『死にたいって誰かに話したかった』が好評の南綾子さんによる『俺はこのままひとりぼっちで、いつかおかしくなってしまうんだろうか』が刊行された。独身のまま40代を迎えた男女の10年を描いた本作で伝えたかったこととは。氷河期世代の婚活経験者ならではの視点で語ってもらった。
いっそ一生一人で生きていくためにゆるく誰かとつながっておく、としたほうが、孤独を回避できるんじゃないか
──結婚しないまま40代になるとおかしくなる……似たようなフレーズが定期的にSNSで話題に上がります。主人公の春来がこれによって不安になるところから、物語が始まります。結婚していてもしなくても、なぜこの言葉に人は心をざわつかせると思いますか。
南綾子(以下=南):社会的な背景もあるのかなとは思います。今は経済成長が見込めない時代だし、その上、今の40代50代は就職氷河期世代でもとより仕事や経済面で不安を抱えている人も多い。たとえ結婚できていたとしても、今仕事があったとしても、将来安泰と胸を張って言いきれない時代であり、世代ですよね。でも、自分の両親なんかを見ても、やっぱり40代って難しい時期だったのかもしれないなと感じます。そんなに幸せそうではなく、不安を抱えているように見えました。
40代から50代の中年期っていうのは、20代から30代にやってきたことの答えがでる時期でもある。受験生だとしたら、中間テストの結果が出る頃、みたいな感じかもしれない。これまでやってきたこと、今自分がやっていることが正しいのかどうか、一番不安になる時期。そして進路を変更する最後のチャンス期でもあるのかな。結婚や子供の誕生などでゴールテープを切ったと思った人も、まだそれはレースの前半戦だったとわかったらやっぱり不安になるんじゃないでしょうか。それと、子供の頃に想像した自分の大人像って大抵、20代から30代前半ぐらいであると思うんです。40代50代は想像の及ばない未知の領域。だから、安全圏にたどりついたはずの人も不安になるのかもしれない。不惑って言葉は嘘ですね。
──前作『死にたいって誰かに話したかった』はタイトルのインパクトも強く、各ランキングで1位を取るなど話題になりました。今回のタイトルに込めた思いを聞かせて下さい。
南:前回も今回も、とくに考えもなくぽっと出てきた感じで、一生懸命ひねり出したものじゃないんです。なんで、わたし自身の魂の叫びかもしれない。
──南さんには、ドラマ化した『婚活1000本ノック』はじめ婚活をテーマにした作品もいくつかあります。しかし今回は結婚しなかった人たちの話。この作品でしか書けなかったことや今までの本との違いはありましたか?
南:30代は婚活しながら婚活の本を書いていて、その中で結婚相手候補として出会う男性をある意味仮想敵みたいにしていたところがあったと、今になって思います。なんで初対面の場でそんな失礼な言動をするんだとか、なんで小学生みたいな泥だらけの靴を履いてくるんだとか、相手の瑕疵をとりあげては怒っていた。でもわたし自身も年齢とかいろんな理由で婚活から距離をおいたときに、たくさん出会った不器用な男性たちは、別にわざと失礼なふるまいをしたりぼろぼろの服を着てきたりしてたわけじゃなく、なぜかわからないけどそんなふうにしかできなくて、でも改善の仕方もわからないし、というかできれば女性にはありのままの自分を受け入れてもらいたいしで、どうしたらいいのかわからなくて困っている人も多かったんだろうなと思いをはせるようになりました。なんとなくそういう男性の戸惑い、苦しみって今の世の中ではかなり軽視されているようにも感じていて、だったらこれからはその人たちのことを書いてみよう、という気になって書いたのが今回と前作ですね。
──本書は、季節にちなんだ名前の男女四人がメインキャラクターとして物語が進みます。特に思い入れのある人物はいますか?
南:前作について「当たり前に異性愛者ばかりが出てくる。性的マイノリティの登場人物も出してほしかった」とSNSで投稿されているのを見て、自分でも本当にそうだと思ったので、秋生を登場させました。なので秋生が一番思い入れの深い人物かもしれない。ヤングケアラーについて不勉強だったのもあって、真冬が難しくて何度も書き直しました。春来は自分の分身みたいな感じ、夏枝はわたしの得意分野的なタイプで、わりと楽しく書けました。
──「女の人はひとりでも幸せそうだが、男は違う」と終盤になっても不安から脱しきれない春来の心の揺れや、その考え自体にリアリティがありました。南さん自身、そういう実感がありましたか?
南:わたしと同世代の人たちはまだそうでもないけど、少し上の世代になると、未婚離別死別問わず、独り身の女性と男性でQOL(=Quality of life。クオリティ・オブ・ライフの略。「生活の質」「生命の質」などと訳され、生きがいや満足度を表す語)に大きな差があるというのは結構多くの人が実感していることなんじゃないでしょうか。
女やもめに花が咲き、男やもめにうじがわく、が結構な頻度で発生している。わたしたちより上の世代にとって、結婚生活を送るメリットが男性側に大きすぎることが背景なのかなと思います。結婚自体のメリットは収入の低いほう、つまり多くは女性がより感じやすいけれど、その分妻が家庭内作業を担いがちなので生活面では夫が妻依存傾向になる。それが定年などをきっかけに崩壊してしまったとき、困るのは夫のほう。妻は家族の世話をしてきたから、自分の世話ぐらいなんてことないけど、夫は家族の助けがないと何もできない。よくあるパターンだと思います。
わたしたち氷河期世代って、結婚や異性関係をその感覚でとらえている最後の世代でもあるような気がするんですよね。男性が結婚や恋愛で得たいと思っている最大のメリットは、女性からのケア。ところが、女性側が配偶者のお世話と引き換えに得られるはずの経済面のメリットは、昔より明らかに低くなっている。だから家族の世話もしつつフルタイムで働く必要があるわけで、それはもうしんどいぞと結婚や男性に見切りをつける人が増えてくるのは当然だし、そのタイミングも以前より早まってしまっていると思います。そしてその分、ひとりで生きる覚悟も早いうちに固めてしまえるけれど、男性は「一人でいいよ」といいつつ、「それでもいつか」と夢を先送りしているだけ。それでも、身辺がにぎやかな40代のうちは独り身でもまだいい。しかしこのまま歳をとっていくと、いずれわたしたち世代でも、やっぱり独り身の男女でQOLに差が出てきてしまうんじゃないかと思います。
──独身の40代が50代になるまでを読んでいるうちに、どんな状況にあっても「腐らず」生きる方法が描かれているように思いました。生きづらさを感じる人が多い世の中で、南さんが生き方として個人的に意識していることはありますか。
南:わたしたちの世代はとくに、いわゆる“不本意未婚”の状態に陥っている人が多い。それは社会的な要因が大きく、個人の努力ではどうにもできない部分もあった。だからってやっぱり拗ねて腐っているわけにはいかない。上の質問で独り身の男女差について言及しましたが、不本意未婚のまま40代に突入してしまったとき、それでも結婚や異性のパートナー獲得にこだわり続けるのか、違うかたちで人とつながっていく道を選ぶのかっていう分かれ道があると思うんです。
一生一人は嫌だからそばにいてくれる誰かを死に物狂いで見つけようとするんじゃなく、いっそ一生一人で生きていくためにゆるく誰かとつながっておく、としたほうが、孤独を回避できるんじゃないかというのが、この本のテーマであると思います。
──これから本書を手に取る方へ、読みどころやメッセージをお願いします。
南:前作同様、安易なハッピーエンドは用意しない、という点を一番しっかり心に決めて書きました。かといってバッドエンドを用意しているわけじゃありません。救いは一個もないけれど、でも人生そんな悪くない、という物語があってもいいとわたしは思います。前作でも同じことを言いましたが、「理解ある彼君」ストーリーではちっとも心は癒されない! という人に読んでほしいです。
【あらすじ】
売れない小説家兼雇われコンビニ店長の春来は、「男性は孤独に弱くてひとりぼっちでいると生きる気力を失い、おかしくなってしまう」という、ややバズったSNSの投稿を見た途端に“ずっと一人の生活に耐えられるのか”と不安に襲われる。現状を脱するために周辺を見ると、春来だけでなく同年代の知人や友人もそれぞれ抱えているものがあった。医者と結婚し、「キラキラ生活」を掴んだと思ったタワマン妻。きょうだい児として家族の世話に半生を捧げた元ヤングケアラー。自らのセクシュアリティに悩み、「家族」とは何か問い続ける男性。約十年にわたる四人の奇妙な繋がりを通して、現代に生きる人が抱く生きづらさや、ままならない現状を描く。