遺 書〈前〉
 子どもなんてみんな、試験管で作ればいい。
 選ばれた人間の卵子と精子で、優秀な人間だけを作ればいい。
 それがムリなら、生まれた子どもは全員、国の施設か何かに収容されて、成人するまでそこで育てられればいい。
 同じ服、同じ食事、同じ部屋、同じ教育、同じ保護者……。みんな平等な環境を与えられて。
 そのなかで、努力と才能が足りなくて、落ちこぼれてバカにされたり、性格が歪んで迫害されるのなら、仕方がない。
 勉強もスポーツも、見えないところで努力した。本もたくさん読んだし、音楽もたくさん聴いたし、ファッション誌もチェックした。だからといって、それを誇示したりはしなかった。
 選択肢が限られている田舎町で、自分に妥協しない高い水準をキープするのは難しい。でも、毎日努力を重ねてここまで生きてきた。
 迫害されるようになってからも、努力は怠らなかった。
 自殺は敗北宣言だ。そんな恥ずかしいこと、絶対にするもんか。そう自分に言い聞かせながら、卑屈になることなく、前向きに耐えてきたつもりだ。
 こんなことになったのは、自分のせいではないのだから、いつか必ず解放される。
 ──そう信じて。


序 章
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 イミ、わかんない。
 自殺する前はみんな、こんなこむずかしい遺書を、ブログに書かなきゃいけないのかな。あたしなら、どんなに死にたくなっても、この作業が面倒で、どうにか生きていけそうな気がする。
 書くのと一緒で、読むのも苦手。たとえ、同じクラスの子の遺書であっても。
 彼女は昨日、自殺した。自宅の風呂場で手首を切って。
 親友ってわけじゃないけど、けっこう仲は良かったほうで、修学旅行はおそろいのバッグを持って、ディズニーランドでミッキーと一緒に写真を撮ろうとか、文化祭で一緒に何かおもしろいことをしようとか、言ってたのに。
 まあ、あんなことがあったんだから、しょうがないとは思うけど……。
 彼女は、顔はきれいだったし、頭もよかったし、走るのも速かったし、スカートの折り目もきれいだったし、何よりも、ちゃんと自分を持ってる子だった。
 学校裏サイトに悪口を書き込まれても、匿名でしか発言できないバカなんてほっておけ、って無視するような子だと思ってた。メールで「死ね」とか送られてきても、その場で削除して、何事もなかったみたいに振るまえる子だと思ってた。体操服を汚されても、洗濯すればいい、って開き直れる子だと思ってた。
 仲が良かったはずなのに、彼女をほっておいたのは、彼女が「死」というものを悟っているって知ってたから。
 死とは何かを知っている彼女が、まさか簡単に死を選ぶなんて思ってもいなかった。
 担任の先生から、死ぬ前に何か相談を受けませんでしたか? って訊かれたけど、そんなものはなかったし、彼女ならクラスの誰にもそんなことはしてないはずだ。
 死ぬほど追いつめられるようなことを一番打ち明けたくないのは、同じ集団に属している人たちで、なかでも、友だちっていうことを、大人は知らないのかな。
 でも、本当に、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
 あたしの親友も、きっと今頃そう思ってるはず──。


第一章

七月十七日(金)

 不快地獄。
 公立の女子校とはいえ、職員室と学食以外エアコンが設置されていない、というのは健康的にどうなのだろう。全校生徒三百六十人が集まり、厚いカーテンで閉ざされた体育館内は、まるでサウナだ。おまけにいろいろなデオドラントが混ざり、公衆トイレに置かれている業務用の芳香剤のような臭いが充満している。
 これから二時間、こんなところに座っていなければならないとは、最悪だ。
 夏休みまで、週末をはさんであと二日。
 午前中だけのくだらない行事を続けるくらいなら、さっさと休みにすればいいのに。一年生のときは、こんなものかと思っていたが、二年生になると、徒歩三十分の道のりを登校するのもバカバカしい。
 だが、昨日よりはマシだ。炎天下のグラウンドで、クラス対抗ソフトボール大会だった。
 熱中症患者続出で、養護の先生まで倒れてしまい、救護係だったわたしは仕方なく、日陰で横になっている子たちの顔に、応急処置として氷水に浸したベショベショのタオルを被せていくと……。
 殺す気か! 寝たきり老人か! 鬼嫁か!
 苦情が続出した。しかし、この方法では簡単に殺せないことは、すでに実証済みだった。
 今日は、人権映画鑑賞会だ。
 こんな不快な思いをしてまで観る価値のある映画など、あるのだろうか。
 タイトルは『マイ・フレンド・フォーエバー』。主人公二人の少年の吹き替えをしているのは、ジャニーズの人気アイドル二人組で、その内容は──。

 母子家庭の少年。彼の家の隣に、HIVに冒された少年が引っ越してきた。感染するという偏見のため、みなが彼を避けている。しかし二人の少年は、次第に心を通い合わせていく。

 開始から二十分も経たないというのに、もう、はなをすすりあげている子たちがいる。まだ泣くような場面ではない。みな、病気の少年が死ぬことを前提に観ているのだ。だから、楽しい場面でも泣けてくる。そろそろくる頃だ。
 後ろから、来た。
 ズズズズズ……。洟を無理やり大袈裟にすすりあげる、コントのような音。
 あつだ。
 誕生日にあげた一枚二千円もする『リズ』のハンカチで、目頭と鼻を交互に押さえている。こんなことに使うとは、もったいない。
 昔は『ごんぎつね』や『泣いた赤おに』でも泣かなかったくせに。いや、泣きまねなんかするような子ではなかったくせに。

 小学一年生から通い始めた剣道教室『黎明会れいめいかい』には、少し変わった子がいた。背が高いくせに小心者で、先生に大きな声で怒鳴られるたびに、防具をつけたまま逃げ出す子。そのため、一番に名前を憶えた。
 くさ敦子。
 お互いの家が近いことがわかってからは、一緒に通うようになったものの、帰りが一緒になったことはあまりない。荷物を届けたことは、よくある。それなのに、一年も経つと敦子は、どんな大会に出ても必ず、トロフィーや賞状をもらって帰ってくるようになった。
 わたしの方が何倍もまじめに練習していたはずなのに、小学五年生の途中でやめるまで、敦子に勝てたことは一度もない。
 運動神経が特にいいというわけではないが、瞬発力と反射神経がやたらとよく、間合いの外、相手が一歩踏み込んでも届かない距離から、長い足で跳び込んで面を打つ、というのが敦子の得意技だった。
 自分が打たれるのは悔しかったが、団体戦のときなどは、敦子が「跳んだ」と思った瞬間、勝ちを確信することができ、一緒に跳んだような気になれた。
 勝利の跳躍、道場の先生はそんなふうに言っていた。その跳躍により、小さな大会だったが、敦子が全国優勝を果たしたのは、小学六年生のときだ。
 しかし……。
 中学三年生の夏、県大会の決勝、敦子は跳んだと同時に足をひねった、らしい。
 その試合をわたしは見に行っていないので、どんなふうだったのかはわからない。
 敦子はそれ以来、剣道をやめた。跳ぶことも、走ることも、思いきり体を動かすことすべてをやめた。
 スポーツ推薦で決まりかけていた、隣の市にある文武両道の名門私立校、黎明館高校も断った。
 後遺症が残るほどの怪我ではなかったはずなのに。
 入ったのは、伝統と礼節を重んじるたいして優秀でない女子校、さくらがわ高校だ。
 入学式の日、創設時からほとんどデザインが変わらない、ダサいセーラー服のえんじ色のリボンをいじりながら、こんな制服着たくなかった、と悲劇のヒロインのように嘆いていた敦子は、隣で同じ制服をわたしが着ていることなど、見えていなかったに違いない。
「いいでしょ。セーラー服なんて、今しか着れないんだから」となぐさめてはみた。
由紀ゆきはいいよ。桜川高のさくら由紀です、なんて縁起も良さそうだし。でも、あたしは……。由紀にあたしの気持ちなんてわかるはずないじゃん」
 敦子はわたしから目をそらしたまま、そう言った。
 わかるはずないじゃん。
 何をわかって欲しいのだろう。
 足なんかどこも悪くないくせに、体育の授業を休むということを? 些細なことで、過呼吸を起こしてしまうということを? 教室移動も、トイレに行くのも、弁当を食べるのも、一人でできないということを?
 敦子は孤独で不安だということを?
 そんなこと、わたしがわかったところで、どうなるというのだろう。
 スクリーンでは、少年たちが死を乗り越えることに必死になっている──。

 ある日、遠い町で難病の特効薬が発見されたというニュースが流れ、それを求めて二人は旅に出る。しかし、それはガセネタだった。失意のまま家に帰る少年たち。そして、ついに死の瞬間が訪れる。親友に別れの言葉を告げ、静かに目を閉じる少年。

 クライマックスを迎え、館内の洟をすすりあげる音も泣き声も最高潮に達している。
 バフーン! ううううぅ……。
 盛大に洟をかむ音と、芝居がかった泣き声が、体育館中に響き渡った。敦子が『リズ』のハンカチで洟をかみ、校門前で配られた予備校のティッシュで涙をぬぐっている。
 逆だし、今日は一段と、やりすぎだ。
 クラスの子から迫害されることを恐れ、周囲に同調することに必死な敦子。大袈裟な動作で、逆に浮いてしまっていることにも気づかないくらいに。
 スクリーンに目を戻すと、少年が川で靴を流していた──。

 約束の儀式を果たした少年。死がもたらすものは別れであっても、友情の終わりではない。死をもって、二人の友情は永遠となった。

 感動的な話だとは思うが、涙は出てこない。所詮、他人の作り話なのだから。きれいな顔をしたあの少年たちは、誰かが創作した役を演じ、お疲れ様、とロケ弁当をもらい、お互い口もきかずに帰ったはずだ。
 なのに、みな、「感動コンテスト」といわんばかりにハンカチを広げ、涙をぬぐっている。ふきんを片手に韓流ドラマで号泣しているおばさんを、思いきり軽蔑しているくせに、同じではないか。
 バカじゃないの?
 永遠の友情など、現実にあるはずがないのに。まったく同じ人生を歩む、などありえないから、いつか別れがやってくるし、大切な人の順位も変わってくる。
 流れてもいない涙をぬぐっている姿を見ると、それに気づくことなど永遠に無理なのではないかと思えてしまう。
 ねえ、敦子。

 

『少女』は全2回で連日公開予定