下谷稲荷町に住む辻六は自身番の家主。番人らと日々雑事をこなしている。ある日、町内の履物問屋へ力士が怒鳴り込むという騒動が起こる「市松お紺」(表題作)のほか、「愛犬シロ」「文化元年九月十三日」「吉原崩れ」など、自身番を舞台に色とりどりの人間模様を描き出す、人情あふれる時代小説新シリーズ第一弾!

 書評家・細谷正充さんのレビューで、『下谷稲荷町自身番日月抄(一) 市松お紺』の読みどころをご紹介します。

 

下谷稲荷町自身番日月抄 【一】 市松お紺

 

下谷稲荷町自身番日月抄 【一】 市松お紺

 

■『下谷稲荷町自身番日月抄(一) 市松お紺』小杉健治/細谷正充[評]

 

下谷稲荷町の自身番の大家・辻六が遭遇する町内の揉め事。それを通じて人の世の〝藪の中〟に踏み込んでいく。小杉健治の新シリーズ、待望の開幕だ。

 

 双葉文庫の「蘭方医・宇津木新吾」シリーズで知られる小杉健治が、新たな文庫書き下ろし時代小説のシリーズを開始した。その第一弾が本書である。

 

 物語の主人公は、下谷稲荷町にある自身番の大家の辻六だ。元は日本橋駿河町の口入屋で働いていたが、代々稲荷町の地主をしている彦左衛門に認められ、長屋の大家を務めながら、自身番にも詰めている。ちなみに自身番では、町内に関する、さまざまな業務に携わっているのだ。辻六の他に、常番の番人として元力士の朝松、月番(月代わり)の番人として、海苔問屋『行事屋』の手代の陣五郎と文治も詰めている。なお陣五郎は元博徒で、頭に血が昇りやすい。奥州出の文治は、常に人を苛立たせるような話し方をする。両人共に癖が強いのだ。それに比べると常識人の辻六だが、揉め事が起こると真実を求めずにはいられない一面を持つ。本書には、そんな辻六が出会う四つの揉め事の顛末が収録されているのだ。

 

 冒頭の「市松お紺」は、幕下の若手力士・冬木関が、履物問屋の『幕張屋』の店頭で騒ぐという揉め事が発生。原因は先月から『幕張屋』の女中として雇われた、お紺であるらしい。一昨年の年末、不忍池で関脇の柏灘関が水死体で発見され、自殺で処理された。しかし冬木関は、お紺が柏灘関を殺したというのだ。この件を調べ始めた辻六は、さらに別の殺人事件にも行き当たり、事態は複雑な様相を呈するのだった。

 

 以下、シロという犬が盗賊らしき人物を追いかけた件に辻六が乗り出す「愛犬シロ」、陣五郎の過去話から仇討ち話へとストーリーが発展していく「文化元年九月十三日」、三年前に男に貸した金を女義太夫が返しにやってくる「吉原崩れ」と、どれも捻りを加えた展開が楽しめる。なかでも「文化元年九月十三日」の、二段構えのサプライズには驚かされた。

 

 さらに注目すべきは、揉め事の真相をはっきりさせないまま、物語の幕を引くことである。本書には準レギュラーとして、定町廻同心の氷川清吾が登場する。仕事熱心だが、情味豊かな性格らしく、罪によっては下手人を見逃しているようだ。また辻六も、真実は追うものの、無理やり白日の下に晒すことはない。自分が納得し、町内の平穏が保たれればいいのだ。この辻六の姿勢が、本書を味わい深いものにしている。またひとつ、面白いシリーズが誕生したことを喜びたい。