「ああ良かったぁ。ちゃんと帰ってこられた」
「ど、どうしたの眞知矢くん」
戻ってくるなり地面に腰を落とした眞知矢に咲月が尋ねる。彼は安堵したのか体がしぼむほど大きく溜息をついた。
「じゅ、純子さんが貸してくれたこの懐中電灯、いきなり明かりがつかなくなって……」
「ありゃ? そうなの? なんで?」
純子は眞知矢から懐中電灯を奪い取るとスイッチを入れたり切ったり、振ったりする。電球は暗いままで一向に点灯する気配はなかった。
「ほんとだ。壊れたのかな? 電池切れかな? まったく登山部もいい加減な物を……」
「それより眞知矢くん。楓はどうしたの?」
咲月の言葉に眞知矢は瞬きを繰り返す。
「楓さん? 楓さんは……ここにいないんですか?」
「当たり前じゃない。どうして二人一緒じゃないの?」
「だって、途中でいなくなったから」
「いなくなった?」
「おい眞知矢、楓さんはどこへ行ったんだよ。ちゃんと説明しろよ」
祥が厳しい口調で問い詰める。
「だから、その、あっちの橋を越えてしばらく進んだあたりで、懐中電灯が消えて真っ暗になったんです。そしたらいつの間にか楓さんが近くからいなくなっていて、捜しているうちに段差につまずいて足を捻って、転んで地面に頭を打って、もう散々な目に遭いました」
「お前のことはいいんだよ。それで楓さんを放って一人で帰ってきたのか? 何考えてんだよ」
「祥、眞知矢を責めちゃダメだ」
康二は祥をなだめると腰を屈めて眞知矢と視線を合わせる。
「眞知矢、楓さんは何も言わずにいなくなったのか? 真っ暗で何も見えないのに? 君はどこを捜したんだ?」
「何も言わずにいなくなりました。でも僕も楓さんも昼間にお墓まで行っていたので、真っ暗でも肝だめしのルートはだいたい分かっていました。それで先に行ったのかもしれないと思って。そのまま捜しながらお墓まで行って、ここへ戻ってきました」
「でも途中で会えなかったのか」
「はい。先に戻ったかと思ったんですが……いないんですか?」
眞知矢が不安げな顔であたりを見回す。夜のダム底は深い闇に包まれてほとんど見通しが利かない。だが楓が戻っていないことは明らかだ。どこへ行ったのか。一瞬、どこかに隠れているはずの景太郎を想像する。もしかすると楓に見つかってしまったかもしれない。それでも彼女が戻ってこない理由は分からなかった。
「康二さん、捜しに行ったほうが良くないですか?」
「そうだな。待っていれば戻ってくるかもしれないが、放っておくのも心配だ」
祥と康二はそう言ってうなずき合う。咲月もすでにそのつもりだ。康二がよしと言って腰を上げた。
「俺、一応リュックに懐中電灯を入れてきたから取ってこよう。祥は焚き火で松明のような物が作れないか考えてくれ」
「分かりました。咲月も何か持ってないか?」
「私のケータイ、懐中電灯に使えるよ。あまり明るくないけど」
「ちょっとぉ、肝だめしはどうするの?」
みんなの焦りに水を差すように純子がぼやく。咲月は近づき小声で話しかけた。
「純子さん、それどころじゃないですよ。楓を捜さないと」
「心配しすぎ。放っておけばいいよ。お腹が空いたら帰ってくるでしょ」
「犬じゃないんですから、そういうわけにはいきませんよ」
「それなら咲月と康二で捜しに行けばいいじゃない。せっかくお膳立てしてあげたのに」
「……もしかして、これも純子さんの作戦ですか?」
「はぁ? 楓なんてノリが悪くて面倒臭い奴、仲間に入れるわけないでしょ」
「どうしてそんなに嫌うんですか。後輩じゃないですか。お願いですから一緒に捜しに行きましょう」
咲月が懇願すると純子も渋々といった顔でうなずく。今回の旅の一大イベントを台無しにされたのがよほど気に入らないのだろう。よりによって普段からあまり仲の良くない楓のせいでそうなってしまった。何が理由で戻ってこないのかは知らないが、無事に見つかっても一悶着は避けられそうになかった。
*
「かえでー、かえでー」
「おーい、楓さーん。どこだー」
純子と祥の交互に上げる声が廃村に響く。二人とも火のついた薪を何本か合わせた簡単な松明を持って前を歩いていた。先に肝だめしを済ませているので道にも慣れている。そのあとには眞知矢がゾンビのような歩行で続き、さらに咲月と康二が並んで従っていた。
「かえでー、だいじょうぶー?」
「楓さーん、楓さーん」
咲月と康二もあたりを見回しながら声を上げる。康二は持参していた黒くて細長い懐中電灯を持ち、咲月は携帯電話のライト機能を点灯させていた。
「月明かりがあって良かったですが、ほとんど何も見えませんね」
「懐中電灯も足下を照らすので精一杯だ。咲月さんのケータイも、ちょっと頼りないな」
「そうですね。カメラのフラッシュ機能を点灯させているだけですから」
「充電がなくなると困るんじゃないか? 消して俺の側にいたほうがいいよ」
「あ……じゃ、じゃあそうしますね」
咲月は迷うことなく明かりを消して康二に近づく。それでも暗いのでもう少し寄り添った。廃村の道はでこぼこしていて、大きな石やぬかるみもあるので危ない。眞知矢も慌てたせいで足を捻ったと言っていた。だから康二を頼るのは自然なことだった。
「おーい、かえでー。怒らないからさっさと出てこーい!」
「純子さん、それじゃますます出てきませんよ。あと松明を振り回さないで」
純子が気怠そうに声を上げながら松明をぶんぶん振り回して祥に注意されている。火の粉がぱらぱらと飛び散って周辺の地面や真後ろの眞知矢に降りかかっていた。血しぶきのような赤い点が一瞬輝いてすぐに消える。雑草や流木に飛び火でもしたら大変だ。康二が左右を見回しながら咲月に話しかける。
「それにしても、楓さんはどうしたんだろう。明かりも持たずに一人で行くなんて無茶を」
「本当に。ああ見えて結構、好奇心の強い子ですけど」
「それでも眞知矢を残していくことはないだろう。気になるなら一緒に行けばいい」
「そんなに眞知矢くんといるのが嫌だったのかなぁ」
咲月は前を歩く眞知矢の背中を見る。ずんぐりとした体で首を前に伸ばして歩く姿は、餌を探して山をさまよう子熊のようにも見える。まさか肝だめしに乗じて楓に手を出して逃げられたのだろうか。いや、眞知矢がそんなことをするとは思えない。ちょっと不気味で挙動不審だけど悪い人ではないし、そんな度胸もないだろう。
「戻ってこないのが心配ですね。楓、何事もなかったらいいんですが」
耳を澄ませても虫のざわめきが響くばかりで人の声は聞こえない。ゾンビや幽鬼に襲われたとは思えないが、ぬかるみに足を取られて転んだり、どこからか転落して動けなくなっているかもしれない。頭を打って気を失っていたり、深く傷を負って血を流していたらどうしよう。そんな最悪の状況が思い浮かんで不安にさせられた。
「こ、このあたりで楓さんが離れていきました」
せわしなくあたりを見回していた眞知矢が立ち止まってみんなに告げる。廃屋が建ち並ぶ道の途中で、ひと際見通しの悪い場所だった。
「懐中電灯の明かりが消えて慌てているうちに、いつの間にか……」
「この暗さじゃ先も全然見えないな」
康二が懐中電灯を正面に向けるが光はすぐに闇に吸い込まれる。道は真っ直ぐしかないが途中で脇へ外れても分からなかっただろう。
「とにかく、俺たちも先へ進みましょう」
祥が言ってみんなは再び歩き出す。今までよりさらに慎重に、左右でまばらに茂る草むらを照らしたり、廃屋の中を覗いたりしながらくまなく捜し回った。次第に口数は少なくなり、楓の名前を呼ぶ声も減っていく。捜しても見つからないという可能性に焦り始めていた。
やがて道の先に長く続く石段が見えて、村はずれの廃寺まで辿り着いたと気づく。一歩一歩ゆっくりと足を運んで本堂にまで上りきると、脇道から裏手の墓地へと向かった。
「わぁっ」
「おっと危ない」
咲月が地面に転がっていた大きな石につまずいたが、とっさに康二が手首を掴んで引き上げる。体がよろけてそのまま彼の太い腕にしがみついた。
「あああ、す、すみません。そんなつもりじゃないんです」
「大丈夫。落ち着いて」
しどろもどろになって謝るも足下がおぼつかず手が離せない。もちろん、わざと転んだふりなどしていない。暗がりへの不安と楓への心配と足場の悪さのせいだ。怖いのか嬉しいのかも分からず感情の波に心を掻き乱される。大木のように寄り添ってくれる康二の存在が頼もしかった。
「ちょっと眞知矢。楓、いないじゃない。どうなってんのよ」
純子が腕を上げて松明をぐるぐる回す。墓石が転がる一帯は昼間に見た光景そのままで、やはり動くものはどこにも見当たらなかった。
「ぼ、僕に聞かれても。おかしいなぁ。か、楓さぁん……」
眞知矢はふらふらとおぼつかない足取りであたりを巡る。
「ここが肝だめしの折り返し地点だから、あとは来た道を戻るしかないですよ」
祥が咲月と康二のほうを振り返る。五人が丹念に目を凝らして捜し回って、ようやくここまで辿り着いた。もう一度同じ道を引き返しても見つかるとは思えない。
「困ったな……ルートを外れてどこかへ行ったとしたら捜しようがない」
康二が重い口調で返す。小さな廃村だがこの暗さでは一周するのも難しい。ましてやダム底すべてを見て回るなど不可能だろう。夜が明けるのはまだまだ先だ。放っておくわけにはいかないけど、捜し出す方法が思い浮かばない。
見上げると砂粒を撒き散らしたかのような星空が広がっている。都会ではまず見られない星の数だけど、つまりはそれほど周囲が暗いということだ。たしか半分だけの月もあったはずだが今は視界に入らない。上を向いたまま首を回すと本堂の屋根が目に入った。
「そういえば、このお寺の中って誰か覗いてみましたか?」
咲月が顔を戻して尋ねる。みんなは互いの顔を見比べてから、無言のまま墓地を出て本堂の正面へ向かっていった。大きな屋根を乗せた建物は半分ほどが崩れ落ちて瓦礫の山になっている。わずかな振動でも柱が倒れて屋根が落ちそうに思えて、みんな近づくことすらためらっていた。
「おーい、楓ー。中にいるのかー?」
「危ないですよ、純子さん。松明の火に気をつけて」
純子と咲月が並んで五段ほどの木製の階段を上がり外縁に立つ。開けっぱなしの入口の奥は広い一間になっているようだが、当然ながら真っ暗闇で何も見えなかった。砂ぼこりのざらつきに混じって、腐ったような生臭さが鼻につく。
「どう? 咲月。やっぱり誰もいないか?」
「この床、かなり脆いぞ。みんな気をつけて」
祥と康二があとに続き、眞知矢もその後ろについている。目が慣れると本堂の床一面が真っ黒な泥にまみれていることが分かる。その奥では一段迫り上がり、祭壇のような台が設けられているようだ。
「ひっ」
その瞬間、隣の純子が小さく悲鳴を上げてガタッと身を震わせる。それに合わせて全員が肩を上げて身を固くした。
「な、なんですか? 純子さん、脅かさないでください」
咲月が隣で震えた声を出す。
「何かあるよ……祭壇の上に、仏像みたいなのが……」
「仏像?」
「なんだよ、どうしたんだよ?」
背後から祥と康二が顔を出す。見るとたしかに、祭壇の上に何かが横たわっている。純子が仏像と言ったのはここが寺の本堂だからか。人の形に見えるが、何かおかしい。ぴくりとも動かないその影の上に、もう一つ何かが乗っている。
その時、崩れた屋根の穴から月の光が一直線に差し込んで、いきなり本堂の内部が明るく照らし出された。
「ひぃ!」
今度は全員が一斉に声を上げる。祭壇の上にあるものがはっきりと目に入って、反射的に悲鳴が喉を震わせた。仏像じゃない。それはこの廃寺にはまったく似つかわしくない生々しさをたたえていた。
「楓、なの……?」
咲月は続けて口から漏れた言葉にみずから驚く。ありえない。そんなはずがない。では、あれは何? あの顔は誰? あの姿は、どういうこと?
月明かりに照らされた祭壇の上には、行方知れずだった楓が横たわっている。
楓は、血に染まった裸の体をあお向けにして、切断された頭を腹の上に乗せていた。
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