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 宮脇の家で暮らしはじめたころは毎日のように実家に行っていた。

 ところが、ある日、実家に、見たことのない女と、エイより少し年長の男の子がいた。茂八の後妻のトミと、息子の茂一だった。茂一の父親は茂八だった。つまり茂一は、エイの腹違いの兄なのだ。兄の八郎より一歳下だという。

 生まれ育った家に知らない母子がいるのは、妙な感じだった。エイは、あまり実家に行かなくなった。尋常小学校には宮脇の家から通った。母親がおらず、使用人が食事や身の回りの世話をする日々は、実家にいたころと変わらなかった。夜中に目を覚ましたとき、心細くて泣きそうになったのも、最初のうちだけだった。宮脇は父と同じくらい優しかった。エイの話はなんでも聞いてくれた。エイはすぐに宮脇のことが大好きになった。もちろん、父のことも大好きで、二人を慕う思いが強くなればなるほど、どちらにも申し訳ないような気持ちになった。宮脇と一緒にいると寂しくなかったし、宮脇もそう感じているのがわかった。

 それでも時々、自分のいるべき場所がわからなくなった。宮脇の家にいるときも、外を歩いているときも、ふと不安になって足がすくみそうになるのだ。そんなとき自分のなかに踏み込んでこられるのが嫌だったから、相手より先に睨み、先に声を荒らげた。誰も近づけなければ、傷つくこともない。そうしているうちに、ひとりでいることにも慣れてきた。

 父がエイを宮脇の養女にしたのは、目の届くところに置きつつ、継母や腹違いの兄とともに暮らさなくてもいいようにと考えてくれたからだとわかったのは、何年も経ってからだった。継母のトミが死んでからも、茂一は熊谷家に残った。

 父が経営する土建会社「熊谷組」は順調に大きくなり、明治四十年代に入ると、仕事の拠点を高松から大阪に移した。それに伴い、家族も、職人も、使用人も、大阪に新築した家に引っ越すことになった。エイの養父の宮脇も一緒だった。父は、恩人である宮脇のために、陽当たりのいい南向きの大きな部屋を用意していた。

「こいさん、わかるか。恩を返すというのは、こういうことや。だから、俺たちは、何があっても熊谷の親方についていくんや」

 沖崎藤七という若い職人が言った。海軍にいたことがあり、腕がよく、職人たちをまとめる度量もある。父はこの男を可愛がり、番頭格として扱っていた。

 エイが養女になる前に、父が宮脇からどんな恩を受けたのか、父からも宮脇からも聞いたことがなかった。兄たちも、沖崎を含む職人たちも知らなかったのではないか。それでも、親方が大切にしている人なのだからと、みな宮脇に対して、下にも置かぬ扱いをしていたのだった。

 エイが再び茂八のもとで暮らすようになっても、戸籍上は宮脇の養女のままだった。父は、誰よりも可愛がっている末娘を形のうえとはいえ宮脇に託すことによって、感謝と信頼の意を示していたのだ。それでも、対外的には、エイに熊谷の姓を名乗らせていた。

 エイには、実父・熊谷茂八と養父・宮脇勘次郎という二人の父がいた。どちらもエイにとって大切な父親だった。

 熊谷家の夕食は、いつも人が多かった。朝は現場に出ていた住み込みの職人たちも、よほどのことがない限り、ここに戻って食べるよう父が命じていたからだ。

 席は決まっており、細長い食卓の上座、全体を見わたせる場所に父が座った。父から見て右の一番近い席が兄の八郎、その隣がエイだった。左には、宮脇、腹違いの兄の茂一、そして沖崎の順に腰掛けた。沖崎以外の職人たちは少し離れたところに座り、そのさらに下座にお手伝いたちが並んだ。

 茂八が箸を付けるまでは、誰も食べることも喋ることも許されなかった。

 上座に近い者たちにはお手伝いが給仕をしたが、職人たちは自分たちで米をよそい、おかずを皿に盛った。彼らは何度もお代わりをするので、自分たちでやらせないとお手伝いの食べる時間がなくなるからだ。路上で食い詰めた者たちにも、茂八の命で、お手伝いがにぎり飯を配ったこともあった。

 

 高等小学校の修了が近づいてくると、エイは、周りから何度も訊かれた。

 ──こいさんは女学校に行くのかね。

 勉強は嫌いではなかったが、同級生と一緒にいても退屈だった。これといった友達もおらず、周りはエイを怖がっていた。気に食わないことがあると、相手が男でも怒鳴りつけたり、殴りかかったりしていたからだ。

 兄の八郎も、父の前ではおとなしくしていたが、エイに劣らず気性の激しい男だった。東濱村にいたときは有名なガキ大将で、大阪に来てからも、腕っぷしの強さで大勢の子分を引き連れていた。父の会社で働きながら夜間の関西商工学校に進み、気の荒い職人たちにも若いからと舐められることなく、小さな現場を束ねるようになっていた。

 そんな兄は、女のエイから見ても生き生きとしており、羨ましく思うこともあった。が、兄と同じように上の学校に行って、同い年の連中と机を並べるのは嫌だった。

「なあ、お父ん、うちは女学校に行かなあかんの」

 エイの問いかけに、茂八は首を横に振った。

「行きたくないなら行かんでいい。人を使う者は、自分で勉強なんかせんと、帝大出を雇えばいいんや」

「でも、八郎兄さんは夜学に行ったやんか」

「あれがどうしても行きたいと言うからや。お前もしたいようにしたらええ」

 そう言われて気が楽になった。

「ふん、うちはやめとくわ」

 もうひとつ、毎日のように言われて嫌になっていることがあった。

 ──嫁に行く先は決まったんか?

 挨拶代わりにそう言われるのだ。

 熊谷一家が大阪に越して来てから時々家に顔を見せるようになっていた姉のモトが、長崎の佐世保に嫁に行ったことも、いくらか関係していた。

 ──こいさんも、そろそろや。

 と、噂になっているのは知っていた。

 大きくなるにつれ、自分を見る男たちの目が変わってきているのを感じ、気分が悪かった。酔った男に頬を撫でられそうになったときの、値踏みするような目を思い出すと吐き気がする。

 父のもとで働く職人たちのなかに、一緒にいて楽しいと思う者がいないわけではなかったが、そういう男たちに限って、エイに興味は抱いてないようだった。

 番頭格の沖崎もそのひとりだった。父の右腕として数々の現場を仕切り、宮脇からの信頼も厚い。がっしりとして背が高く、濃い眉と通った鼻筋が意志の強さを表している。

 沖崎は、ほかの職人たちのように、エイをからかったり、変に遠慮したりもしなかった。食事のときはいつもエイの斜向かいに座り、父とも臆することなく話している。八郎と茂一は、自分たちの立場を危うくされるとでも思っているのか、面白くなさそうに沖崎を見ていることがよくあった。沖崎は、それに気づいているはずだが、平然としている。職人たちが喧嘩を始めても、目だけで黙らせた。

 沖崎が近くにいると、なぜか気持ちが落ち着いた。

 それなのに、「なあ、こいさん」と、よく響く低い声で呼びかけられると、うまく返事ができない。どうしてなのか、自分でもよくわからなかった。

 エイには、そうしたことを相談する相手もいない。三味線や舞の稽古場で会う娘や芸妓に話そうものなら、あっという間に噂がひろまってしまうだろう。

 自分に恋などできるのかどうかもわからなかった。

 いずれにしても、父の茂八が認めた相手以外と所帯を持つ気はなかった。

 その茂八は、事業を全国へと拡張させたころから、上等な仕立ての背広を着て、行き先を告げずに出かけることが多くなった。

 使用人たちは、旦那さんは後添えになりそうないい女性を見つけたのではないか、と噂した。

 エイはしかし、これ以上知らない家族が増えるのは嫌だった。

「お父ん、いつも黙ってどこ行っとるの」

 責めるような口調で訊いた。

 八郎と茂一は、仕事の道具を手入れしながら聞き耳を立てている。

 父が笑って言った。

「今日も行くさかい、一緒に来るか」

 エイはすぐよそ行きの着物に着替えた。

 鉄道と人力車を乗り継いで一時間半ほど経っただろうか、ウトウトしていると、父に袖を引かれた。

「さ、着いたぞ」

 女の家か、料亭にでも行くのだと思っていたが、そうではなかった。

 目の前に立派な門がある。紋付袴やフロックコートを着た男たちや、留袖に日本髪の女などが、次々と奥へと進んでいく。腰にサーベルをさげた軍人もいる。

「ここはどこ?」

 不思議そうに訊いたエイに、父が答えた。

「競馬場や」

「競馬場って、なんや」

「馬が走るところや。ここは鳴尾競馬場というんや」

 門をくぐり、父が前方を指し示した。

「あの馬見所の向こうで、馬が走るんや」

 馬見所の階段を上り切ると急に視界がひらけ、眩しい陽光に全身が包まれた。

 こちらは南向きらしい。まず目に入ってきたのは、遠くの海だった。視線を少しずつこちらに戻すと、海に流れ込む川があり、その手前に楕円形の大きな馬場がある。馬場の内側にあるのは野球場だろうか。

 エイと父が立つ階にも、ここから馬場に向かって下る雛壇のようなところにも、たくさんの人がいる。

 海と、人々のざわめき。賑やかなのになぜか落ち着ける、エイの好きな雰囲気だった。

 

 

『一代の女傑』は全3回で連日公開予定