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3(承前)

 目的地の周辺は新興住宅地で、均一な区画に同じような外見の住宅が立ち並んでいた。
「建売で一括販売したんだな。宅配泣かせだな、こりゃ。けど笹山さんチは東南の角で」
 周囲を見回してそう言いながら奥さんが車を進める。
「おっ、社長の車だ。ここだ」
 駐車場には白いレクサスと若草色とアイボリーのツートンカラーのラパンが並んで止められていた。社長は二台車を持っていて、仕事用ではハイエース、それ以外はレクサスと使い分けている。
「やっぱ、カッコいいなー、社長のレクサス。以前のアルファードもカッコよくて、それで俺もマネして乗ってんだけど、そのあとに社長が買い換えてさ。やっぱ、三十過ぎたらセダンだよな。マジ、シブい」
 須田社長に心酔している奥さんのことだ、三十歳になると同時にレクサスに乗り換えるのだろう。
「でも、こっちのラパンも可愛いんだよな。真司さんはハスラーにしたかったんだけど、凜ちゃんがウサギがついているからこっちがいいって言ったんで、そうしたんだって」
 車種、そしておそらく可愛らしいカラーリングも娘の意見を尊重したのなら、真司さんは娘を溺愛しているに違いない。
「前に止めていいってことなんで、よっし、到着」
 笹山家の駐車場の前を塞ぐようにして奥さんが車を止めた。手土産の入った紙袋を手にする奥さんに続いて頭島さんと僕も車から降りる。僕は息を深く吐いて、全神経を集中させてみた。何も感じない。          
 ――いないのか? それとも僕に感じられないだけなのか? 
 どちらなのだろうと考えていると、「いるか?」と小声で頭島さんに訊かれた。
「いえ」とだけ、こそりと答える。
 インターフォンを奥さんが押すと、すぐさま「はーい。どうぞ。陽平、隼斗君たちがいらしたわよ!」と、女性の声が聞こえた。
「そんじゃ行くか」
 奥さんが僕たちに笑顔を見せた。だが内心は不安なのだろう、その笑顔は明らかに引きつっていた。

 こげ茶色の玄関ドアが中から開いて綺麗な女の人が顔を覗かせた。二重の大きな目が社長にそっくりで、一目でお姉さんの紗香さんだと分かった。
「いらっしゃい! ――よろしくお願いします」
 出迎えの言葉に続けて、打って変わってびっくりするほどの小声で紗香さんが僕たちに言った。その表情はすがるようだ。
「ご無沙汰してます。お邪魔しまーす。頭島はご存じですよね? コイツが新人の桧山光希です」
 紗香さんに調子を合わせて奥さんが大きな声で僕を紹介してくれた。
「こんにちは。お休みのところすみません。お邪魔します」
 丁寧に挨拶する頭島さんに続いて、僕も「桧山です」と言って頭を下げた。玄関で靴を揃えてから、奥さんはぐっと音量を絞って「できる限りのことをさせていだたきます」と、紗香さんに伝える。
 僕は再び目を閉じて何かを感じようと試みる。でもやはり何も感じない。
「こっちです。どうぞ」
 紗香さんの声は明るく大きい。けれど玄関の右横のドアに目をやる表情は不安げだ。ドアの向こうに凜ちゃんがいるのだろう。
「これ、ちょっとなんっすけど、よかったら。フィナンシェとマドレーヌです。お客さんに貰って、マジで美味かったんで」
 廊下に上がった奥さんが紗香さんに手土産を渡す。それは僕たちが最初にオカルト現象を解決した藤谷家で出して貰った店のものだった。奥さんは今日のために、わざわざ前日に買いに行ったのだ。シンプルに美味しいという理由だけではないと思う。藤谷家では僕たちの訪問以来、怪奇現象は起こらなくなった。そこで貰ったお菓子を手土産に選んだのは、おそらく験を担いでのことだろう。奥さんはかなりそういうことを大切にする人だ。
「ありがとうございます。なんか気を使って貰っちゃってすみません」
 明るい声で言った紗香さんは一つ息を吐いてから僕たちを見てうなずくと、「凜、隼人さんがお菓子を下さったわよ」と言って、ドアを開けた。
 奥のダイニングとキッチンにつながっているリビングは、道路に面して大きな吐き出し窓があって、レースのカーテンを通しても日差しが良く入って室内は明るい。左の壁にはシックな木製のテレビ台と大きなテレビが置いてある。反対側の壁はソファで占められていて、ソファとテレビ台の間にはやはり木製のローテーブルがあった。
 ソファに座っていた社長が立ち上がって、「よく来たな」と出迎えてくれた。
 凜ちゃんはローテーブルと吐き出し窓の間のフローリングの床に座っていた。社長と紗香さんと同じく大きな目の美少女だけれど、どことなく元気はなさそうに見える。ただ見えたのは凜ちゃんだけではなかった。凜ちゃんの横に、凜ちゃんと同じくらいの大きさの薄暗くてもやもやした巨大な球体が見えたのだ。
  ――なんだこれ?
 かつて幽霊が見えていたとき、歪な形の物体を目にすることがあった。最初は何だか分からなかったけれど、じっくり見ているうちに、複数の幽霊がお互いに気づかないまま重なっているのだと悟った。その場合、塊の中には何本もの腕や足や頭があった。
 今回も同じだろうと、もやもやした球体に目を凝らす。球体だと思い込んでいたが、よく見るとフローリングの接地面は平らだった。つまりお椀を伏せたような半球体だ。あまり見たことがない形だなと思いながら、さらに集中して見つめる。でも腕や足らしきものも、中で何かが重なっているような濃淡も見えてこない。
 ――もしかして、一つの塊なのだろうか? 
 見続けているうちに、あることに気づいた。
 ――形が同じだ。
 かつて見た複数の幽霊の集合体は、中の幽霊たちが動くたびに形が変わっていった。けれど今見えているものは半球体のままで、まったく形が変わらない。
 ――こんなもの、今まで見たことがない。
 正体不明の塊だろうと幽霊だろうと、見続けているうちにこちらに友好的か、あるいは悪意があるのかくらいの気配は感じることが出来た。でもこの塊からはまったく何も感じられない。
 ならば、悪いものではないのかも、と思ったそのとき、もやもやした塊が、三十センチくらいひょこっと上に持ち上がった。浮いたのではない。縦長に変形したのだ。
 ――なんだこれ?
 頭の中で答えを探していると、もやもやした球体から視線を感じた。
 かつてのパターンならば、このあと相手の目が見えてくる。これで正体が分かるかもと期待していると、もやもやした塊の上の方に目らしき形が、じわっと浮かび上がりだした。
 それは僕が知っている目ではなかった。現れたそれは巨大で、しかも白目がない。真っ黒な塊だったのだ。
 ――化け物。
 悲鳴を上げかけたけれど、凜ちゃんの手前、なんとかこらえた。でも後ずさりはしてしまう。
 僕の前にいた頭島さんが察して、凜ちゃんに近づこう素早く足を踏み出す。だがそのとき、もやもやした球体がふっと消えた。
「もう、いません」
 あわてて小声で頭島さんに伝える。
「いたんだな?」
 振り向いた頭島さんに訊ねられて、僕は「はい」とだけ答えた。
「いたって? どんな奴だ?」
 奥さんに詰め寄られたものの、すぐに説明は出来なかった。考えをまとめていると、「見えたのか?」「何かいたんですか?」と、須田社長と紗香さんからも、矢継ぎ早に訊かれる。
「早く教えろよ」「何が見えたんだ?」「お願いです、教えてください」
 奥さんも加わって三人から急かされ、口を開きかけたそのとき、「何? 怖い」と、凜ちゃんのか細い声が聞こえた。
 僕を見上げる顔は明らかに怯えていた。
 このまま話し始めていいのかが分からずに困っていると、「凜、叔父さんの話を聞いてくれるか?」と、社長が凜ちゃんに語りかけた。
 凜ちゃんがここのところずっと元気がないのを紗香さんが心配していて、相談を受けたのだと、社長は静かに切り出した。
「家で思い当たることはないし、凜から話を聞く限りでは学校でも何もないらしい。でもずっと元気がない。どうしたらいいのか分からないって。困り果てているって」
 盗聴器を仕掛けたことには触れずに先を続ける。
「何度か相談されているうちに、ここ最近、家の中で変な気配を感じるって姉ちゃんが言い出したんだ」
 驚いたのか、凜ちゃんが目を丸くして紗香さんを見る。
「あたし、何も感じないよ」
 真横に謎の塊がいたのに、凜ちゃんは何も感じていなかった。
「ママはお化けとか占いとか、まったく信じてないじゃない。クラスで流行っていたネットの守護霊占いをあたしがしたいって言ったときだって、そんなのにお金を使うのはやめなさいって止めたよね」
「占いは、統計みたいなものだもの。それに、占い師はやりとりの中で相手の情報を引き出して、それらしいことを言っているだけだよ。推理ゲームみたいなものだから」
 紗香さんが即座に言い返した。
 異論がある人もいるだろうが、僕にはない。それどころか賛同する。
 僕の母親は、紗香さんが言った手口を使って占い師と称して商売をしていたからだ。
 占いと言っても、相手と何一つ話をしないケースはまずないと思う。最低でも氏名、年齢、生年月日くらいは聞くし、さらには出身地や血液型に加えて、関係性を占う場合は相手のデータも訊かれる。それを自分で作ったか、あるいは既存の占いのパターンからそれらしいことを抜粋すれば、それなりのことは言えるだろう。
 さらに対面式ならば、観察力と推理力で、いくらでもどうにかなる。
 外見からは健康状態はもちろん、美容や衣服、さらには宝飾品の有無などで、どれくらいの生活レベルなのか、その人が何を大切にしてお金を掛けているのかの予想は容易にできる。シャーロック・ホームズが依頼人を見ただけで階級や職業を言い当てるのと同じだ。
 対面ではないSNSや電話でも、会話をうまく転がしさえすれば、相手の情報はいくらでも得られる。あとはその情報の中から、相手の望んでいそうなことを言えばいい。
 僕の母親は、なまじ僕に心霊現象解決の実績があっただけに、その母親だという触れ込みだけでけっこうな人数の客が相談を持ちかけてきていた。言葉のみのインチキ占いだけで済めば、まだよかった。でも調子に乗って、僕が祈ったという触れ込みの石を使ったアクセサリーや塩だのを売り始めたのだ。
 嫌な記憶で頭が満たされかけていると、「でも、今回は違うの。なんか感じるのよ、ここ最近ずっと。それも凜の元気がなくなった頃から。それで陽平に頼んだのよ」と、紗香さんの声が聞こえた。
 これまでスピリチュアル的なことを否定していた紗香さんが、急に「何か気配を感じる」と言い出したところで、凜ちゃんは信じはしないだろう。紗香さんから相談を受けた社長も、全く信じてはいなかった。
 けれど紗香さんは間違っていなかった。確かに凜ちゃんの横には謎の塊がいた。
「頼んだって、何を?」
 凜ちゃんが問い詰めるように訊く。なかなかに気の強い子のようだ。
「俺がこいつらに頼んだんだ。光希は」
 社長は僕に顎をしゃくってから「幽霊が見える。丈は幽霊……に触れる」
 間が空いたのは、幽霊を殴れると言いかけて、凜ちゃんの手前、あわてて言い換えたからだろう。
「嘘。信じない」
 凜ちゃんはきっぱりと否定した。
 スピリチュアル的なことを好んで尊ぶ人も多いけれど、逆にまったく信じない人もいる。そのタイプの人に信じて貰うためには証拠が必要だ。方法としては、本人しか知らない話を幽霊から聞いて伝えるくらいしかない。
 でも僕が今回見たのは人ですらない。こうなると、こういうものを見たと僕が言ったところで、凜ちゃんにはまず信じて貰えないだろう。
「この三人は、俺の会社関係の人で、何件かオカルト現象で困っている人たちの相談に乗っていて、きちんと解決している。だから頼んだんだ」
 不審そうな顔で社長を見ていた凜ちゃんが、奥さんを見据えて「隼人さんと丈さんがそんなこと出来るなんて、あたし、聞いたことない」と、はっきりと言った。
 笹山家は須田SAFETY STEPのバーベキュー会に家族で参加しているから、凜ちゃんは奥さんと頭島さんとはすでに知り合いだった。
「俺はなんも出来ねぇよ。幽霊が見えて話せんのが光希。ぶん殴……触ったりできるのは丈」
 即座に正直に奥さんが答えると、「――やってみたら出来たんだ、この前」と、お鉢が回ってきた頭島さんが、珍しくしどろもどろに言い返す。
「そんなことってある?」
 絶対に信じないとばかりに、凜ちゃんが口をへの字に曲げる。
「信じらんないかもしれねぇけど、本当に触れたんだよ。俺が証人だ。俺んとこのアパートで電気が勝手に消える部屋があるって、前に聞いて貰っただろ?」
 信じてもらおうと、奥さんがアパートの電気消し男こと秋定さんの話を始める。
「隼人、とりあえず光希が見たものの話を聞こう」
 社長が割って入ると、奥さんがぴたりと口を閉じた。
「凜、納得はいかないだろうけれど、ひとまず話を聞いてくれ。叔父さんからのお願いだ」
「隼人叔父さんのお願いなら」
 仕方ないとばかりではあったけれど、ようやく凜ちゃんが了承してくれた。

 

(つづく)