痩せたいと思っている人に本当に必要なのはダイエットなのか──。痩せたい気持ちと痩せられない現実を、ときにユーモラスに、ときにシニカルに描いた文庫『痩せたらかわいくなるのにね?』(『ダイエットの神様』を改題)が刊行された。
「やっぱり南綾子さんって最高だな!」と作家の寺地はるなさんに言わしめた本書について、寺地さん自身の経験を交ぜながら「心の脂肪」との付き合い方を綴っていただきました。文庫巻末に収録された解説全文を公開します。

 

痩せたらかわいくなるのにね?

 

■『痩せたらかわいくなるのにね?』南綾子  /寺地はるな [評]

 

 やっぱり南綾子さんって最高だな!

 2019年に、本書を単行本で読んだ際の第一声がこれだった。今回ひさしぶりに読み返した時にも同じことを言ってしまった。南綾子さんって、ほんと最高。

 

 こんなストレートな賛辞から解説をはじめてしまうことからもわかるとおり、わたしはもともと南綾子さんのファンである。本書も長らく文庫化を待っていた。文庫なら気軽に周囲の人にプレゼントしたり、おすすめしたりできるからだ。もう読んだ? どこが好き? わたしはねえ、全部! みたいなことをキャッキャと語り合いたい! とあちこちで喋っていたらば、このたび解説を書かせてもらうという名誉にあずかった。キーボードを打つ指がブルブル震えている。これが引き寄せの法則というやつなんでしょうか。
 南さんの作品の魅力はなんと言っても怒涛のユーモアだ。だがむろん、それだけではない。生きることの苦しさやままならなさがあますところなく描かれている。だから読んでいるあいだは心が忙しい。笑わされ、泣かされ、しかし読み終えると力がムクムクみなぎる。
 みんながんばって生きているんだ、自分ももうすこしがんばってみよう、そんなふうに思う。中でも本書は、とりわけ力をくれた一冊だった。

 

 わたしは10代から20代にかけての時期を、周囲の人に「デブではないけど、けっして痩せてはいないよね」と評されるような体型で過ごしてきた。若い頃のわたしは他人の話を自分に都合のよい部分だけ聞く癖があったので、デブではないんだね! オーケーオーケー! と、毎夕食後にジャイアントコーンを食べるなどして、それなりに幸せに生きていた。
「痩せてはいない」のほうを重要な事実として受け止めたのは、29歳の時だ。痩せている友だちと並んで鏡にうつった時に、自分の姿がものすごく醜く見えたのだ。
 その後食事制限、ウォーキングなどに励み、最終的に身長154センチだったわたしの体重は39キロになった。ついでに生理不順になり、風邪をひきやすくなった。その他、なぞの身体のかゆみ、便秘、慢性的な頭痛や肌荒れなど、ありとあらゆる不調に悩まされるようになったのだが、当時はそれを無茶な減量のせいだと理解していなかった。
 その頃の写真を見ると、デコルテのあたりに骨がぼっこり浮き出ている。吹けば飛びそうな身体をしている。でも当時の自分は「痩せてきれいになった!」と思いこんでおり、そのくせまた鏡を見ては、でもまだまだ腕は太いとか、腹に肉がついているとかぐずぐずと悩んでいた。

 

 近年、「ボディ・ポジティブ」という言葉をよく耳にするようになった。とにかく痩せているのが美しいという価値観に疑問を呈し、ありのままの自分の身体を愛そうという考えかたのことである。
 単行本の発売当時、本書は『ダイエットの神様』というタイトルだった。ダイエットの神様とは、ダイエット教室を経営し、エステサロンやネイルサロンなどにも手を広げている実業家の女性のことである。しかし彼女は作中ほとんど姿を現さない。
 彼女の会社で働くことになった彼女の甥である土肥恵太と、相棒(?)の福田小百合が、ダイエット教室を退会してしまった女性たちを再入会させるというミッションを成功させるべく奮闘し、その過程でさまざまな個性豊かな女性たちと出会う。簡単にあらすじを説明すれば、そうなる。

 

 39キロ時代のわたしがもし書店でこの本を手にとり、前述のようなあらすじを知ったらば、おそらく「太っているせいでぱっとしない人生を歩んでいる女性たちが『ダイエットの神様』に出会い、痩せてきれいになった結果、輝くような幸福を得る」というような展開を期待して読んだに違いない。
 だが本書は、そのような単純な物語ではない。そもそも「痩せる」と「きれい」はイコールで結ばれているものなのか。この世に生きる人すべてが「痩せてきれいになる」を目指さなければならないのか。「痩せてきれいになる」ことで得られる幸福とはなんなのか。そうした疑問の数々を、わたしたちに提示する。

 

 ではこの作品は「ボディ・ポジティブ」の正義を謳っているのだろうか。それもまた、違うように思う。
 作中、世間の人がどれほど無邪気に無分別に他人の外見について言及するのか、ということが随所で描かれる。たとえば、恵太の内面の吐露の場面において。恵太は太っている女性の外見についての言及がじつに容赦ない。たまに「醜い」とまで言っている。ひどい。
 ある女性が同性の友人にたいして「あなたのため」とアドバイスをする場面がある。「痩せている女が太っている女に痩せろ、さもなくば舌をかんで死ね、と迫る」(p.159)くだりなどは読んでいて胸が痛くなる。なぜって、わたしも痩せていた頃は完全にこの思考パターンだったからだ。しかも「太るのは自己管理ができていないから」、「食べたいものをがまんできないのは自制心が足りないから」、「要するに怠惰」と相手の人格を否定していた。ちょっと前まで毎日ジャイアントコーンを食べていたにもかかわらず。
 他人に向けた厳しい視線は、そのまま自分自身にはねかえってくる。たまに食欲に負けて食べ過ぎた時は、罪悪感でいっぱいになった。周囲の人に「痩せすぎだよ、もっと食べなよ」と言われると、罠では? と疑った。

 

「自分が食いたいものを食う、それでいい。食べることに言い訳も罪悪感もいらないんだ」(p. 76)

 

 小百合の言葉に、殴られたような衝撃を受けた。彼女は続けて「あたしは自分の意思で食べる。その自分の選択の積み重ねで今のこの体型がある。それを認めるよ。あたしはデブ。このデブの体型は、あたしが作った。年齢でも環境のせいでもない。でもいい。それが自分の足で立つってことだよ」と語る。
 個性的なファッションで、自由な言動を繰り返す小百合は、確固たるスタイルを持つ女性のように思える。けれども彼女は、さきに引用したセリフを涙目で語っているのだ。
 この人の強さは生まれながらに備わったものではなく、なにか壮絶な格闘のすえに獲得されたものなのではないか、と読みながら思った。その答え合わせのような最終章の小百合の姿が、発する言葉のすべてが、わたしはとても好きだった。

 

 南さんの小説に登場する女性は独特の強さと潔さを持っている。そこに、長年憧れ続けている。
 強さや潔さだけではなく、弱さや偏見もひとしく描かれる。強い人と弱い人という単純な対立軸としてではなく、ひとりの人間の中にごくあたりまえに共存するものとして。
 恵太は、社会的に男性が持つべきとされているもの(地位や財産など)を持たず、恋愛経験もほとんどなく、男社会でうまく立ち回ることもできない。しかし小百合やダイエット教室の元会員の女性たちと接していくうちに、変化していく。華麗に、でもなく、驚くべきスピードで、でもなく、読んでいてこちらが「え、それはまずいんじゃない」とはらはらするような言動や内面の吐露を繰り返しつつ、行きつ戻りつしながら、ゆるやかに変化していく。だんだん応援したくなってくる。なんだかんだ言ってけっこういいやつだし。
 ダイエット教室に再入会した人も、しなかった人も、幸福になっていく。「痩せて、きれいになる」という方向性ではなく、小百合や恵太によってわかりやすく与えられた「気づき」によってでもなく、自分自身の選択の結果だというところが清々しい。

 

 ところで現在のわたしはもう39キロではない。それどころか、かつて「痩せてはいない」と言われていた頃の体重よりもっとずっと多い。
 そんなわたしに、今のままでいいよ、と言う人たちがいる。痩せなくていいよ、そのままでいいよ、ありのままの自分を愛して、と。「ボディ・ポジティブ」的な思考に即したやさしさなのかもしれない。しかしわたしに「今のままでいいよ」と寛容にも許可を与えてくださるその人たちは、いったい何様なのだろうか。
 結局は縛られる規範が「痩せていなければ美しくない」から「ありのままの自分を愛さなければならない」にすり替わっただけで、他人が定めた「正解」の構図におさまらなければならない状況は変化してない。わたしたちは、とても不自由な世界を生きている。

 

 さて、いったい、どうすればいいのか。
 単行本の発売時、帯には「心の脂肪を削いで、自信のサイズを上げる!」という言葉が書かれていた。
 心の脂肪とはなにか。過剰なコンプレックス。そこから来る、他者の外見について言及せずにはいられないチクチクした気持ち。わたしのこの「いったい、どうすればいいのか」という迷いもまた、心の脂肪なのだろう。
 わたしたちはまず、この心の脂肪の存在を認めなければならない。そのうえで、自分がほんとうはどうしたいのかを見つめ直す。痩せようが太ろうが、それを自分自身の選択として引き受けなければならないのだ。
 とはいえ、心の脂肪をゼロにすることはきっとできない。そんなことができる人間はきっとどこにもいない。ただ心の脂肪の存在を自覚しているか否かで、生きかたは大きく変わっていくはずだ。
 このさき、心がなんだか重たくなったと感じた時、わたしはきっとこの本を読み返すだろう。おそるおそる体組成計に足を乗せるようにして、ページをめくる。体脂肪率ならぬ心脂肪率を確かめるために。
 まさしくわたしの心のダイエットの神様であるこの本が、ひとりでも多くの人に届きますように。そしてみんなをすこやかに、ハッピーにしてくれますように。心からそう願っている。いや、かならずそうなると信じている。