人同士になったら急に態度が怠慢になった─―。そんな状態を表す言葉に「釣った魚にエサをやらない」というものがあります。恋人のことを「釣った魚」、相手に対する気づかいや愛情表現を「エサ」と表現している時点でかなりヤバい言葉ではありますが、それはいったんさておき、私たちはしばしば〝油断〟という意味でこのフレーズを使用します。

 

 桃山商事の活動は私が大学生のときに始まったものですが、元々は彼氏の油断に苛立つ女友達の愚痴を聞き始めたことがきっかけでした。話をちゃんと聞かなくなる、デートにも行かず彼女の部屋に入り浸る、太る、だらしなくなる、パチスロ代を彼女にせびる。そんな話が身近な女子たちから次々と出てきたのです。彼らはみな、付き合う前は紳士的でアプローチも熱心だったと言います。そんなエピソードを浴びるように聞きながら、これが世に言う「釣った魚にエサをやらない」というやつか……と恐怖におののいたことを覚えています。

 

 今回はそんな「付き合い始めると油断する男たち」について考えていくわけですが、最初に確認しておきたいのは、油断は必ずしも悪いものではないということです。

 油断には「たかをくくる」「気を抜く」「注意を怠る」といった意味があり、基本的にはネガティブな言葉です。話を聞かなくなるとか、パチスロ代を彼女にせびるとか、だらしなくなるとか、元は紳士的だった彼氏がそんな風になってしまったとしたら、それはやはり悪い意味での油断だと思います。

 

 しかし、気を抜いたり注意を怠ったりできるのは、裏を返せば安心感や信頼の表れでもあります。恋人や家族というのは基本的に心を許し合った関係だと思いますが、そういった中では、油断のなさが「心理的な壁」のように感じられてしまうこともあります。例えば川上弘美さんの小説『これでよろしくて?』(中央公論新社)にもそんな場面が登場します。この作品は「ガールズトーク小説」とも呼ばれていて、人間関係に潜むちょっとした違和感を繊細にすくい上げていく名作なのですが、主人公である菜月は、夫(光)の家族が遊びに来た際、母や妹と話すときの夫の姿を見てこのようなことを感じます。

 

わたしと二人きりの時はもっと静かでていねいな喋りかたをするのに、どうして実家の家族と一緒だと、光はこんなふうな子供っぽい、無防備な口調になるのだろう。(中略)わたしは、光にとって、いまだに「ちょっぴりだけ、外」の人間なんだ、って。「ほんとのほんとの、内」の人間じゃないんだ、って。そのことを知って、ものすごく、びっくりしているんですよ。(94ページ)

 

 菜月は「血縁の人たちと話す時にだけ、よろいを脱ぐ」夫に対し、自分には完全に心を開いていないのだと気づいてしまったわけです。夫にはそんな自覚はまったくなかったと思いますが、こんな視点もあるのか……と、私はこれを読んでハッとさせられました。

 桃山商事では以前、彼氏が初めておならをしてくれたことに喜びを感じたという女性の話を著書『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(イースト・プレス)で紹介したことがありますが、それは少し距離を感じていた彼氏が、やっと自分に心を許してくれた気がしたからという理由でした。油断と聞くとついネガティブなものに思ってしまいますが、中にはポジティブに作用する事例もたくさんあるということは押さえておきたいと思います。

 

 

「引き締めていたものが緩む」が油断の基本構造

 

 このように、油断にはネガティブ/ポジティブの両側面があり、またそれらもハッキリ境界線を引けるものではないので、なかなか難しいテーマだと感じます。

 しかし、です。そういう前提はあるにせよ、女性たちから寄せられるエピソードは圧倒的にネガティブな油断にまつわるものが多い。これは無視できない事実です。ここからは、実際の事例を眺めながら油断の本質について考えてみたいと思います。

 

・付き合う前は時間を守る人だったのに、彼氏になったら遅刻がデフォルトになった

・夫は結婚してから、鼻毛が出ていることや口臭が気になるときが明らかに増えた

・彼氏は交際後に思いやりが減り、デリカシーのないイジりをしてくるようになった

・AVの隠し場所が甘くなり、キャバクラの名刺もゴミ箱に捨てるようになった彼氏

・同棲中の彼氏がトイレのドアを開けっ放しでするようになった(大のときも……)

 

 さて、いかがでしょうか。もちろんこれだけを見て良し悪しを判断するのは難しいわけですが、これらはすべて、女性たちの中にネガティブな感情を引き起こした事例であることは事実です。

 こうして並べてみると、シーンも種類もバラバラであることがわかります(例えば遅刻は習慣的な油断だし、鼻毛や口臭は身体的な油断と言えそうです)。しかし、どのエピソードにも「以前は○○だったのに今は○○」というビフォー/アフターの流れがあり、また、どれもマナーやデリカシーが欠如していく方向で一致しています。

 

 例えば鼻毛や口臭、遅刻にまつわる油断は、最初は相手から嫌われないよう気をつけていたことでしょう。それが緩んだのは、つまり「相手は自分のことを嫌わないだろう」という感覚を抱いていることの表れです。というか、これは他の事例にも当てはまることですよね。トイレのドアを開けっ放しでうんこをするのなんてまさにそうだろうし、デリカシーのないイジりをしてくるようになったのはそれをしても許されると思っているからだろうし、AVの隠し方やキャバクラ名刺の捨て方が甘くなったのは「バレたらヤバい」という気持ちが緩んだ証拠です。

 そう考えると、「引き締めていたものが緩む」というのが油断の基本構造であり、緩んだきっかけが相手に対する安心や信頼だった場合はポジティブに転び、相手を軽視したりナメたりといった場合にはネガティブな油断になる……とまとめることができそうです。

 

 

落ち度や悪意がなかったことを説明しても意味がない

 

 先に挙げた「AVの隠し場所が甘くなり、キャバクラの名刺もゴミ箱に捨てるようになった彼氏」というエピソードを寄せてくれた女性は、油断が目立つようになった彼氏についてこのように語っていました。

 

「元々チャラいというか、女好きな部分がある人だってことはわかっていました。私に対してもそうですが、どんな女性とも楽しそうにしゃべるし、ときどき会社の先輩に誘われてキャバクラに行くことも正直に言っていました。浮気や風俗の可能性も考え、最初はわりと警戒していたんですが、その疑いを抱かせないような振る舞いをしてくれていたので、特に問題は起こらなかったんです。ただ、付き合って1年くらい経ってから、彼氏の家に遊びに行くと目のつくところにAVのパッケージが置いてあったり、ゴミ箱にキャバクラの名刺が捨ててあったり、そういうことが増えていきました。あと、一緒にカフェに行ったとき、私が何気なく『あの店員さんかわいい』と言ったら、『ホントだ。超かわいいし、しかもめっちゃ巨乳!』とうれしそうに返事をされたことがあって、そのあたりから『この人ちょっと油断し始めたから気をつけよう』って考えるようになりました」

 

 このカップルは結局、交際1年半で破局を迎えました。彼氏が恋人のことをナメていたかはわかりません。AVやキャバクラのことは彼女も知っているし、特に気にしている様子も見られないという安心感から徐々に隠し方が甘くなっていったのかもしれないし、カフェの件だって、そもそも彼女から言ってきた話に乗っかっただけであって、彼女の気を悪くさせるつもりなど毛頭なかったというのが実態のような気もします。

 しかし、いくら彼がそう思っていようと、実際にこの女性はネガティブな感情を抱き、最終的には彼氏に見切りをつけるところまで行ってしまった。この認識のズレは見逃せないポイントです。

 彼には浮気や風俗がバレたなどの明確な落ち度はなかったし、確かに油断していた部分はあったにせよ、それは彼女に対する安心や甘えの表れとも取れ、一方的に悪と決めつけることはできません。ただ、彼女に別れを決意させたのはそういう部分ではなく、もっと根底のほうにある、彼の「女性観」に対する嫌悪感でした。

 

「この人にとって女は結局〝性の対象〟でしかなくて、その価値観自体も気持ち悪いし、それを隠そうとしなくなっていったのも気持ち悪かったです。それと、私に対しては『絶対に嫌われない』『何をしても許される』という、まるで母親に対する甘えみたいなものが感じられるようになってきて、そのマザコンっぽい感じも無理になってしまいました」

 

 ここまで来てしまっては、彼がいくら自分に落ち度がないことを力説したとしても、それは意味をなさないでしょう。気づかいや注意が緩むことにより、その人の根底にあるものが露呈してしまう。そしてそれを相手が「生理的に無理なもの」と感じてしまったら……そうなるともはや関係を修復させるのは不可能に近いのではないかと思います。これこそが油断の最も恐ろしいところです。

 

 

 

どれだけ距離が縮まっても相手は他人

 

 長くなってしまいましたが、最後に少しだけ対策を考えてみたいと思います。ものすごく単純化すると、二人の間で油断が問題になるとき、おおよそ「気づかいや注意を払う→距離が縮まる→気が緩む(いい油断)→相手も喜ぶ→さらに距離が縮まる→さらに気が緩む(悪い油断)→ネガティブな感情が発生→油断が問題になる」というプロセスをたどります。ここには「距離が遠いほど気づかいレベルが高く、近いほど低い」という相関関係が見られます。

 

 気づかいレベルが低いのは「許されている」「一緒にいて楽」「安心感が高い」ということの表れでもあります。これに慣れると居心地はよくなっていきます。しかし、双方が同じように感じていない場合は問題です。遅刻や鼻毛、イジりやトイレのドア開けっ放しが問題になったのも、「距離が縮まったとはいえ、その気づかいのなさはどうなの?」と相手に思わせてしまったことの結果なわけです。

 

 ただしここで難しいのは、おそらく最初の鼻毛やイジりは、むしろポジティブに受け取られていたかもしれないということです(気を許してくれたという意味で)。しかしこうなると、今度は許された側にとっては許容範囲がどんどん拡張していく一方、許した側は、一度認めてしまったことを「やっぱりダメ」とは言いづらくなっていく、という葛藤を抱えることになります。この「特例を通例と勘違いする問題」も多くのエピソードに共通して見られる構造でした。それが暴走すると、やがて根底の価値観が露呈するところまで突き進んでしまう……。

 

 となると、対策としては「親しき仲にも礼儀あり」の原則を遵守する─ってなんだか道徳の教科書みたいになってしまいますが、この基本を意識していくことが私たちにできる最善の策ではないかと考えています。これは誰もが知っている格言なのでついわかった気になってしまいがちですが、「どこまで行っても相手は他人」という認識を持ち、楽に流されず、安心に浸りきらず、相手を観察しながら気づかいレベルを微調整していくという、かなり高度なオペレーションを伴います。大事な人から失望される前に……自らの油断を点検してみるところから始めてみるのはいかがでしょうか。

 

 

 

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