大学で教鞭をふるう傍ら、朗読部を舞台とした小説『遥かに届くきみの聲』で双葉文庫ルーキー大賞を受賞した大橋崇行氏。最新作の『週末は、おくのほそ道。』は、仕事や恋愛に疲弊した30歳の美穂が、高校時代にともに俳句甲子園に挑んだ旧友・空と、週末旅をするロードノベル。松尾芭蕉の『おくのほそ道』の名所を辿りながら、自分を見つめ直すなかで、彼女達は将来のために新しい選択をしていく──。大橋氏に、どのような思いを込めて本作を執筆したか、お話を伺った。

 

古典の世界にはオリジナルや著作権という発想がない。そのことが現代の物語とは違う魅力に

 

──今作は美穂と空という30歳の女性ふたりが、『おくのほそ道』に登場する名所を週末に旅する物語。執筆のきっかけはどのようなものでしたか?

 

大橋崇行(以下=大橋):編集さんと新作の打ち合わせを始めたのが、2020年秋のことでした。新型コロナウイルスの感染対策のために、旅行はもちろん、外出することさえも難しくなっていた時期です。もし感染状況が落ち着いたらまずは少人数で国内の身近なところに旅行することになるだろう、ということで、それなら実際にそういう旅をする主人公たちを書いてみようと考えたのがきっかけです。

 今回も文学作品を題材にすることは当初から頭にあり、国内の旅といったら『おくのほそ道』(!)と、ここはかなり早い段階で決まりました。プロットを書き進めていく中で、実家に帰ることさえも難しいような日々が続き、「本当は会いたいのに、ずっと会うことができないでいる大切な相手と再会する」というストーリーが固まっていきました。

 

──作中で『おくのほそ道』からの引用や、それに対する美穂たちの解釈が書かれているのも面白いです。

 

大橋:古典的な作品は、それぞれの時代や場所で生きている読者が、自分たちの価値観から作品を読み直していくことで受け継がれていきます。時代や場所を越えて、現代の価値観ともリンクしてしまう部分があるからこそ、「古典」として生き存えることができているとも言えます。

 今回は特に現代の女性の視点から『おくのほそ道』を読むということで、最初に調べたのは、俳句甲子園で女性の詠み手がどういう句を作っているかです。それから、篠崎央子さん、神野紗希さんをはじめ、現代の女性の俳人の方が詠まれている句を読んで、そこで日常をどういう見方や言葉で切り取っているか、そうした視点から『おくのほそ道』を読んだり、『おくのほそ道』で描かれた旧跡を見たりしたら、どういうふうに捉えられるだろうかと考えていきました。

 作品を作る、読むというときにはどうしても文化の中で構築されたジェンダーがまとわりついてくるので、小説を書いているあいだずっと作り手、読み手それぞれの男性ジェンダーと女性ジェンダーの断層に向き合い続けた感じがあります。

 

──大橋さんにとって「古典」の魅力とはなんですか?

 

大橋:一つには、ずっと昔に書かれているはずの作品なのに、現代の視点から見ても共感できたり、現代の私たちと同じような思いを抱いていることに驚かされたりするという点です。

 それからもう一つ書き手の視点で言えば、古典の世界にはそもそもオリジナルや著作権という発想がないので、そのことがむしろ現代の物語とは違う魅力を持っているように思います。古典には、自分で新しい物語を作ろうとするのではなく、すでにある物語や表現を、それぞれの時代の視点や言葉で書き直して再創造していくという側面があるんですね。だからこそ、それぞれの時代にどういうふうに書き換えられたのかを見ていくことで、書き換え方の痕跡から、その時代の人たちがどういう価値観を持っていたのかが見えてきたりもします。

 これはつまり、古典を現代の価値観から翻案して、「私たちにとっての古典」を作り直していけるということでもあります。『週末は、おくのほそ道。』は、そういうところから古典の世界に入ってもらえたらおもしろいなと思いながら書いていました。

 

──美穂と空が1泊2日、あるいは2泊3日の「週末旅」をするというコンセプトは、どのようにして決まっていきましたか?

 

大橋:2021年の3月まで仕事の関係で愛知県に住んでいたのですが、週末に東京や関西に会議などの出張があることが多くて、ほとんど自宅にいられなかったんです。それで、ちょうど企画を立ち上げた当時、ほとんど毎週のように出張しているうち、こういうのを出張ではなく、旅行でしたら楽しいかもしれないと思うようになりました。その意味では、実体験をベースにしているとも言えるかもしれません。

 

──作中には実在の観光名所や、飲食店も多数登場して、ガイド本としても楽しいですね。大橋さんが実際に行かれた場所も多いのでしょうか?

 

大橋:以前、訪れた事がある場所もありますし、実際に今回の小説を書くに当たって行った場所もあります。大垣は、岐阜県で働いていたときに、ほとんど毎日通っていました。美穂が通っている書店さんや休憩しているカフェは、よく行っていたお店がモデルになっています。

 一方で、金沢はどういうわけか縁がなくて、行こうとするたびに電車が止まったり、仕事が入ったりして行けなくなるということが、まるで呪いのように何度も続きました。それで去年、富山で仕事があったときに、小説のこともあるし今度こそ金沢まで出ようと決意して、初めて行くことができた場所です。そのときは、作中で美穂が歩いたのとまったく同じ行程でめぐっています。それでも、作中には書いたもののまだ行けていない場所が実はまだいくつかあって、そういうときはGoogleマップのストーリービューを使って妄想旅行をして書いています。コロナ禍のあいだはずっとこの妄想旅行をしていたので、その経験が役に立ちました(笑)。

 

(後編)に続きます

 

【あらすじ】
高校教員の美穂は30歳。仕事に追われ疲労困憊の日々、恋人ともうまくいっていない。そんなある日、高校時代ともに「俳句甲子園」に出場した友人・空と、SNSで再会する。美穂は俳句に親しんだ日々を懐かしみ、いつか行ってみたいと思っていた『おくのほそ道』をめぐる旅に空を誘う。週末ごとに松尾芭蕉たちが辿った地をふたりで旅しながら、日常を離れ心を休める美穂。同行してくれた空は、この旅路で「会いたい人」がいるようで──。古人の足跡を辿りながら「今」を生き直す女性たちの感動の物語。