出世

ナイツも違う山で頂上近くまで登れている

 

 23年6月に漫才協会の7代目会長に就任しました。漫才協会の全会員を対象にした投票で15名の理事を決めて、その15名の理事によって会長が決まるんです。前会長の青空球児師匠の体調が悪いことは会員もわかっていたので、僕を会長に推す投票が多くて。理事の間で討議したうえで、会長に就任しました。

 球児師匠と僕では年齢の開きがあるので、中間の世代の方が会長になったほうがいいと思っていたのですが、投票だと知名度のある芸人が選ばれやすいから、ベテランの師匠とU字工事やねづっちといった僕に近い世代が理事になりがちなんです。

 会長の球児師匠が“重し”になることで、僕が自由に動けていたという面もありました。だけど、球児師匠に何かあったタイミングで自分に交代するよりは、お元気なうちに替わったほうが協会にとってベターだと思ったんです。球児師匠には名誉会長をお願いしました。

 これまでは関係性で芸人をスカウトしてきましたが、そこは会長になって変わるかもしれません。仮にサンドウィッチマンさんが入るなら、みんな賛成すると思いますが、僕がコント師を「入れたい」と言ったときに周りが疑問を持たないで「会長が言うなら入れたほうがいい」と思われてしまうのは違うのかなと。自分の権限の扱い方には気をつけたほうがいいと思ってます。

 2019年に、僕がにゃんこスターやコウメ太夫を漫才協会にスカウトしたのは理由があって。漫才協会の寄席は漫才だけではバリエーションがないと思うんです。落語の寄席は、「落語・落語・奇術・落語・落語・漫才」みたいな香盤になっていて、3組に一つはイロモノが入っているんです。でも、漫才協会の寄席は漫才が続いてしまっていたので、イロモノを増やしたいと思ってました。お客さんは僕の兄貴(はなわ)や小島よしおが出れば喜ぶし、イロモノがあると漫才もより引き立つんです。

 ただ、いまはイロモノが増えたし、解散してピンになった師匠も多いので、コントやピンの芸人を積極的にスカウトすることはないと思います。

 会長になったからスタンスを変えなきゃいけないと思っていることはあって。これまではテレビで師匠を紹介してきましたが、あれは僕が若手だったから面白かったんです。会長になって自分のほうが偉そうに見えるとよくないじゃないですか。

 それに、この15年くらいたくさんの師匠を紹介してきましたが、おぼん・こぼん師匠以外は売れませんでした。なんなら、おぼん・こぼん師匠はもともと売れていましたから。師匠とはいえ、最終的には実力次第なんです。

 テレビ番組で師匠を紹介しても、結局、ナイツだけがオイシイ思いをしていたんじゃないかという葛藤がありました。これからは若手を紹介していく方向にシフトしようかなと思ってます。あるいは、オススメの芸人を聞かれても言わないほうがいいのかなと。東洋館に来てもらって自分のお気に入り芸人を見つけてほしいんです。

 会長になったから守りに入るということはありません。THE SECONDに出たっていいかもしれない。会長になったことで優勝したらカッコイイし、スベってもネタになるじゃないですか。会長になったことで「出たら面白そう」という選択肢が増えました。

 芸人を始めた以上、地上波のテレビで冠番組のレギュラーを持つことを夢見ていました。同期のオードリーなんて、いま上り詰めようとしているじゃないですか。でも、ナイツも頑張って違う山で頂上の近くまで登れているのかなと。自分を誇りに思います。

 芸人にとって、ネタをやって、ひな壇に座って、冠番組を持つ、というのが定番の出世パターンでした。僕も最初はそう思っていたけど、軌道修正していったんです。ひな壇をやっていても面白くないし、朝の情報番組の司会もやりたいことではないと思って。結局、浅草にいることが心地よかったんです。

 ABEMAでとんねるずの石橋貴明さんと伊集院光さん、みやぞんの番組があって。タカさんは「芸人は4番でエースなんだから」と言ってました。最近はキングコングの西野くんやオリエンタルラジオのあっちゃんみたいにYouTubeチャンネルでトップになる芸人もいます。芸人の出世パターンは増えたし、芸人はやっぱり主人公になりたいんです。

 僕は漫才協会の芸人にも主人公を目指してほしいと思ってます。「漫才協会のため」とか考えないで、自分が一番面白いと思われるための行動をしてほしいです。

 2000年代以降の芸人は華があるから売れるというわけでもないと思ってます。たとえば、三拍子はボケの高倉くんはイケメンだし、ツッコミの久保くんもふてぶてしくて、二人とも華があって、もちろんネタは面白い。じゃあ、地上波テレビで冠番組が持てるようになったかといえばそうじゃない。一方、錦鯉やウエストランドが売れるとは想像もできませんでした。

 いまは華よりもオリジナリティの時代なのかもしれません。これだけたくさんの芸人がいたら、何をやっても「誰々っぽい」と言われてしまいますから。

 僕はM‒1で審査をする際の基準の一つとして、「その先」も考慮に入れています。その日に面白かったとしても、すぐに解散したらM‒1の価値が落ちてしまう。「タレントとしてテレビに出続けるだろうな」「劇場のトリで漫才を続けていくんだろうな」と想像できる芸人を評価したいんです。僕にとってはそれがスター性かもしれません。

 

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