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「白瀬と藪野だ」
 鹿倉は迷うことなく言い切った。
「なぜです?」
 瀧川の目尻が吊り上がる。
「彼らは作業班全体を知る立場にない。もし情報が漏れても限定的だ。が、今村はそうではない。彼の口を割られれば、作業班員の多くの素性、行動が敵に知られる。そうなれば、活動自体ができなくなる」
 鹿倉の話は冷淡ながら、筋は通っている。
 しかし、白瀬と藪野を切り捨てるという発言は看過しがたい。
「今すぐ、白瀬さんと藪野さんを引き上げさせてください。そして、代わりの者を」
「それは難しい。彼らは今村に次ぐ我が部のエースだ。その二人をもってしても、まるで手掛かりがつかめないとなると、他の作業班員では心許ない。むしろ、中途半端な力量の班員に潜入させると、その者たちの身にたちまち危険が及ぶだろう。それなりの修羅場を潜ってきた者にしか任せられない」
 鹿倉は言い、瀧川を正視した。
 鹿倉の言いたいことは理解した。
 つまり、瀧川に白瀬たちと代わって潜入しろということだ。
 だが、受けるわけにはいかない。
 ようやく、念願の少年課に異動した。新しい家族もできた。すべてを捨てるような仕事はできない。
 瀧川が任務を受けず、白瀬や藪野を引かせないなら、舟田を通じて、上に通してもらえばいい。今村の件は気になるものの、自ら消息を絶って、他の者を内部に送り込もうとしている可能性もある。今村なら、そのくらいの画策はする。
 鹿倉から、今村が死んだとか、危険な状況にあるという言葉は出てきていない。実情がつかめていないということだ。
 そんなあやふやな現場に飛び込むことはできない。
 瀧川は席を立とうと腰を浮かせた。一言断わって、そのまま出て行くつもりだった。
 と、いきなり鹿倉が立ち上がった。椅子の脇に出ると、突然正座した。
「瀧川君! 君しかいない。頼む!」
 土下座をする。
 またまた予想外の行動に出られ、瀧川は再び動揺した。
「君なら、誰も切り捨てることなく、この難局を乗り切ってくれる。私とて、部員を誰一人失いたくはない。この通りだ」
 鹿倉は額を床にこすりつけた。
 古典的な情に訴える手口だが、まさか、鹿倉のような冷酷無比なエリートが、額をこすりつけるまでの土下座をするとは想像すらできなかった。
 しかし、誰一人失いたくはないという台詞は、鹿倉の本音かもしれないと思うと、言葉がグッと胸に突き刺さった。
 鹿倉は頭を上げない。このまま出て行くこともできる。
 が……。
「顔を上げてください」
 瀧川は言った。
「では──」
 鹿倉が顔を起こす。
「引き受けます」
「ありがとう!」
 鹿倉は笑顔を滲ませた。ほくそ笑むというより、安堵したという感じの笑みだった。
 これほど人間らしい表情を覗かせた鹿倉は、ただの一度も見たことがない。
 これもまた、鹿倉の本当の姿なのか。はたまた、これすらも演技なのか……。
「ただし、危険だと判断した場合は、自己判断で離脱します。それが条件です」
「わかっている。君も大事な一人だ。自分の身の安全を第一に考え、行動してくれ」
 鹿倉は立ち上がった。裾に付いた埃を払う。
「少年課には話を通しておく。資料は三階フロアの第三会議室に置いておくので、確認してもらいたい」
 そう言い、鹿倉はテーブルに歩み寄った。
 テーブルに載せた瀧川の右手を強引に取り、両手で包んだ。
「今村を頼む」
 強く握りしめる。その手は温かい。
 この温もりを信じていいのか……。
 瀧川は迷いつつも、鹿倉の手を握り返した。

 

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