町で見知らぬ人が自分に気づくとき、つばさちゃんだ、とたいてい役の名前で呼ばれる。インタビュー取材などで好きな映画を聞かれ、ややクラシックなタイトルを挙げると、「つばさちゃんもそういう渋いの観るんだねー」と、にこにこしてそんなふうに返される。
役のイメージと同一視されているのだ。
そうした周りの反応に、今までは何ら疑問を抱かなかった。むしろ、つばさというキャラクターに対して皆が身近な人物のように親しみを感じてくれているのだと思え、そんな役を演じられることが誇らしかった。
けれどドラマが終了した今もなお、亡霊のように、つばさは自分に付きまとう。
世間一般に聞く、子役は大成しない、というジンクスがふと脳裏に浮かんだ。
子役の多くは子供の頃の愛らしいイメージからうまく脱け出せず、年齢を重ねるにつれて仕事がなくなっていくのだという。
『クローバー』に出演していた知名度のお陰で、仕事の依頼はそれなりにあった。しかしそれらの仕事は、大なり小なりドラマのネタを振られたり、つばさとしてのイメージを求められるものがほとんどだった。
自分はいつまで、その期待に応え続けなければいけないのだろう。
つばさを演じ始めたとき、立夏はまだ十歳だった。そしてドラマが終了した現在、自分はもう成人の年齢を迎えている。……いつまでも無邪気な少女のままでなど、いられるはずがないのに。
皆の中にずっとつばさが存在し続けるなら、生身の自分は――井上立夏は、どこにいる?
かつて一世を風靡した有名人を捜索し、あの人は今どうしているのか、と追跡するようなバラエティ番組がある。元アイドル歌手や、一発ギャグの流行ったお笑い芸人などの現在の姿を紹介するものだ。
番組で捜し出された彼らの多くは、芸能界とは縁遠い世界で生きている。一般企業に勤めていたり、シングルマザーとして仕事と育児に奮闘していたり。
その生活ぶりを紹介するVTRを観ながら、スタジオにいるタレントらがコメントする。わあ、相変わらずお綺麗ですね。懐かしい、全然変わってなーい。
照明を浴びてスタジオ内でそんなことを口にする出演者らの表情には、心なしか優越感がにじんでいる気がする。自分はあの人とは違う、と。
かつての有名人は、たとえ今どんな状況にあったとしても、「消えた」「終わった」人とみなされる。まるで余生を生きているかのような扱いを受けるのだ。テレビを観ながら、そんなふうに感じてしまった自分にうっすら嫌悪を覚えた。だけどきっと、それはある意味で事実だ。
一度世に出たら、皆の知る何かになってしまったら、それを辞めてしまうことは挫折であり、世間では敗北と受け取られるのだろう。表舞台に立ってしまった人間は、その後ずっと、望みもしないツケを払わされる。
夢を叶えられなかった人間なんて世の中にはたくさんいるのに、落伍者として憐れみの目を向けられ続けるのだ。
自分がそうならないために、必要なことは明らかだった。つばさのイメージから脱却しなければならない。
日に日に、胸の内で焦りと不安は増していった。
その日は駅の近くの飲食店に入った。店内はそれなりに客が混み合っていた。隅の方の席に着き、目深に被っていた帽子を取る。
空腹だったけれど食欲はあまり湧かず、なんだか胃がむかむかした。
ぼんやりとメニューを眺めていたとき、前方から視線を感じた。
顔を上げると、オーダーを取りに来たらしい割烹着姿の中年男性と目が合った。その顔に、たちまち覚えのある表情が広がっていく。
あ、と嫌な感触を覚えた直後、「つばさちゃん?」と声をかけられた。
「つばさちゃんだよね? うわあ、本物だ」
戸惑いを浮かべる立夏を凝視したまま、人の好さそうな丸顔の中年男性が目を輝かせて喋り出す。
「『クローバー』、いつも家族で楽しく観てたよ。おじさんの子供もつばさちゃんのこと大好きでねえ、よくドラマのセリフを真似したりしてたっけ。まさかうちの店に来てくれるなんて、いや感激だなあ」
にこにこと話す彼の顔には、まるで親戚の子に会ったような親しみと、純粋に会えて嬉しいという興奮がにじんでいた。立夏に向かって、得意気に続ける。
「つばさちゃんはカツ丼が大好物なんだもんね? おじさん、知ってるよ。若い女の子なのに気持ちのいい食べっぷりだなあ、っていつも感心して観てたんだ。サービスしちゃうから、よかったらうちの自慢のカツ丼もぜひ食べていってよ」
善意百パーセントの笑顔で無邪気に口にされ、とっさに頬が引き攣りそうになるのをこらえた。ドラマの中で、つばさが好物のカツ丼を「いただきまーす!」と元気よく頬張るのは視聴者にとっておなじみのシーンだ。
彼の妻らしい中年女性が近づいてきて、慌てた様子でたしなめる。
「もう、お父さんたら! いきなりご迷惑でしょう」
それから立夏に向かって、すみません、と恐縮した表情で頭を下げた。
周囲を見渡すと、アルバイトらしき若い店員が自分たちを見ているのが視界に入った。近くの席の客も、今のやりとりで立夏に気づいたように、なにやら期待のこもった眼差しでこちらを窺っている。
考えなくても、言葉が出ていた。
「やったあ、ラッキー! おじさん、ありがとう」
屈託なく見える笑顔を浮かべて、Vサインを作ってみせる。
中年男性が厨房に向かって、「カツ丼ひとつ、特別サービス大盛りでッ」とはずんだ声を張り上げた。
駅の公衆トイレの個室でうずくまり、便器に向かってえずく。
ああ、せっかく作ってくれた料理が台無しだ。じわりと視界がにじんだ。
トイレの個室でしゃがみこみ、無様に嘔吐する自分。こんなみっともない、惨めな子はつばさじゃない。
どんな逆境にあっても、つばさは逃げない。諦めない。
ふと、視聴者の反響が大きかったドラマの回が頭をよぎった。つばさと、教室で浮いている女子生徒の友情の話だ。
悪い噂があり、周りから敬遠されているクラスメイトの和美が万引きをするところを、つばさが偶然目撃してしまう。和美を問い詰めたつばさは、彼女が複雑な家庭環境にあり、悪いグループに脅されて犯罪行為に加担させられていることを知る。
つばさは和美を説得してグループから抜けさせようとするが、それに怒った不良仲間たちにより、和美は連れ去られて暴力を受ける。和美が捕まっている場所を突き止め、彼らの隙を突いてどうにか彼女を助け出すつばさ。よろめく和美に肩を貸し、降りしきる雨の中を二人で懸命に逃げようとする。
しかし怪我をした自分を連れていては、追ってくる不良たちから逃れられないと察した和美は、つばさを危険に巻き込むことを恐れ、「置いていって」と口にする。
「……もういいよ、私を置いていって。恨まないから」
諦めと絶望を浮かべてそう呟く和美に、つばさは目を瞠った直後、唸るように云った。
「――恨むよ」
激しい雨に打たれながら、火のような眼差しでまっすぐにつばさが叫ぶ。
「アンタを置いていったら、あたしがあたしを恨む。ふざけんな……!」
ふらつきながらも「絶対、見捨てたりしない」と和美を支えて必死に前へ進もうとするつばさの姿は共感を呼び、ネット上で「神回」などと評された。
つばさちゃん格好いい、諦めずに立ち向かう姿に勇気をもらいました、といった当時の感想が脳裏に浮かぶ。
便器の前でうずくまったまま、弱々しく呟いた。ねえ、お願いだから、今の私を。
「……助けてよ、つばさ」
◇
「あの高遠凌が復帰するらしいよ。まだ噂の段階だけど、新作映画に出る役者を探してるって話」
とあるサブカルチャー映画のイベントが新宿であり、上映後に業界関係者のみで催されたささやかな交流会でのことだった。
仕事で世話になった役者がその映画に出演しているため、立夏は誘われるまま催しに参加した。そこで面識のある男性プロデューサーが、秘密めかしてそう口にしたのだ。
「あの高遠監督、が?」
立夏はまばたきをして繰り返した。
高遠凌は、業界において「鬼才」と称される映画監督だ。二十六歳で初監督した商業映画『蝶は土の中に埋まってる』は、個性の強い作風から映画ファンの間で賛否両論を巻き起こした。内容が暗い、長尺、などと一部で批判されながらも口コミでロングランヒットを記録し、国内で数々の賞を受賞したのだ。
新人の初監督作、しかも取り立てて有名な俳優が出演しているわけでもない作品としては異例の反響だった。
高遠はその後も『見知らぬ夏至に』『REN』『十月、その残滓』など質の高い話題作を発表し続け、停滞気味とされる邦画界で頭ひとつ抜けている存在となった。
独特の映像美は「高遠ワールド」と呼ばれ、その作風は繊細にして鮮烈、暴力的にして抒情的、などと評されている。高遠映画の熱烈なファンを公言する著名人も多かった。
そんな彼の代表作と云われているのが、ある男女の悲恋を描いた『夏の桜』だ。
『夏の桜』は海外の大きな賞を取り、業界の内外で高く評価された。そのときの華々しい報道のされ方は、立夏もよく覚えている。
立夏自身、映画は好きで、役者の仕事をしていることもあり意識して色々な作品を観るようにしていた。仕事で付き合いのある人が関わった映画を観に行くこともあったし、周りから勧められて観ることも多かった。
本音を云えば、映画というジャンルに対し、テレビドラマと比べて特に大きな隔たりを感じていたわけではない。しかし、初めて高遠監督の作品に触れたときの印象はあまりにも強烈だった。
映像や演出は斬新でありながら、郷愁めいた感情がいつまでも胸に残る、美しい作品。
この映画が、自分がこれまで携わってきたドラマと同じようなやり方で作られているという事実がピンと来なかった。うまく云えないけれど、自分が触れたことのない特別なもの、という感じがした。まるで別世界を覗き見ているような感覚だった。
以前、高遠の映画について、目の前の彼に話したことがあった。すごい、本気で揺さぶられる映画だった、とそのときの自分は興奮気味に語ったはずだ。たまたまそれを思い出し、話題にしたのだろう。
しかし世間から注目される中、高遠は数年前に業界から突然姿を消した。
謎の失踪を遂げた彼について、犯罪をおかして芸能界にいられなくなったらしいとか、実は異常な人物である、といった物騒な噂がまことしやかに囁かれた。
――そんな彼が業界に舞い戻り、再び新作を撮るという。
もしその映画が公開されたら、きっと少なからず世間の注目を集めるに違いない。
「それ、本当ですか?」
「詳細はわからないけど、出演者を公募するなら、立夏ちゃんの事務所にもオーディションの話が行くかもね」
その言葉に、拳をぎゅっと握りしめて立夏は呟いた。
「やってみたい……」
立夏の強い反応に、男性プロデューサーは少し困ったように付け加えた。
「でも、もしかしたら立夏ちゃんのとこは難しいかもね。マネージャーさんうるさいでしょ」
男性プロデューサーの言葉に一瞬肩を落とし、それを隠すように立夏は笑った。
その後、会場で誰とどんな話をしたかは、ほとんど覚えていない。悶々としたまま建物を出て、駅に向かって一人で歩き出した。
梅雨空の下を歩きながら、胸の内を色んな感情が巡る。いつか自分に向けられた誰かの言葉が、表情が、めまぐるしく浮かんでは沈んでいった。
(つばさちゃんだよね? うわあ、本物だ)
(つばさちゃんもそういう渋いの観るんだねー)
周りが望んでいてくれる「つばさ」でありたい、皆をがっかりさせたくない。もちろん、それは事実だ。
……だけど本当は、「つばさ」に囚われているのは、誰よりも自分自身なのかもしれない。「つばさ」から逃れたいと、脱け出したいと本気で望んでいるはずなのに、その一方で、つばさでなくなることをひどく恐れている自分がいる。
だって、つばさを失ったら、空っぽの自分に何が残るだろう? 現実の自分は、実の母親にすら捨てられた、置いていかれた人間なのに?
ずっと無我夢中でつばさを演じてきた。色んな人が、立夏の演じた明るいまっすぐな少女を好きになってくれた。
ドラマの視聴者から立夏に手紙が送られてくることもよくあった。ある手紙には、両親が共働きだという小学生の女の子からのメッセージが切々と綴られていた。忙しい両親は帰りが遅く、いつも一人きりで夕飯を取っていたけれど、『クローバー』を観ながらご飯を食べるときは岡田家の皆と一緒にいるみたいでさみしくなかった、これからもずっと大好きです、というその手紙を読んだとき、思わず胸が熱くなった。
つばさに励まされたという彼らの声に、立夏自身が励まされてきた。
結局、自分は今まで作り上げてきた「つばさ」が大切なのだ。そんなのは当たり前だった。
――怖くて、誰にも云えなかったことがある。心の奥底に、ずっと横たわり続ける恐れが。
自分は、本当は役者ではないのではないか?
幼い頃、狭くて暗いアパートの部屋で、いつもぬいぐるみを相手に家族ごっこをしながら一人ぼっちで母を待っていた。もしかしたら自分は役者として仕事をしていたのではなく、あのときと同じように、温かい家族ごっこをただ楽しくしていただけなのではないか……?
これから先、プロの役者として「つばさ」と同じように、もしくはそれ以上に役を演じることなどできるのだろうか。
このまま「つばさ」を乗り越えられなければ、そう遠くないうちに自分は潰れる。
役者として成長したい気持ちと同時に、これまで大切に育ててきたキャラクター像を否定することに対しての、葛藤があった。
蒸し暑い空気の中、足が止まった。動き出せないまま、うつむいてじっと立ち尽くす。一分……二分。
しばらくして、立夏は顔を上げた。これは自分にとって大きな賭けだ。……確かめたい。自分は偽物なのか。はたして本物になれるのかどうかを。
どうか今だけ、諦めずに前へ進むつばさの勇気を、貸して欲しい。
深く、大きく、息を吸い込む。
それからおもむろにスマホを取り出し、立夏は電話のアイコンをタップした。
この続きは、書籍にてお楽しみください