大学院で医学系研究を修めた医療ジャーナリストであり、ベストセラー「処方箋のないクリニック」シリーズの著者でもある仙川環さん。これまで数々の医療ミステリーや医療小説を描いてきた著者が、最新作『お医者くんカフェ』の舞台に選んだのは、病院ではなく、小さなカフェ。これまでにないまったく新しい医療小説に込められた思いを伺った。
取材・文=編集部
忙しい医師は、患者が望むほどには十分に話を聞くことができない。悩みを抱えた患者たちの思いにどうこたえるべきか。そんな問いかけから生まれた医療小説
──本作は、医師の丸山賢太、通称丸くんがいる「お医者くんカフェ」という舞台設定がとても斬新で魅力的です。「病院の診察室」ではなく「カフェのカウンター」だからこそ引き出せる本音や相談があります。この着想を得た経緯についてお聞かせください。
仙川環(以下=仙川):「医師がもっと話を聞いてくれたらいいのに」という不満をよく聞きますが、保険診療を行っている医療機関の医師には、その時間がありません。そもそも、医師の仕事は診断や治療であり、患者の話を長く聞くことではありません。とはいえ、患者側のニーズは切実です。では、どうするのがいいのか。ここ数年、そんな問いかけを自分にしながら、小説を書いています。
今回は、医療機関の外で医師が相談を受けるようにしようと考えました。当初の設定は「マンションの一室にある医療相談所」でしたが、初対面の相手と密室で一対一になるのは、心理的なハードルが高そうです。そこで、「ふらっと入れるカウンター形式のバー」にしようと思いました。人生経験豊富なマスター(この場合は医療の知識がある医師)に、愚痴に付き合ってもらうイメージです。そういう場であれば、医師と相談者だけでなく、その場にいる他のお客さんも、会話に参加でき、話が広がりそうです。ただ、アルコールは健康への害も指摘されており、健康相談の場にはふさわしくありません。また、最近はお酒を飲まない人も増えているので、誰もが入りやすいカフェに落ち着きました。
──小太りでちょっと頼りないけれど、相手の気持ちに徹底的に寄り添ってくれる「丸くん」。彼はいわゆる“スーパードクター”とは違った診療姿勢を貫き、大病院や雇われ院長には合わなかったものの、“名医”ではあると読者に思わせてくれます。仙川さんにとって「理想の医師像」とはどのようなものでしょうか?
仙川:この数十年の間にインフォームド・コンセント(説明と同意)が一般的になり、医療情報もネットなどを通じて容易に手に入るようになりました。医師にお任せではなく、自分で治療法を選べるようになってきました。歓迎すべき流れではありますが、皆が必要な知識を持っているわけではありません。病気でナーバスになっていて、頭がうまく働かないこともあるでしょう。そういうとき、状況を分かりやすく整理し、ベストの選択ができるように手助けしてくれる医師がいたら心強いです。丸くんは、まさにそういう人です。ただし、患者の気持ち優先で、なんでも肯定するわけではありません。たとえば、ニセ医療に傾倒しようとしている人がいれば、翻意を促します。寄り添う姿勢は必要ですが、あくまで「根拠にもとづく医療」を勧めるのが、私の理想の医師です。
──カフェに相談に訪れた人々の健康不安、悩みは様々です。「頻尿がひどすぎて、大好きな仕事に支障が出ている」「自分は潔癖症なのか?」など6人の相談者が登場しますが、健康相談のモチーフはどんなところから得てらっしゃるのでしょうか?
仙川:大半が自分自身や知人の悩みです。「トイレが気になるので、飛行機は通路側の席でないと困る」とか、「水道の蛇口を分解清掃しないと気持ち悪い」とか。でも、自分や知人が特別だとは思いません。健康不安や悩みが一つもない人なんて、世の中にほとんどいないのではないでしょうか。特に、50歳を超えてからは、そう感じます。
──カフェ「カミナーレ」のオーナーである水島めぐみは過去、子育てに後悔があり、外見はよいけど小劇団で芽が出ない調理担当の鈴木蒼空など、お店側の人員にもなにがしかの屈託やわだかまりがあり、そのことが物語の内容とも絡んできます。めぐみや蒼空にも考え方、心境の変化が表れる点も本作の読みどころですね。
仙川:屈託やわだかまりは、努力して手放そうとしても、なかなかうまくいかないですよね。でも、何かのきっかけで、すっと解けていく。本人が意図しているかどうかはともかく、そのきっかけを作るのが丸くんという人であり、お医者くんカフェという場です。めぐみや蒼空にも、そういう瞬間がいずれ来るはずです。
──作中では、衛生観念の違いや親子・夫婦・同僚との溝など、「よかれと思ってやったことが裏目に出る」切なさ、やりきれなさが多く描かれています。すれ違う登場人物たちが「お互いをわかり合っていく瞬間」を描くうえで、留意されたり苦労されたりした点をお教えください。
仙川:私自身は、わりとはっきりした性格なので、自分の感覚で登場人物の台詞を書くと、身もふたもないかんじになりがちです。台詞ではなく、「心の中で思った」程度にしておくと、相手とわりと分かり合える方向にいくようです。……ということは、実生活でも、言葉に気をつけたほうがいいのかもしれません(笑)。
──登場人物たちのように、日々の仕事や家庭でストレスを抱え、「なんだか最近うまくいかないな」と疲れている読者も多いと思われます。本作を通して一番伝えたかったメッセージは何でしょうか?
仙川:難しい質問ですね……。あえて言うなら、「気づきのチャンスを逃さないで」でしょうか。本作の登場人物たちは、何かに気づくことで、前に進んでいきます。
──すでにシーズン2となる「お医者くんカフェ 誰もわかってくれない」の連載も8月から「WEB小説推理」でスタートしました。最後に、新章の幕開けに際して、意気込み、読みどころをお願いします。
仙川:シーズン1では、お医者くんカフェは設立されたばかりで、丸くんやめぐみさん、そして著者も手探り状態でした。6話書き終えて、カフェの形や役割がはっきりと見えてきました。これまでの丸くんは「待ち」の姿勢が多かったのですが、シーズン2では積極的な姿もお見せしたいです。あの性格ですから、鮮やかに問題を解決というわけにはいかないかもしれません。でも、悩める相談者にとって頼りになるのは、耳に心地よいことを言ってくれる弁舌爽やかな人、自信満々に持論を押し付けてくる人ではなく、頼りなさそうに見えても、愚直で誠実で心が折れない人だと思っています。めぐみさんや、蒼空くんの人生の転機にもご注目ください。