第5話 焼豚チャーシューと海鮮焼きそば

 

 

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 私の目標はドキュメンタリー映画を撮ること。

 地味な下調べ仕事で街を歩く時、リコはそう思い出すことにしていた。

 疲れと虚しさの中で自分に言い聞かせているのかもしれない。そうでもしないとやっていられないのが下っ端仕事というものだった。

「板垣の今週の仕事は、アンケートと画像集めな。都内でチャーシューを出してる店、百軒回ってきてくれ。本格中華以外の、町中華とかラーメン屋とかだぞ」

 先週の会議で言い渡されたノルマだった。命じる側は言うだけだから楽でいい。

 そりゃまあ、広い東京、チャーシューを出している店なら百軒くらい見つけられるだろう。だけど一人でそれを回るとなると並大抵のことじゃない。仮に一軒の取材を十分で済ませたとしたって、一時間で六軒しか回れない。一日使って八時間働くとしたって四十八軒、労働基準法を遵守していたら目標の半分にも達しないのだ。

 その一軒十分というのだってよほどの幸運が重なった場合だ。事前にアポイントをとった取材先が、親切にチャーシューを用意して待ってくれていて、写真さえ撮れば食べずに退店しても構わない、という夢みたいな状況だって十分はかかる。移動時間は勘定に入れていないし、そもそも事前にアポを取ってくれるスタッフなんていない。店のリストアップから許可取りまで、全てリコが自分で動かなくてはならなかった。

 だから直属の上司にあたるディレクターも、仕事の期限を一週間としてくれたのだろう。でもそれだって、一日あたり二十軒の計算になる。普通の人間は一日に二十軒も飲食店を回ったりしないし、ましてその全ての店でチャーシューを頼んだりはしない。普通を超えた領域はリコの負担になる。労働基準法だの働き方改革だのいったって、結局ブラックな職場では下に皺寄せがくるのだ。

 ディレクターの上司にあたるプロデューサーからは、「板垣もばんばん企画書出して、一度は自分の企画を通してみろ」と言われている。しかしブラックな職場環境では企画を練って書面にまとめる時間が作れずにいた。――昨日は意地でも二十軒回ってやろうと思って頑張ったところ、満腹と疲労のせいで帰宅するなり寝てしまったのだ。企画書を書く余裕なんてなかった。

 今日は朝から何も食べていない。なのになんだか胃が重い。一軒目に入る前から、これから二十軒なんて無理じゃないか不安になっている。一週間で百軒なんてとても回り切れない気がした。この仕事をしくじって自分の企画も出せず、一生ずっと下働きの手間労働に従事するんんじゃないかと思えてくる。

 でも、そんなブラックな職場を望んだのは自分だ。文句は言えない。いま暗い顔をしているわけにはいかないのだ。――白地に赤く染められた暖簾の前で、リコは小さく息を吸い込んだ。

 髪を整え笑顔を浮かべた。それから一歩踏み出して、「天福飯店」という文字をくぐる。

「こんにちは。お電話差し上げました、TMプロダクションの板垣と申します」

 明るく低姿勢に挨拶した。昨日の移動中に電話を入れて、取材のアポをとっておいたのだ。開店後しばらくは客が少ないということだったので、十一時五分前にやってきたのである。五分前でも暖簾は出ていて、入口の鍵も開いていた。

「はい、いらっしゃい!」

 厨房の中の、店主らしき男性が応じてくれた。昨日の電話と同じ声だ。「暇なときとか休み時間とかなら構いませんよ」ということで撮影許可をくれた人である。

「急な話ですみません。今日はチャーシューの取材ということで写真を撮らせていただきますので、よろしくお願いします」

 昨日も告げたことを伝えて名刺を差し出した。店主はにこりと笑い、受け取った名刺を調理服のポケットにしまっている。

「とりあえず、単品のチャーシューは用意しといたけど、これでいいですか? ラーメンにのってるほうがいいなら今から作りますけど」

 彼の視線を追うと、入口脇のテーブルにチャーシューの皿が置かれていた。白髪ネギと一緒にきれいに盛り付けられ、赤いテーブルクロスの真ん中に配置されている。その様がなんだかかわいらしくて、いい店だなと直感できた。

「ありがとうございます、これで充分です!」

 むしろこの方がありがたい。――チャーシューの写真を撮り、作り方を確認するのが目的なのだ。

 店によってはチャーシューののったラーメンを出してくれることもある。チャーシューの入った料理はラーメンかチャーシューメンしかないというのだ。それならそれで撮影的には問題ないのだが、問題なのは撮影の後だった。せっかくの料理に手をつけずに帰っては申し訳ないし、両親からは食べ物を粗末にするなと躾けられてきた。リコとしては、店で料理を頼んだからにはなるべく残したくないのである。

 かといって、一日二十軒、五日で百軒の店を回り、出されたラーメンやら単品チャーシューやらを百人前、全て食べていたら死んでしまう。仮に生き延びたところで確実に太る。暇な友達を付き合わせて食べてもらうのにも限度はあるわけで、こういう町中華や居酒屋などで単品のチャーシューを出してもらうのが一番ありがたいのだった。

 さらにこの店では、思いがけない気遣いも待っていた。――十一時になったら奥から割烹着姿の女性が出てきて、愛想よく声をかけてくれたのだ。

「あの、撮影の後は、食べていかれますか? それとも、お持ち帰りの方がよければ容器と袋を用意しますけど」

「あ、是非おねがいします!」

 カメラのシャッターを切りながら答えた。会社の備品で、撮った写真はクラウド上で共有されることになっている。それで外回りの社員がちゃんと働いているかのチェックもできるのだろう。

 この業界では飲食物のことを「消え物」などと呼ぶ。撮影中に食べたら消えてしまうというのが元の意味らしいが、撮影が終わった後の食べ物なんて消えて構わないという意味でも使われているようだ。おいしそうに湯気を立てている料理が、手もつけられずに捨てられている現場を何度も目にした。せめてこうして一人で回っている現場くらい、そんな真似はせずにいたかった。

 このチャーシューの代金は会社の経費から出る。だから残して帰ってもリコの懐は痛まない。だけど胸は痛むし、いちいち食べていたらいずれは胃が痛む。テイクアウトできるならそれが一番だった。

「――じゃあこれ、撮り終わったらセルフで詰めちゃってくださいね。箸はそちらにありますから」

 店員さんが袋と保存容器を持ってきてくれた。にっこり笑ってテーブルの端に置いてくれたのに頭を下げて、リコはスマートフォンを取り出した。それで自分の手元に残す画像も撮影しておいて、それからカップ型のテイクアウト容器にチャーシューを詰める。

 詰めながら、ちょっと味見をしてみたくなった。そろそろ胃が動き出したのだろうか。いかにも中華のチャーシューという香りに食欲が刺激された。

 薄切りの一枚だけを口に運んでみた。――肉料理なのにあっさりしていると感じたのは、脂が少ないからだろう。そのおかげで食べやすかったし、今日のリコにはこれくらいでちょうどいい。脂身たっぷりのチャーシューだったらこうしてつまみ食いする気にもなれなかったろう。

 冷めていてもやわらかいところも気に入った。醤油の香ばしさと共に燻製みたいな風味も感じる。燻した豚肉に味付けしてあるのだろうか。外側の方が茶色っぽいのが味わいの秘密みたいにも思えた。

 そのあたりは作った本人に聞いてみるのが一番だろう。――容器の蓋を閉めた後は、書き込み用のノートアプリを起動した。

「では次に――このお店のチャーシューの作り方についてうかがっていいですか?」

 厨房に近づくと、カウンター越しに中華スープのようないい香りを感じた。――せっかくテイクアウトさせてもらえるというのに、こういうお店で早めの昼ごはんを食べていきたいなと思ってしまった。

 

 

(つづく)