エッセイ お祝いが身にあまり。
エッセイで書くことがなくなったから、ショートショートを書かせてほしい……なんてことを少し前に言っていたのに、絶対にエッセイで書かなければいけないことが、ニュースで報じられてしまいました。
すでに報道でご存じの方も多いと思いますが、このたび、私ミワ子は結婚しました。相手は俳優の早見怜司さんです。
書くことがないというのは、実はこの一件が進んでいたせいでもありまして、正確には「身の回りで起きていることを本当は書きたいけど、書くわけにはいかないことばかり」という感じでした。お付き合いしている男性がいると書くだけで、相手の事務所にまでご迷惑をかける可能性が考えられたので、どうかご理解ください。
早見怜司さんは、芸人の私がドラマに出させてもらった時の共演者で、慣れない現場で右も左も分からない私に優しくしてくれて、それからちょくちょく会うようになって、デートするようになって付き合うようになって、後で聞いたら、ドラマの撮影の段階でもう彼が私に好意を持っていたとかで……なんて、これ以上書いてもノロケになってしまうので、これぐらいにしておきましょう。人のノロケ話なんて聞きたくもないわっ、という方の気持ちはよく分かります。私自身そういう人間なので。
ご存じの通り、早見怜司さんは昔、多少スキャンダルもあった人なので、私も最初は正直、多少の警戒心がありました。早見怜司の坊主頭が記憶に新しい、という方もいると思います。でも、実際に接してみればすごく親しみやすく、気付けば交際期間四ヶ月ちょっとのスピード婚をしてしまいました。
ありがたいことに、結婚の発表以来、お祝いをいただく機会が多いです。発表直後は、テレビ局に行くたびに先輩芸人さんの誰かしらからご祝儀をいただいていたほどでした。それも大物MC芸人さんともなると、私の数年前までの月収ほどの金額をポンと渡してくださる方もいたので、まさに身にあまる光栄でした。
ただ、これまた芸能界特有の慣習なのか、あるいは一般の方でも結構経験されているのか分かりませんが、お祝い返しというのが、なかなか難しいのです。
結婚祝いのお金をくださった先輩芸人さんの所属事務所に、後日お礼の品を「〇〇様」とお送りするのが、芸能界でのお祝い返しの習慣となっています。お祝いを渡してくれる段階で「お返しなんていらないよ」と言ってくださる方が多いのですが、実はその中には、A「本当にお返しなんていらない先輩」と、B「お返しなんていらないと口では言うけど、本当にお返しを送らなかったら後で怒る先輩」がいらっしゃるのです。この見極めがなかなか大変なのです。
さらに言うと、A「本当にお返しなんていらない先輩」の中にも、それでもお返しを送った場合に、A1「ありがとう、と快く受け取ってくれる先輩」と、A2「いらないって言っただろっ、とマジギレに近い感じで怒る先輩」がいらっしゃるのです。
誤解があってはいけないのできちんと言っておきますが、これは私の実体験というわけではありません。この連載原稿を書いている時点で、お祝い返しを発送したばかりという段階です。ただ、こういった経験談を、同世代の既婚の芸人仲間数人から聞いたので、今からびくびくしているのです。(一応、Bタイプの先輩対策として、いらないとおっしゃった方を含めて全員にお祝い返しは発送しました。)ちなみに、夫の怜司さんに聞いたところ、やはり俳優界でも、こういうしきたりがあって神経を使うとのことでした。
そこで、私から芸能界全体への提案なのですが、結婚のお祝い返しに関して、各事務所の芸歴十年以上の所属タレントに聞き取り調査を行い、
A1「お返しなんていらないと口では言うけど、送ったら受け取ってくれる」タイプ
A2「お返しなんていらないと言うし、それでもお返しを送ったら怒る」タイプ
B「お返しなんていらないと言うけど、本当にお返しがなかったら怒る」タイプ
の三パターンに分類し、そのリストを全事務所で共有しておく、というのはいかがでしょうか。そして、各々の事務所の所属タレントが結婚し、現場で先輩からご祝儀をもらったら、そのリストに基づいて、お祝い返しの対応をするのです。
聞き取り調査とリスト作成は面倒な作業ではありますが、結婚する芸能人は、各事務所につき毎年何人も、大きな事務所なら何十人も生まれ続けるわけですから、一度リストを作っておけば、タレントもマネージャーも後々すごく楽だと思うのです。
ただ、たぶん誰か一人ぐらい、うっかり間違って登録されちゃうと思うので、しばらくは後輩の結婚のたびに、やたらカリカリするベテラン芸能人が出てきてしまうと思います。でも、そんなアクシデントさえ乗り越えれば、タレントのご祝儀&お返し問題が全て解決するのです。芸能界のえらい人、ぜひご検討のほどよろしくお願いします。
エッセイ 夫婦というもの
結婚に伴って、引っ越しをしました。夫がすでに立派な家を持っていたので、私が転がり込む形での結婚です。
引っ越しの結果、私は、芸だけじゃご飯を食べられない若手芸人が多く住む街から、本物の芸能人が多く住む街へと移り住みました。
結婚前に住んでいた街では、家の近所を歩いていてばったり出会う芸能人が、ほぼテレビに出たことがない若手芸人ばっかりだったのですが(例 正岡チキン、チョモランマヒロシ、すね毛熱帯雨林たつや……など他にもいましたが、何人挙げたところで読者の皆様にとっては奇怪な言葉の羅列になってしまうのでこの辺にしておきます)、今は家の近くで、超有名な俳優や歌手の方などをちょくちょく見かけるようになりました。さすがに許可なく実名を挙げることはできませんが、街全体がテレビ局や撮影スタジオなのではないかと錯覚するほどです。
さらに、夫は別荘も持っています。といっても、軽井沢などのような別荘地ではなく、千葉の田舎なのですが、古くからの知人が手放そうとしていた物件を、お手頃価格で譲ってもらったのだそうです。
それにしても、一流芸能人だらけの街に住み、別荘まであるだなんて、私もとうとうセレブの仲間入りをしてしまいました。
そんな街の、ご近所の住人の中でも特に親しいのが、女優の東山桃子さんです。ドラマに映画にCMに大活躍の女優さんとご近所同士になるなんて、ほんの数年前まで考えられなかったことです。
実は東山桃子さんは、私たち夫婦にとって、結婚前からの共通の友人なのです。私は、同い年の桃子さんとバラエティ番組で共演して以来、桃子さんたち女優チームと私たち女芸人チームが集まった女子会で一緒に飲んだことが何度もあり、夫もまた、桃子さんとはドラマや映画で何度も共演していて、気軽に会える仲だったのだそうです。だから、私と早見怜司さんが付き合っていることを知った時には、逆に桃子さんの方が「まさか友達同士が付き合ってたなんて!」と驚いていました。
そんな東山桃子さんとは、結婚の前も後も、時々私たち夫婦と三人で遊びに行ったりしています。三人で脱出ゲームに行ったこともあります。残念なのは、夫と桃子さんは脱出センスが絶望的にないことです。脱出ゲームを二人に教わった私が、今や中心となって謎を解いています。というか、私が加わるまで、二人は脱出ゲームで制限時間内に脱出できたことがほぼなかったそうです。普通はその時点で「脱出ゲームなんて面白くないね」となりそうなものですが、好きではあり続けたようです。二人とも前世が脱獄囚だったのかもしれません。
――と、このように、少し前まで売れない若手芸人の巣窟のような街に住んでいた私が、今や夫も友達も一流俳優なのです。これぞ芸能人です。私こそが真のセレブといっても過言ではないでしょう。
そんな私が引っ越してきた結果、早見家の台所では現在、段ボールのテーブルが使われています。
夫は料理をしない人で、結婚前は台所を使うこともあまりなかったようですが、そこに料理をする私が引っ越してきて、私の台所用品を引っ越し屋さんにキッチンまで運んでもらって、とりあえずそこで料理をすることになりました。料理をするにあたって、食材や調味料を置いたり、料理を盛りつけるのに使うテーブルが欲しかったのですが、早見家にちょうどいいものがなく、とりあえず私の荷物が入っていた引っ越し用の段ボールをガムテープで貼り合わせ、上に天板として畳んだ段ボールを載せ、ちょうどいい大きさの即席テーブルを作り、それを使いました。
すると、台所用テーブルはそれで十分だということが分かったのです。食事用のダイニングテーブルは別にあるので、台所のテーブルはただ物を置く台として存在していればいいし、段ボールなら食材や調味料を載せても重さに全然耐えられます。それどころか、普通のテーブルだったら、少し動かしたい時にもわざわざ持ち上げなければいけませんが、段ボールテーブルは足で蹴って動かせます。むしろ軽くて便利。そして、なんといっても無料。百円ショップで買ったテーブルクロスを上に掛ければ、もう台所用テーブルとして何一つ不足はありません。
というわけで、我が家では今後も、段ボールテーブルを家具として使い続けることが決定しました。庶民のみなさん、これがセレブ芸能人夫婦です。真のセレブは、家具が段ボールでできているのです。
――と、こんな感じで、今後も早見怜司ファンに殺されない程度に、ノロケエピソードなども出していければと思います。とはいえ、大人の事情で言えないことも色々あるので、次回またショートショートを書いていたら、大人の事情だったんだな~と察してください。
ショートショート 巨人現る東京山手
俺は、だいだらぼっち。
でえだらぼっちとか大入道とか、色々な呼ばれ方をするが、要するに巨人だ。
俺は長らく、海底で眠っていた。俺は水の中でも呼吸ができるし、少し長めに眠ろうと思えば何百年も眠れるのだ。で、久しぶりに目が覚めて、ふと気が向いたので、何百年かぶりに近くの陸地に上陸してみた。
この辺はたしか、昔はムサシとかエドとか呼ばれていたはずだ。だが、しばらく見ないうちに、里の様子はえらく変わっていた。
昔は俺より背の高い建物なんて一つもなかったのに、今は俺でも見上げるほど高い塔がいくつも建っている。それに、地面が石でも土でもない硬いもので覆われ、それが強い日差しを浴びてとても熱くなっている。しかもその上には、人間たちの色とりどりの乗り物が、驚くような速さで行き来している。その乗り物には四つの車輪がついていて、牛や馬に引かれているわけでもないのに、なぜか高速で動いているのだ。
海沿いから、小高くなった丘の方まで歩いてみたが、かつての自然を残しているような場所はほとんどなくなっていた。米を作る田んぼや、野菜を作る畑さえまったく見られない。見たところ、人間の数も昔より相当増えているようだが、田畑がないのにいったい何を食べているのだろう。
そんな人間たちの様子が、これまた昔と比べて大きく変わっていた。
昔の人間たちは、俺を見るとすぐ一目散に逃げ、遠くの物陰から心配そうにこちらを見つめていたものだった。ところが今の人間たちは、「ヤバイヤバイ」などと騒いで逃げながらも、手に持った小さな板をこちらに掲げ、「コレゼッタイバズルヨ」などと、どこか楽しそうに言い合っている。昔よりも恐怖心がだいぶ薄れているようだ。
まあ、昔と比べて里も人も様子が変わったとはいえ、俺もせっかく陸に上がってきた以上、何か仕事をして帰ろうと思う。
俺は昔、陸に上がるたびに、山を動かしたり、穴を掘ったりした。もちろんそれは、ただ悪戯でやっていたわけではない。人里が山の近くまで広がって、もし今山崩れが起きたら大きな被害が出るな、と思ったら山を適当な場所に動かし、ここに井戸があればみんなの暮らしが楽になるな、と思ったら穴を掘ってやった。そんな仕事の後はいつも、人間たちから感謝されたものだった。
今、この里は問題だらけだ。海からの風がたくさんの高い塔に遮られ、しかも地面がやたら熱を蓄える硬いもので覆われているので、この季節は暑くて仕方ない。まずは高い塔をいくつか引き抜いて移動させ、風通しを改善し、次に地面を剥がして土を露出させよう。そうすれば人間たちはもう少し快適に過ごせるはずだ。
ところが、塔を地面から引き抜こうとしても、びくともしない。よほど地中深くまで埋め込まれているようだ。しかも人間たちは、俺が仕事に取りかかったのを見て、感謝するどころか泣き叫び、怒り出した。塔の中の人間たちも安全に運ぼうとしているのに、彼らは大慌てで塔から飛び出すものだから、かえって踏んでしまいそうで危ない。
と、彼方から、車輪のついた乗り物の大群がやってきた。さらに、鳥にしては異様に大きな物が、どういう仕組みか分からないが、翼を動かさずにいくつも飛んできた。人間たちが「ジエータイだ」「ベーグンだ」と口々に言った。その奇妙な物の群れは、俺に近付くと轟音と煙を次々に発した。
胸がちくりと痛んだ。見ると驚いたことに、俺の胸に小さな傷がつき、血が出ていた。さらに何十発もの轟音が上がり、俺に一斉に攻撃が加えられた。
俺の全身に、無数の傷痕ができた。一発一発はそれほど痛くはないが、このまま攻撃を浴び続ければ傷だらけになってしまう。俺は驚き、戸惑いながら、ジエータイやベーグンとやらに背を向けて逃げ出した。しかし、逃げる俺の背中に、なおも執拗に攻撃が加えられる。人間たちも、「やれ、もっとやれ」とはやし立てる。俺は、逃げる人間を追いかけていじめたことなんて、一度だってないのに。
慌てて逃げたものだから、俺は塔の角に、足の小指を思い切りぶつけてしまった。激痛にうずくまる俺。すると、人間たちから大きな笑い声が起きた。拍手まで起きている。しかもその間も、ジエータイやベーグンの攻撃はやまない。
俺は思った――。昔に比べて建物はこんなに大きくなったのに、人間たちの心は、なんと小さくなってしまったのだろう。
「逆転ミワ子」は全4回で連日公開予定