多くの現代人が抱える「生きづらさ」を描いた『死にたいって誰かに話したかった』が発売されました。発売前から「ブクログ」や「NetGalley」でランキング1位を獲得し、絶賛や共感の声が押し寄せている本作。著者の南綾子氏に創作秘話から読みどころまで話を聞いた。

 

■生きづらさの影にあるのは、コミュニティから排除され続けた苦しみや誰からも愛してもらえない絶望的な孤独

 

──新刊『死にたいって誰かに話したかった』はあたたかな家庭に憧れを持ちながら、恋人どころか友人もおらず、仕事も空回りしている30代後半の独身女性・奈月が「生きづらさを克服しようの会」を発足することから物語が始まります。こういったグループを小説に登場させた背景などあれば教えてください。

 

南綾子(以下=南):生きづらさをテーマにしようと決めたときに、他人の承認を得ること、かけがえのない存在(とくに恋愛の成就)によってその生きづらさが解消される――という物語には絶対にしないでおこうと決めました。そういう物語に触れて夢を与えられたような気になる人もいるかもしれないけど、「あー自分とは無関係の話だ……」とがっかりする人も多いんじゃないかと思って。現に自分もそうです。そういうハッピーエンドは自分の身には起こらない。子供の時からずーっと待っていたけど何にもなかったという人は多いのかもと思って、そういう人たちに向けて書きたいなと思いました。

 でも生きづらさを軽減するものはやっぱり、他者とのかかわりしかないかもしれないとも思います。だったら恋人とか夫婦とか友人とか、名前のはっきりした関係性以外のかかわりを他人と持つだけでも救いになってほしい、なるんじゃないかと考えて、生きづら会の構想がぼんやりとうかんでいきました。「生きづらさを克服しようの会」という名前はひらめきです。

 

──「生きづら会」は、自分のことを話し、聞き手はただその話を聞くことがルール。しかし、登場人物たちは、序盤はうまく話せていません。「ただ自分のことを話す」というのは実はハードルが高いのかもしれないと読んでいて思いました。南さん自身はハードルを感じますか? それを越える突破口みたいなものってあると思いますか。

 

南:わたしは職業柄もあるし、さらに同じ職業の人たちの中でもおのれのさらけ出し度が高い仕事歴であると自負しておりますので、わたし自身が突破口になる自信があります! つねに自分の人生、生き方を考えてそれを文字にしてきたので、何を話したらいいのかわからない、みたいな気持ちになることはなさそうです。それが難しい人は、最初はわたしみたいなやつの語りをとにかく聞いてみる、というのが一番いいんじゃないでしょうか。誰かが語るのを聞いているうちに自分も語りたくなる、ということがある気がするし、それは作中にも入れました。

 最近すごく思うのは、会話がコミュニケーションツールでしかなくなっているのってどうなんだろう? ってことです。「自分語り乙」っていうネットスラングがありますよね。そういう言葉が受け入れられている背景には、自分語りがコミュニケーションツールとして成立していない上に、大抵の自分語りはオチもヤマもないから面白くもないし役立つこともない――聞く側の実益がなく、ただ話し手が気持ちよくなっているだけだから「乙」ってバカにされる、という空気があるのかな、と。でも、気持ちいいならどんどんみんなやればいいのにと思います。本当は、役に立つだけの会話のほうがつまらなくて、そういう会話では人との関係性がどんどん空虚になっていくんじゃないかなと思います。

 

──南さんの作品といえば、「個性的」では済まされない癖の強い人間がたくさんでてくるところも読みどころだと思います。今回登場人物について参考にした実際の経験やモデルはいましたか。

 

南:いろいろ調べて、生きづらさにもいろいろな傾向があるけど、だいたい共通するのは神経過敏ぎみになってしまうことなんだと学びました。とくに他人の気持ちが気になりすぎる、というのは生きづらさに直結しやすいように思いました。一番最初に登場する奈月は他人の顔色を見すぎることが悩みだと話していた友人をモデルにしています。しかしその友人は他人に気を使いすぎる反面、物事をあまり深く考えずポジティブな面もあるので、そのポジティブ要素を削ったのが奈月という感じです。

 あと、最近よくネットなどで見かける弱者男性(編集注:非正規雇用などで低収入、コミュニケーションが不得意、女性にモテないという特徴を持ち、いわゆる男性特権を得ず不遇を感じている男性が自称として使うことが多い)をどうしても今回は扱いたくて、“非モテ”に関する見識を広げようと、男性の友人知人に話を聞きに行きました。とくに普段から「モテない」アピールをしていた友人に声をかけ話を聞かせてもらったんですが、彼らの話を聞いているうちに、「モテない」と他人にむかって言える人たちはこの物語の登場人物にはなりえないと気づきました。そんなこと他人に言いたくない、言うぐらいなら死ぬと思っている人がいる……そういう人に目を向けようと気づいたのが大きかったです。非モテ男性の苦しみは、単に性欲が満たされないってことなのかなとわたしも軽く考えてしまっていましたが、そうじゃなくて、コミュニティから排除され続けてきた苦しさや、誰からも愛してもらえない絶望的な孤独があるということを学びました。どうしてもそれを表現したいと思いつつ、でも上記の通り、それが恋愛の成就によって解決するというのだけはやりたくないと思いました。

 わけあって妻子と別居している元医者の薫と、マウンティングがやめられないセレブ妻ふうの茜はわたしと同世代のアラフォーで、我々世代は旧来の男らしさ、女らしさの圧力と、現代の多様性推進の板挟みになってどうふるまうのが正しいのかわかんなくなっている人が多そうなので、そんな感じの人物にしました。この二人は書きやすかったです。

 

──事前にゲラをよんでもらったレビュアーさんや書店員さんからは、「この会に参加したい」や「この本に書かれているようなことを求めていた!」という声が多くあがりました。死にたいまではいかずとも、消えたいとかもうやめてしまいたいと感じる人は多くいると思います。この反響について思うことや感じることがあれば教えてください。

 

南:みなさん、「生きたくない」でも「死にたい」でもなく、「死にたいって話したい」のかなと思いました。誰にも腹を割れない息苦しさがあるんですかね。人生の幸福度を重要視される世の中って息苦しいなってことなのかもしれない。

 

(後編)──に続きます。

 

【あらすじ】
あたたかい家庭に憧れを抱きながらも恋人どころか友人もできず仕事も空回りばかりしている37歳独身の奈月は、生きづらさを抱えて日々暮らしていた。悩みを共有できる人を求めて「生きづらさを克服しようの会」を発足し、勧誘チラシを撒く。すると、モテなさすぎて辛いと話す男性から連絡がきて──。
どうして私たちは他の人のように「普通」に生きられないのか。生き方に悩む男女が不器用に前進していく物語。

 

南綾子(みなみ・あやこ)プロフィール
1981年愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞を受賞しデビュー。『結婚のためなら死んでもいい』『タイムスリップしたら、また就職氷河期でした』など著書多数。