「こ、こここ怖かったぁ!」
「ほら、帰ってきましたから、いい加減離してください!」
祥が純子に両手で掴まれた左手をぶんぶん振っている。仲良くなった、とは思えない。腰の引けた純子は嬉し泣きするような情けない表情を見せて騒いでいた。
「ど、どうしたの? 祥、何かあったの?」
「何もないよ。純子さんが大騒ぎして大変だった」
「だから、いたって言ってるでしょ! ゾ、ゾンビが! 村で死んだ人が!」
「ゾンビ?」
純子の発言に咲月たちが声を上げる。祥がうんざりした顔で肩をすくめた。
「純子さん、ゾンビがいたんですか? 本当に?」
「本当だよ。墓場でゾンビがこっちに近づいてきたんだって」
「祥も見たの?」
「見るわけないだろ。真っ暗だったし、何もいなかったよ」
祥が即答する。
「祥は見る前に逃げたから知らないだけ!」
純子がさらに言い返す。
「聞いてよみんな。祥ってば私を置いて逃げたんだよ!」
「そうだよ。純子さんが手を繋げだの、抱っこしてだの言い出したから、気味が悪くて逃げたんだよ」
二人とも興奮した様子で言い争う。おそらく例の作戦に沿ってみんなを怖がらせるつもりなのだろう。それが分かっているだけに咲月も深くは追求できない。純子は拗ねたような顔で腰を屈めて、寒くもないのに焚き火に手をかざしていた。
「あー怖かった。じゃあ次、眞知矢と楓の番だよ。行ってきて」
「おいおい、待てよ純子」
康二が純子の頭を見下ろして話しかける。
「今の話はなんだったんだよ。ゾンビか何かに襲われたんじゃないのか?」
「だから襲われたって言ってるじゃん。ほんと、危ないところだったんだよ、私」
「それなのに二人を行かせる気か? 何かあったらどうするんだ?」
「大丈夫ですよ、康二さん」
祥は落ち着きを取り戻して冷めた口調で答える。
「純子さんがビビりまくっていただけですから。誰もいなかったし、何も起きていません。二人も心配しなくていいよ」
「しかし……」
康二はなおも不安げな顔を咲月に向ける。心優しい彼の気持ちが痛いほどよく分かる。でもこの時ばかりはその思いに応えられない。今さら作戦を台無しにするわけにはいかなかった。
「祥が言うなら間違いないですよ。もし何か起きても逃げればいいですし。それに、そもそも呪いの伝説は眞知矢くんが言い出したことだから」
「そうそう。眞知矢が悪い」
純子は座ったまま振り返り、眞知矢を恨めしげに見る。
「本来なら真っ先に行ってみんなのために見回ってくるべきでしょ。ねぇ、眞知矢、分かっているよね。ちゃんと墓場まで回ってくるんだよ。倒れている墓石も一個ずつ裏返して、隠れていないかどうか確かめてきてよね」
「うう……分かりました。行こう、楓さん」
眞知矢はすでに泣きそうな顔で懐中電灯を受け取る。楓は澄ました顔で咲月を見る。
「じゃあ行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」
咲月は精一杯の笑顔で楓を送り出す。申し訳ない気持ちから、自然と両手を合わせてしまう。楓も先輩の苦労は分かりますとばかりに微笑んでうなずいた。眞知矢が何度もこちらを振り返る。
「楓さん。暗いから離れないように。ちゃんとついてきて」
「うん。眞知矢くんが一番怖がってない? 自分で言い出したことなのに」
「そんなことないけど……あ、て、手とか繋いだほうがいいかな」
「え……困る」
二人は微妙な距離感を保ちながらとぼとぼと校庭をあとにする。残念ながら眞知矢はこの肝だめしで楓との距離が縮まることはなさそうだ。康二が溜息をついて純子を見る。
「さすがに冗談がきついんじゃないか? あれじゃ二人がかわいそうだ」
「だって怖がってくれなきゃ意味ないじゃない。あーあ、安心したら気が抜けちゃった。トイレに行ってくる」
純子は焚き火の前から腰を上げるとトイレのある高台の公園へ向かって歩き出す。康二はしばらく佇んでいたが、やがて荷物のある男性用のテントの中へ消えていった。
「咲月」
先輩二人の会話を立ち聞きしていた咲月の側に祥が近づく。
「咲月も一応、何か武器になるような物を持っていけよ。純子さんからサバイバルナイフを借りるとか、テントを張る時の杭打ちに使ったハンマーとか」
「ええ? それはちょっと大袈裟でしょ?」
「康二さんのためだよ。ああ見えて怖がりだからな。前にホラー映画に誘ったら絶対に行かないって断られたし。体は大きいけど神経質なんだよ」
「そうなの? でも怖いの大好きって人よりはいいかな。穏やかで優しい人だもんね」
「だから咲月が守ってやるんだ。幽霊じゃなくてもクマとか野生の動物がいるかもしれないだろ」
「祥、なんか私のことがさつな奴だと思っていない?」
「がさつというか、鈍感だろ」
「どういう意味? 幽霊が出ても気づかないってこと?」
そう返して二人で笑う。相手が祥でなければ失礼もいいところだ。口は悪いが性根は優しく、美男子だが恋愛感情は湧かない希有な友達。きっとそれは、私が足下にも及ばない美女の美鈴と恋人同士だからだろう。だから互いに気を遣わずに軽口を叩き合えた。
「ねぇねぇ祥、前から聞きたかったんだけどさ」
「なんだよ?」
「祥と美鈴さんって、どっちから告白して付き合うようになったの?」
「……美鈴だよ」
祥は軽く目を逸らして答える。
「嘘? すごいね。でも美鈴さんならそうかも。祥から告白するより分かる気がする」
「言い慣れているんだよ、あの人。私、ほしいものは必ず手に入れる主義だからって」
「かっこいい……それで手に入れられちゃったの? 祥も手に入れられちゃったの?」
「お前なあ……」
祥はわずかに顔を赤らめて呆れる。咲月も言ってから興奮している自分が恥ずかしくなった。ああ人生は不公平だ。綺麗な人が大胆で積極的だと誰も敵わない。でも美鈴は誰に対しても親切で明るくて魅力的な先輩だから、ただ自分の不甲斐なさを痛感するばかりだ。
「美鈴さん素敵だもんね。この前何かの時に、今度は純子さんに内緒で遊ぼうかって耳元でささやかれて、ゾクってしちゃったよ」
「何言ってんだよ」
「あれ、男子がやられたら絶対勘違いすると思う。祥も浮気されないように気をつけないとね」
「咲月のほうこそどうなんだよ。誰か気になる奴いないの?」
「え? えーと私は、まあ、どうかなぁ?」
「俺に聞いておきながら、自分は隠すのかよ」
「だってまだ分かんないし……あ、でも祥じゃないよ」
「分かってるよ。さっきも誰かにも同じことを言われたな」
「なになに? なんの話?」
そこにタイミング良く純子が戻ってきたので二人とも口を噤む。康二もいつの間にかテントを出て焚き火の火を大きくさせていた。気になる人はすぐ近くにいる。この旅を終える頃には、祥にも気づかれるかもしれない。肝だめしの順番が近づくにつれて心拍数が増えるのを感じていた。
「うわぁ! ゾンビが来た!」
突然、純子が声を上げて遠くを指差す。他の三人も顔を向けると、校庭の暗がりからギクシャクした動きで近づく人影が見えた。
「なんだ? 明かりに誘われてやってきたのか……?」
祥が昆虫でも観察するような口振りで言う。怖さも感じず、逃げようという気も起きない。人影の動きは鈍く、こちらは四人もいるからだろう。
「いや、あれは眞知矢だぞ」
康二がじっと目を凝らして答える。やがてはっきりと見えたその姿は、たしかに眞知矢だった。顔中を汗まみれにして、小太りの体を揺らして、左足を引きずりながら、なぜか彼は一人で戻ってきた。
『愛した人を調べないでください』は全3回で連日公開予定