『香港警察東京分室』で直木賞候補初選出となった月村了衛氏が最新作『半暮刻』を上梓した。本作は、罪を犯した2人の若者を通して、現代日本に蔓延る「真の悪」が浮き彫りになる社会派小説。発売前から読書メーターとブクログで1位を獲得し、書店員からも絶賛の声が届いていた。

 作品内の出来事は実際に起きた事件を彷彿とさせ、小説でありながらノンフィクションのよう。我々日本人が目を背けていたものに気付かせてくれる作品だ。果たして、本作はどのようにして生まれたのか、月村氏にお話を伺った。

取材・文=門賀美央子 撮影=川口宗道

 

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タイトルをつけるのはわりと得意なんですよ(笑)。

 

──二人の主人公、翔太と海斗は双方現代的な生い立ちを持ちますが、対象的でもあります。翔太は社会の下層でどうしようもない親の元に生まれ、凄惨な子供時代を過ごした。一方の海斗は恵まれた環境ですくすく育った人間です。それほど違っても、一度は同じ罪を犯し、罪の償いという意味では翔太がより真っ当な道を歩むことになります。

 

月村:私はどちらかというとアウトロー側の人間なので……いや、別に悪いことをしているわけじゃないですよ(笑)。でも、普通に道を歩いているだけで職質にあったりするような人間なので、心情的にはそちらに共感を覚えやすいのだと思います。作者の人間性はどうしても作品に出てしまうのでしょうね。文は人なりと申しますけども、作者が隠したい、もしくは本人が気づいてないような部分が出るのかもしれません。

 

──主人公以外の登場人物もそれぞれ魅力的でした。物語に直接は影響しない人物もていねいに描かれていて、作品の厚みを増すことに繋がっているように思います。

 

月村:それが“小説”なのだと私は考えています。たとえば、ヤクザの陣能なんかはプロットでは名前しか出てこない人物なんですけど、書いてみると意外といいやつでした。デリヘルの店長なんかもそうでしたね。現実社会には“主人公”なんていないわけじゃないですか。一人一人に各々の人生があるわけで、その一局面を切り取っていくのが小説です。だから、それをきちんと描写していくのが小説家の仕事なのではないでしょうか。他作品にも共通することなのですが、しっかりと造形されていれば作中人物は自分で勝手に道を歩いて行ってくれるものなんです。私はそれを追いかけていくだけ。たとえば翔太の過去だって、彼を描いていくうちに出てきたものでした。プロットの時点では全然考えていなかったですから。ところが、彼の後ろ姿を追いかけている最中に衝撃の真実が見えてきたわけです。私自身も「そうだったのか」と驚きました。執筆しながら考えてもいなかったような発見をしていくのが小説家にとっての喜びの一つであろうと思ってます。

 

──全編を読み終わり、改めて『半暮刻』というタイトルは絶妙だと感じています。半グレとの掛詞ではあるのですが、今の日本を覆っている空模様そのままのようです。

 

月村:タイトルをつけるのはわりと得意なんですよ(笑)。まあ、最初から狙ってたわけじゃないんだけども、自然とそこに行き着いてしまいました。ラストシーンで翔太は現代社会を歪ませているある事実に気がつくわけですが、それを端的に言い表すタイトルになったと自負しています。

 

──絶望と希望が分かちがたく混在する、静かだけれども重いラストシーンでした。

 

月村:私自身は今の社会に絶望しているようなところがあるんです。しかし、読者がどう読まれるのか、それはわかりません。私としては自由に読んでください、としか言いようがないですね。

 

【あらすじ】
児童養護施設で育った元不良の翔太は先輩の誘いで「カタラ」という会員制バーの従業員になる。ここは言葉巧みに女性を騙し惚れさせ、金を使わせて借金まみれにしたのち、風俗に落とすことが目的の半グレが経営する店だった。〈マニュアル〉に沿って女たちを騙していく翔太に有名私大に通いながら〈学び〉のためにカタラで働く海斗が声をかける。「俺たち一緒にやらないか……」。二人の若者を通した日本社会の歪み、そして「本当の悪とは」を描く社会派小説。

 

月村了衛(つきむら・りょうえ)
1963年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2010年に『機龍警察』で小説家デビュー。12年『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、13年に『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、15年に『コルトM1851残月』で第17回大藪晴彦賞、『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)、19年に『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。近著に『ビタートラップ』『脱北航路』『十三夜の焔』がある。『香港警察東京分室』で第169回直木賞候補初選出となった。