砂金掘りにも技術がいる。腕のない弥太郎にできるのは、はじめはしや運びくらいのものだった。
「一人前になるには、三年、いや五年はかかるべな。おらも、まんだ新米同然さ」
 留次が、そう教えてくれた。
 親分と師匠格の砂金掘りたちは、ほとんどが山形県から来たという。
いずみ衆というだよ。あの人がたは、慣れてるからさ」
 月山がつさんの山裾、寒河江さがえ川の下流に位置するいずみ村の小泉が、彼ら砂金掘りの故郷であった。
 寒河江川は古くからの砂金地だった。今となっては掘り尽くされて、ほとんど採れない。
 それでも、地主から搾り取られるばかりで赤貧せきひんの小作人たちは、わずかでも暮しの足しにしようと、血のにじむような工夫を重ねて川床かわどこを浚い続けているという。
「したから、あの人がたは、おらだちとは技術が違うのさ。命懸けだもの」
 砂金は川床に溜まることが多いから、道具を使って川床を浚う。道具は主に、ネコとカッチャ、エビザルに揺り板である。
 まずは石や粘土で川を一部せき止め、幅や深さを調整する。だいたい二、三寸の深さだ。流れの底に、稲藁いなわらの芯であるミゴで編んだ布のようなネコを敷き、その上にエビザルを置く。カッチャは、先のとがった小型のくわのようなものである。大小のカッチャを使い分け、川底のれきをすくってザルに入れ、す。それから、ネコに落ちた小粒の砂礫を揺り板に移す。そして揺り板を丁寧に揺り動かして、砂金だけを残すのだ。砂金掘りたちは、その作業を気の遠くなるほどえんえんと、根気よく繰り返す。
 親分の寅吉とらきちを筆頭に、小泉衆はそれぞれ手に馴染なじんだ道具をたずさえ、無駄のない動きで、次々に容器を砂金で満たした。
 カッチャ一つ使うのにも熟練の技が求められ、その加減が難しい。ちょっとでも川床を深く掘り過ぎると、
「こらっ、何やってるだ、金が流れてしまうべや」
 親分の怒号が飛ぶ。
 一月ひとつきもすると、弥太郎はあらかたのこつを覚えた。兄弟子から「筋がいい」とほめられるようにもなった。いっぱしの砂金掘り気取りである。
 やがて、山頂から少しずつにしきどんちようが下りてくるように木々が色づいて、留次が枝幸に帰ることになった。秋が近づいていた。
「弥太郎、おめえ、どうするだ」
「おらはもう少し、稼いでいきます」
 弥太郎は帰るつもりはなかった。だが留次がいなくなったのを機に、今の現場を離れることにした。
 せっかく一大決心をして、農場を出てきたのだ。一匹狼として、運試しをしてみたかった。腕に自信もついてきた。ここにいては、いくら採っても自分の物にはならない。ある程度は稼げたが、小作と同じである。
 山奥には、まだまだ鉱主の目の届かない支流があるはずだった。誰も手をつけていない処女地を見つけ出し、一山あてたいと夢想した。
 だが笹藪をかきわけ、親爺ひぐま咆哮ほうこうにおびえ、険しい斜面を張り付くように上り下りしてやっとたどりついた奥地にも、すでに累々るいるいと砂金掘りたちが群がっていた。
 小川の両岸には、にわか作りの草小屋が鈴なりになっていた。奥地の川には一匹狼の砂金掘りが多く、それぞれが黙々と作業していた。
 いくら粘っても、砂金はわずかしか採れなかった。人が多すぎるのである。
 弥太郎は、更に山奥へ分け入ることにした。
 しかしどれほど山奥の細い支流にも、大抵はすでに手がつけられていた。川幅が広がり、石が積み上げられているのでわかる。誰かが見切りをつけたのだろう。小屋が残っていることもあった。そういう場所で、幾日か試し掘りをしてみたが、やはりほとんど採れなかった。
 手付かずの砂金地など、もうないのか。
 見込み違いに、弥太郎は焦りを覚えた。
 巡査とかち合いそうになり、弥太郎はますます山奥へひそんだ。
 入地料を払っていない弥太郎は密採人だった。しかも、農場からのちよう​散人さんにんとして、見つかればきつい仕置きをまぬがれないと思った。
 奥へ奥へと川筋をたどるうちに食料が尽きた。仕方なく、魚や野草を採って飢えをしのいだ。
 ある日の夜半、弥太郎は腹痛に襲われた。少し休めば治るだろうと思ったが、痛みは増すばかりだった。おまけに雨が降ってきて、野宿の弥太郎は濡れねずみになってしまった。
 川べりのドロノキの下に、打ち捨てられた小屋が見えた。雨露あめつゆをしのごうと、弥太郎はっていった。
 ドロノキにしがみつきながら、弥太郎は激しいおうをもよおした。目を開けると、真っ赤な石楠花しやくなげの花が散って見えた。
 もう秋なのに、どうして石楠花の花が咲いているのか。
 気が遠くなってうずくまっていると、雨音に交じって下草を踏みしめる足音がした。
 熊だ、おらは熊に食われるのだ。
 獣くさい体が覆いかぶさってきた。弥太郎は何もわからなくなった。

 

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