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ショートショート 鬼店主の居る間

「はい、はくラーメンお待ち」
 節くれ立った手で、『麺どころ白眉』の初老の店主がラーメンを出す。カウンターに座る若い男性客は、そのどんぶりを両手で受け取ろうとする。
 その瞬間、店主の怒号が飛んだ。
「どんぶり取んな。火傷するぞ!」
「す、すいません……」若者がびくっと震えて謝る。
「こっちが置くのを待て」
 店主はぶっきらぼうに言って、どんぶりを若者の前に置いた。周りから、へっというため息のような冷笑が起こる。ほぼ満席の店内は、この若者以外みな常連客だった。
 もしかしてこいつ、ここが知る人ぞ知る頑固店主の名店だと知らずに、飛び込みで来たのか。だとしたら厄介だな。これ以上店主の気に障ることをしなければいいけど――。そんな常連客たちの懸念は、あまりにも早く現実となった。
「カシャッ」という音が響いた。若者が、スマホでラーメンの写真を撮り始めたのだ。
 当然のごとく、店主の怒号が響いた。
「馬鹿野郎! 写真なんか撮ってんじゃねえ!」
「あ、す、すいません……」若者はまた、びくっと震えて謝った。
「食い物なんだから食え。写真なんか撮ってどうすんだ」
 店主は吐き捨てるように言った。今やSNSで拡散してもらうために、写真を撮る客をむしろ歓迎する店も増えているが、この頑固店主は断固として許さない。もちろん、常連客たちはみな、そのルールも心得ている。
 若者は肩をすぼめ、頬を紅潮させながら割り箸を割ると、すごい勢いで麺をすすり始めた。ネギもチャーシューも煮卵も、まるで大食いバトルのようなスピードでしやくしていく。立て続けに怒鳴られた気まずさで、少しでも早く店を出たいのだということは、周りの客たちにも察しがついた。
 その様子を見た店主が、失笑気味に言った。
「もう少しゆっくり食えねえか。せっかくこだわって作ってるんだからよお」
 常連客たちから、今度ははっきりと笑い声が起きた。
「す、すいません……」若者はもう涙目だ。
 常連客たちは、いくらか同情もしていた。味は確かだが、店主が相当頑固なこの店に、知らずにうっかり入ってしまったのは不運だったな。せっかく美味いラーメンの味も、これじゃよく分かってないかもな――。
 しかし、そんな周囲の同情も、若者はすぐにかき消してしまった。
 彼は、傍らのお冷やを、ざぶんとスープに投入したのだ。
 各々おのおの、自分のラーメンと向き合いながらも、横目で彼の様子を見ていた常連客たち。その目が一斉に点になった。そしてみな一様に、若者から店主へと、おそるおそる視線を移していった。
 店主の顔は、完全に鬼と化していた。
「おい、お前今、何した?」
 店主の怒りに満ちた低い声に、若者はびくっと顔を上げ、か細い声で返した。
「あ、あの、ちょっとスープが熱かったんで、お水を入れたんですけど……」
「帰れ」
「……はい?」
「お代はいらねえから帰れっつってんだ! 二度と来んな!」
 店主の怒りが爆発した。この展開を予想できていた常連客たちでさえ、思わずびくつくほど大きな怒鳴り声に、若者は泣き顔でぴょんと席を立った。
「す、すいませんでした!」
 情けなく声を裏返し、若者はだつのごとく店を出て行った。
 緊迫していた店内は、すぐ安堵に包まれた。店主と常連客だけの店内において、迷惑なトラブルメーカーは、怒りっぽい店主ではなく、部外者の若者に他ならなかった。
「あんな馬鹿も珍しいねえ」
 常連客の中でも最古参の、店主と同年代の白髪の男が言った。
「どうも最近、ああいうのが増えてるんだよ」店主がため息をつく。
「ラーメンの写真撮って、せっかくの美味いラーメンを早食いして、しまいには最高のスープに水入れるって、ありゃ大将じゃなくても怒るよ」白髪の客は苦笑した。
「まったく、近頃の若い奴らってのは、本当に馬鹿になってるのかね」
「あ~あ、日本もお先真っ暗だよ」
 そんな会話を、他の客もみなうなずきながら聞いていた。愚かな若者を見下して笑う優越感が、どの客の顔にも浮かんでいた。

《八割方食べてからの「お代はいらないから帰れ」いただきました! チャレンジ大成功です!》
 そんな見出しの後、若者は『麺どころ白眉』のレビューを書き込んでいく。
《ラーメン自体は十点満点で八点。メンタル強めの人なら店主を怒らせながらでも堪能できるほどの美味かと思います。今日の僕は、ラーメン屋のマナーを全然知らない若者
という設定で、「出された熱いどんぶりを手で受け取る」→「無断でラーメンを撮影」で二回注意を受けてからの、「ちゃんと味わってないように見える早食い」→「ほぼ食べきってから、スープが熱いと言ってお冷やを注入」でとどめを刺し、見事に「お代はいらないから帰れ!」の獲得に成功しました。ただ、過去のレビューを見ると、しっかりお代を取られた人もいるようなので、毎回成功するとは限らないと思います。今日はほぼ常連客のみで満席だったので、失礼な客を追い出しながらお代をきっちり取ってるのを見られるのは、店主的に恥ずかしかったのかもしれません。合法タダ飯チャレンジは、「鬼の居ぬ間」ならぬ「鬼店主の居る間」で、かつ常連客が多めの平日夜八時台が狙い目かも。とりあえず僕的には、ここは文句なしの三つ星店です――》
 若者はアパートの自室で、スマホを右手に持ち、満たされた腹を左手でさすりながら、『タダメシュランガイド ―合法無銭飲食可能店紹介サイト―』というウェブサイトに、レビューをすらすらと書き込んでいった。

ショートショート 大人が注意できずに
「ママ、ママ、すごいよ! お花がいっぱい!」
 その男の子は、周囲の人混みをよそに、大声を上げて式場を駆け回っていた。
「わあ、ハゲだ! ハゲハゲハゲ!」
 男の子はお坊さんを見つけると、さらに耳障りな大声ではやし立てた。
「まったくもう……」
 私は嘆息した。人前で騒ぐ子供は昔からいた。ただ、今は大人がそれを注意できないから問題なのだ。
「ねえ坊や、おばさんとあっちでお話しようか」
 私は男の子に近付き、そっと耳元でささやいた。こんな優しい口調で言うのは、もちろん今が仕事中だからだ。本当なら大声で怒鳴りつけてやりたいところだ。
 男の子を式場の隅っこに連れて行くと、彼はさっそく私を質問攻めにした。
「ねえおばちゃん、なんでみんなシ~ンとしてるの? なんでみんな泣いてるの?」
「それはね、今お葬式をやってるからだよ」
「じゃあさ、なんでママも泣いてるの?」
「君のママの、大事な人が死んじゃったんだ」
「ふうん……」
 男の子は、いまいち腑に落ちない様子でうなずくと、祭壇の一番上を指差した。
「じゃあさ……なんであそこに、ぼくの写真が飾ってあるの?」
 私はため息をつくと、低い声で答えた。
「君は、死んじゃったんだよ」
「うっそだ~」
「本当だよ。今ここで行われているのは、君のお葬式なんだよ」
 私が冷静に言うと、男の子のそれまでの笑顔が、みるみる泣き顔に変わっていった。
「嘘だ……嘘だ嘘だ! ぼく死んでないもん!」
「いい加減に現実を受け入れなさい!」私は諭した。
「うわああああん!」
 彼は泣いて暴れ出し、白菊の入った花瓶をなぎ倒した。参列者たちがざわつく。
 まったく、昔はこうなる前に先祖の霊が収めにきたのに、今の大人の霊は、新入りの子供の霊も注意できないんだから――。私は再びため息をついた。
 業界内では常識だが、だいたいどの葬儀社も、霊感が強く、霊の姿が見える社員を一人は雇っている。私は、この葬儀社の創業以来三代目の「見える社員」だ。自らの死に納得できない故人の霊が、式場で暴れるのを防ぐのも「見える社員」の仕事だ。
 ただ、子供の霊は本当に厄介だ。大人と違って話が通じないし、いったん暴れ出すと手がつけられないのだ。
 こうなったら力ずくだ。会社に代々伝わる、強い霊気を帯びた銀色のじゆを霊に向けて掲げ、秘伝の呪文を唱えるのだ。霊は数珠を掲げた途端に動けなくなり、呪文を唱えると、人間でいうところの気絶状態になる。
 しかし、社員用のバッグを探ってみても、銀色の数珠がなかった。ああ、そういえば、今日バッグを運んできたのは新人の田中君だった。まったく田中君ときたら、あれを会社に忘れてきちゃったんだな――。私はまたため息をついた。
 こうなったら、数珠なしでいきなり呪文を唱えるしかない。これだと霊に与えるショックは大きくなるけど、この際仕方ないだろう。
 私は暴れる男の子の霊の背後にそっと回り込むと、一気に呪文を唱えた。彼はショックで苦しみ出した。――と、その時だった。
「ちょっと、そんな荒っぽいことしなくてもいいじゃないですか!」
 背後からの怒鳴り声に私が振り向くと、そこには中年女の霊が立っていた。
「子供がかわいそうじゃないですか!」
 どうやらこの女、この子の先祖の霊らしい。ようやく出てきたと思ったら、騒ぐ子供の方ではなく、私に向かって怒鳴ってきたのだ。
 とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。
「はあ? いい加減にしなさいよ! 騒ぐ子供を注意するのは、本来あんたたちの役目でしょ! あんたたち先祖の霊がそんなに非常識だから、現世の人間も子供を叱れなくなってるんじゃないの!」
「何言ってるの! 先祖の霊が現世の人間に影響を与えるだなんて、時代遅れもはなはだしい迷信だわ! インチキ占い師じゃあるまいし」
「黙りなさいよ! この馬鹿幽霊が!」
 私は、花瓶の白菊を手当たりしだい引き抜いて投げつけた。

「ああ、また山下さんの霊が暴れてるみたいだな……。田中君、お願い」
 ぽんぽんと空中を舞い始めた菊の花に式場がどよめく中、葬儀社の社員が言った。
「困りますよねえ。山下さん、自分が交通事故で死んだことを未だに認められない上に、しょっちゅうお客様側の霊と揉めるんだから」
 四代目「見える社員」の田中が、ため息をついて、銀色の数珠を手に歩き出した。

ショートショート 心臓麻痺等ご注意を

 日曜日の夜。煙草の煙がもうもうと立ちこめる、とあるビルの地下室。
 客の男たちが、ぎらついた目を一点に注いでいる。
 いよいよこれから、全財産を賭けた大勝負が始まる――。
 ここで行われているのは、まぎれもない違法賭博だ。それでも、この繁華街の一角のビルの地下室の賭場は、日曜の夜に客が絶えたことがない。この日も、五人の客と胴元が、互いに会話を交わすこともなく、じっと前を見据えて座っている。
 スキンヘッドの男、サングラスの男、パンチパーマの男、両腕にびっしりと蛇のいれずみが入った男、そして右頬に大きな刀傷が走った男。――いずれも一目見ただけで堅気でないことが分かる五人の客からは、凄まじい殺気が漂っている。
 パチンコや公営ギャンブル、それに様々な違法賭博でもなお満たされなかった者たちが、最後に行き着くのがこの賭場。ここはいわば、ギャンブラーの墓場だ。
 五人の客はすでに全財産を胴元に預け、一発勝負の時を待っている。張り詰めた沈黙を、頃合いを見計らって胴元が破る。
「そろそろ時間です――。さあ、ちようないか、はんないか」
 胴元のかけ声に、客の男たちが一斉に手を挙げた。
「丁!」スキンヘッドの男が指を立てる。
「半!」サングラスの男が、小指の先が無い右手を広げる。
「半!」パンチパーマの男も左手を広げる。こちらは小指が根元から無い。
「丁!」刺青の蛇が、這い登るように上を向く。
「軍!」刀傷の男が、拳を突き上げる。
 彼らを見回した胴元が、小さくうなずいてから声をかける。
「丁が二人、半が二人、軍が一人、よろしゅうございますね。――それでは皆様、心臓麻痺等ご注意を」
 もうすぐ訪れる運命の瞬間に、心臓麻痺を起こしてもまったくおかしくはない。ただ、ここが闇賭場である以上、救急車など呼んでもらえるはずがない。男たちは胴元の呼びかけに揃ってうなずく。彼らのぎらついた目線の先で、運命の時が刻一刻と近付く。
 約三十秒後。ついに彼らの目の前の画面の、CMが明けた――。
「さ~て、来週のサザエさんは? フネです。涼しい季節になってきましたね……」
 そんな呑気な声とともに展開される次回予告の映像を、男たちは殺気立った目で見つめる。張り詰めた緊張感の中、ごくりと唾を飲み込む音まで聞こえてくる。
 そして、いよいよ緊張の一瞬――。
「来週もまた、見てくださいね。ジャンケン、ポン」
 テレビ画面の中の、特徴的なパーマヘアの女が、なぜか自らの手を出さずに、手の形が描かれた札を出す。
 その札に描かれていたのは、チョキ――つまり、丁だった。
「くそおおおっ!」
「ぐあああっ!」
 半――パーに賭けていた、サングラスの男と、パンチパーマの男が揃って崩れ落ちる。
「よっしゃああああっ!」
 軍――グーに賭けていた、頬に刀傷が走った男が拳を突き上げる。
 週に一度の、札束が乱れ飛ぶ大博打。この日も全財産を賭けた二人の男が破滅した。負けたパンチパーマの男は口を半開きにして虚空を見つめ、サングラスの男は絶望のあまり失禁した。一方、勝った男は狂ったように笑い、頬の刀傷まで紅潮させていた。
 テレビ画面の中のパーマヘアの女は、そんな男たちを嘲るかのように「うふふふふ」と笑って手を振っていたのだった。

 

「逆転ミワ子」は全4回で連日公開予定